あの日々は
タオルケットに包まって、目を瞑り、早く眠りに落ちるよう自己暗示をかける。たぶん今、どんな座禅中の僧侶より無念無想に近づいている。だけど悟りが開ける気配は全くない。
どれだけ経っただろうか。30分?1時間?ひょっとしたらもう眠りに落ちて、夢の中でそう考えているんじゃないだろうか。何度も、目を開けそうに、意識を取り戻しそうになる中、必死で眠っているふりを演じ続けた。『ガラスの仮面』を被っての、観客のない孤独な演技。もしもトニー賞に〈眠っているフリ賞〉の部門があれば受賞できたに違いない。でもついに我慢できなくなり、枕元のシチズンのデジタル時計の頭を撫でると、暗闇の中に無慈悲な数字が浮かび上がった。無機質な7セグメントの表す02:12。最悪だ。もう2時間以上も無為に過ごしているのか。こんなことなら起きてレポートでも進めておくんだった。でも明日は(正しくは今日だが)7時に起きないといけない。本当は12時間寝たい。だけど現実的には6、7時間がせいぜいだ。飲み会もサークルもしないで絞り出した7時間、何とかして寝たい。なのにその貴重な7時間が、もう5時間を切ってしまっている。今から頑張って眠れたとして4時間がいいところだろうか。そんな事を思っているうちにカラスが鳴き始める。朝刊を配達するバイクが走り抜ける。4時になった合図だ。その声にまた仮面は割れてつい瞼を開く。カーテン越しに透ける空は薄明るい。7時まで3時間しかない。4時間かけて寝付けなかったのに、残り3時間で眠れるわけがない、そんな焦りがさらに眠りを遠ざける。もうだめだ。終わった。こうして私はまた眠るのを諦めた。
午前5時。早朝は心地よい。たおやかな耀さ。ひんやりとした空気。静か。その束の間はちょっとだけ、まだ生きていけるような気がする。だがそれもほんの1、2時間程度の話だ。そのあとすぐに猛烈な後悔が襲ってくる。脳に侵食してくるような自動車の行き交う音、瞳孔に突き刺さるような日差し、まとわりつく暑さ、二日酔いのように襲ってくる怠さと眠気。でもそこで横になっても眠れはしないし、そもそも二日酔いになった事はない。――お酒が飲めないから。二日酔いが巷で言われるほどキツいものだとしたら、酒酔いはそれを上回るほどに愉しいものなのだろうか。私には「オール」という概念が信じられない。私が一番愉しいと思う事は睡眠だからだ。眠れるのは嬉しい。それが終生で一番の愉悦だとしたら、私は……
◇
そんな事を思い出した朝だった。
向かいの家は朝から引っ越しで、ガラガラと頭にひびくディーゼルエンジンの音を轟かせたトラックが出入りして、「オーラーイ!オーラーイ!…ストーップ!」という、天にも届かんばかりの生命力に滾る声が空気を切り裂く。
おまけに裏の家は解体工事中で、ダダダダダダッ!っと爆音映画祭の戦争映画さながらの迫力でコンクリートを斫るマシンガンの音が響き渡っていて、それが私の頭蓋骨に直撃したみたいに頭が痛くなってきた。
そうだこの不快感。これが私の学生時代だった。
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