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「君を最速で最強に育てる」(心に残る上司の言葉)
「君を最速で最強に育てる。」
この言葉が私を救ってくれました。
銀行での苦悩と転機
私は新卒で銀行に入りましたが、厳しい労働環境に悩んでいました。
入社から三年が経った頃、直属の上司が過労で倒れ、入院先にお見舞いに行きました。
他愛のない話をしていると、ふいに上司が私に転職を勧め始めました。
私が過酷な労働環境で潰れる事を心配し、環境を変えた方が良いとの事でした。
また、その上司は私と同じ歳のお子様がおり、私と我が子を重ねて心配してくださったようです。
私自身も労働環境や業務内容に悩みがあったので、上司の言葉で転職を決意しました。
新しい道
銀行は拘束時間が長く、働きながらの転職活動は難しいものでした。
転職サイトに登録する暇もなく、時間だけが過ぎました。
しかし転職への気持ちは変わらず、周りの人への相談はしていました。
そんな時、仕事でお世話になっていた税理士の先生から、従業員募集中の社労士がいると話を聞きました。
先生曰く、「労働環境に疑問があるなら、君自身が労務の知識を付けて労働環境を変えれる立場になれば良い。」との事で、社労士の元で働くことを強く勧められました。
まだ具体的な転職活動を開始できていなかったので戸惑いましたが、半ば強引に三人で会う約束になりました。
約束の日、初めて会った社労士先生は少し強面のスポーツマンという印象でした。
しかし話す言葉は上品で、頭の良さが滲み出ていました。
先生は、請け負った給与計算の仕事が捌き切れず、数字に強い従業員を探していると言いました。
雇用条件については、個人の事務所なので従業員を定年まで雇う事は難しく、業務が落ち着くまでの有機契約、しかも給料は最低賃金程度しか払えないとの事。
社会人4年目だった私は、最低賃金まで給料が下がると聞き、お断りしようかと思いました。
しかし、次の言葉で一緒に働く決意が固まります。
その言葉こそが「君を最速で最強に育てる。」でした。
つまり、雇用条件は良くないが、お金の代わりに知識やノウハウを渡すという事です。
その言葉で転職を決め、同時にその後のキャリアも決まりました。
最速で最強に
転職後、先生は約束の言葉通りに「最速」で育てるプランを組んでくれました。
銀行時代に上司から言われた「自分で調べてから相談しろ」や「仕事は見て盗め」等の昭和的な指導ではなく、知識は惜しみなく授かり、成功体験をたくさん積ませて頂きました。
私の得意な分野は、更に難易度を上げ応用が効くレベルまで高めてくれました。
反対に苦手な分野は、必要な仕事と不要な仕事に分け、必要な仕事は丁寧に時間をかけて指導くださり、不要な仕事は完全に捨てる事にしました。
また、必要な仕事の中には雑務もありましたが、「簡単だけど時間がかかる仕事」は先生がご自身で捌き、成長に繋がる仕事を優先して与えてくれました。
それらの経験が私の基礎となり、今も全ての仕事に活きています。
私自身まだまだ「最強」には達していませんが、「最速」で成長できたのは間違えありません。
その後転職し先生とは離れて働いていますが、あの言葉以降の私の人生は大きく変わりました。
銀行時代の閉塞感を打破し、人事の専門職としてキャリアを積むことができています。
いつか自分も
最近自分も後輩を指導する立場になりましたが、(先生ならどう指導するか?)と無意識に「最速最強」プランを考えます。
どんな組織においても、人が早く強く成長する事は有益です。
昭和の体育会系スタイルも完全に否定はできませんが、一人一人に合わせた教育計画を立てるのがベストだと思います。
つまり、オーダーメイドで「最速最強」プランを立てることが、いつか「最強のチーム」を作る事に繋がります。
当たり前の事のように思いますが、企業の教育カリキュラムは画一的になりがちです。
それは日本社会全体が一芸特化のスペシャリストより、万能タイプのゼネラリストを重宝してきた名残かもしれません。
しかし、先生が私にしてくれたように、個人に合わせた指導法を徹底する事で組織としてもレベルが跳ね上がると感じています。
先生がそうであったように、いつか誰かの人生を支えられる存在になれるよう、今後も精進していきたいと思います。
ご拝読ありがとうございました。
私の転職歴の詳細は以下の記事に書いています。
もしご興味がある方はリンクからご覧ください。