出口梨
しゅき……ってなった文章たち
日記に類するもの。不定期。
早く終わらないかなぁ……。 周りに居並ぶ同級生たちは皆、壁のぐるりの紅白幕に囲われて、神妙な面持ちで中学三年間の思いでを噛みしめるように立ったり座ったりを繰り返している。私はこの広い体育館にひとり、恥ずかしいすっぽかしをくったような気分でいる。 春の締まりのない埃っぽい空気が、この大きな箱の中で澱んで、高い窓から差し込む陽光で白っぽく濁り、視界一面は白飛びした写真のように色味がなくなっている。映像として見るとあんなにも目に鮮やかな紅白幕は、ここからは精彩を欠いて、葬式の
もっとNoteを読んだり書いたりしたいのですが、やらなきゃいけない事が押していて余裕がありません…。すみません。余裕ができ次第ゆっくりとですが拝読させていただきたく思っています。
タオルケットに包まって、目を瞑り、早く眠りに落ちるよう自己暗示をかける。たぶん今、どんな座禅中の僧侶より無念無想に近づいている。だけど悟りが開ける気配は全くない。 どれだけ経っただろうか。30分?1時間?ひょっとしたらもう眠りに落ちて、夢の中でそう考えているんじゃないだろうか。何度も、目を開けそうに、意識を取り戻しそうになる中、必死で眠っているふりを演じ続けた。『ガラスの仮面』を被っての、観客のない孤独な演技。もしもトニー賞に〈眠っているフリ賞〉の部門があれば受賞できたに違
家の前で鉢が割れていた。 それはある日リサイクルショップで買った、イタリア製で紺色のぽってりとした陶器の鉢だった。その時は綺麗だと思って惚れたものの、それで植物や小魚を育てることに気後れした私は――だって枯らしたり死なせてしまったら可哀想だから――甲斐性なく持て余して、漫然と庭先に飾っているような有様だったので、それが壊れたところで、(少し残念ではあったけど)片付けるのが面倒だな、といった程度の心持ちしか湧かなかった。 倦怠感を覚えながら一番大きな破片を拾い上げると、
(約2000文字) わが家の冷蔵庫には、わけもなく缶ビールが一本必ず冷えている。蒸し暑さを覚える時期になると、私は性懲りもなく、仄かな期待を抱きながら、よく冷えたそれをプシュッと言わせ、おそるおそる唇をつけ、口に含み、そして結局すぐに後悔するのだ。やっぱりまずい。 私はどうにも、ビールと言う飲み物が苦手だ。お酒が苦手というわけではない。ワインやウイスキーなら少しは飲める。焼酎や日本酒もあるいは。それからあの、きれいな色の抽象画を溶かしたような、カクテルとか言うジュエリ
先週は大阪でデザイナーのオフ会にお邪魔させてもらいに行きました。 僅か2日間でしたが会話が苦手すぎて異様に疲れて昨日までぐったりしてました😓 一人旅だったら1ヶ月でも2ヶ月でもいけるのに… やっぱり他者との関係性はストレスなのですかね。人間嫌いというほどではないのですが。
友達と競馬を観に行きました。っていう日記がいつの間にか5500文字になってしまいました。https://note.com/huisclos/n/n6062e3bb5888
ここ最近、6時前に目が覚める。意識は薄ら途切れに続いていて眠れた気がしないし、身体は寝ているので動かない。たまに交感神経が作動して起き上がるけど、またすぐに寒気と眠気に襲われて斃れる。生活してるのかしてないのかよくわからないゾンビみたいな状態で、眠剤を飲んで1日を終える。(日記)
日差し、風、雨、花粉、黄砂、気温や気圧…、春の訪れはどうしてこうもやかましいのでしょう。 忙しない寝具の違和感に、突風が乱暴に揺らす雨戸の音、カーテンの隙間で踊り狂う日差しに苛まれて、今日もあまりよく眠れなさそうです。
(約1000文字) 20年かけた作品を見せてもらった。それは小屋だった。 生きるのは煩わしい。一挙手一投足に至るまで生きていなければならない事を、今でも信じられない。 私が寝ている間に、木は朽ち、鉄は錆び、竹林は地下から侵略してきて、虎杖や葛は立っているもの全てを窒息させる。――こんな事はほんの一部で、“自然”はまるで大戦争だ。みんな全力で殴り合って生きている。生きることは暴力だ。うかうか寝ていたら呑み込まれてしまう。その脅迫観念にまた辟易する。 田舎でロハスなスロ
去年2022年11月のことだ。G20がインドネシアのバリ島で開かれた。ミヤネ屋というニュースバラエティ番組で、中国とロシアの代表団が滞在しているというムリア・リゾート(Mulia Resort)ホテルからの中継を流していた。空は一面均一な薄曇りで、それがそのまま落ちてきたかのように、湿った肌寒そうな明るさに包まれた景色が映し出されていた。 それを見ていた私は、何か不思議な感覚を覚えた。画面に映し出された、ホテルの棟にコの字型に囲まれた中庭の、中央に陣取る仰々しい庭園、立
春の風が気持ち良い。乾いた真綿で肌を撫でつけるように、やっと柔らかくなってきた風が強く押し寄せてくる。花粉と黄砂で、透き通った金春色のわらび餅にきなこ粉をまぶしたみたいになっている愛車――ルノー・カングーの中で私は出勤中にそれを感じてちょっと荒んでいる。 ここ数日の体調はあまり良くない。いつものように気温と気圧の乱高下に自律神経があてられたのか、アレルギーの所為なのか、不定愁訴なのかはわからない。明確にどこか痛いだとか苦しいという事はなくて、ただ漠然と調子が悪いとしか言いよ
(※微グロありです。苦手な方はご注意ください) 午前4時、目が覚めた。もう二度と訊く事のできない真相に胸が苦しくなった。 学生の頃、バイト先で二人きりになった時、彼女は私の腕に残る傷痕にそっと触れてきた。私はそれを「別にたいした事じゃないよ」と言ってはぐらかしたが、本当は彼女が、自分の傷について訊いて欲しかったのだという事を知っていた。 彼女の身体には、割れたガラスを浴びたような傷跡がいくつもあった。彼女は私の前ではそれを気にするでもない様子だったが、華奢で繊細な彼女の
「亡き祖父の 老いた月桂樹をば剪る」 祖父の遺した庭木、この時期伸びるんですよ。
ずっと胸の奥につっかえていた話を書き出してみたのですが、長くて苦心した割につまらなくて、苦笑してしまいました。次からはもう少し人を楽しませるような話を書きたいと思います。
一. 両親に自死された子がいた。それも同時に。彼女は学校に来なくなった。高校一年の事だった。 当時私はその子との接点が無かったので、その事実を知らなかった。彼女と中学が同じだったという友人Tがその事を私に伝えてきて、どうか話を聞いてあげて欲しいという事だった。私は中学の時に病で父を失っていたので、そういう事情には了解があると思われたようだ。かく言う私もそれらにまつわり、日々不眠と無気力と希死念慮に締め上げられつつあったので、その相談には興味を持った。私の内にわだかまる