怒りの正体が「劣等感と悲しみ」だと気づけた瞬間、前に進めた話
二十代の頃、どうしても許せない人間がいた。
同世代だったのだが、自分よりも行動力があり、いろいろと結果を出している。
そして会う度に「この前、こんなことがあって」といった話をされるのが苦痛でしかたない。
口にこそしなかったが、内心「自慢話ばかりしやがって!」と黒い感情をたぎらせていた。
一方、その頃の僕は実家住まいのバイト暮らし。自信がなさすぎて、まるで行動できない日々が続いていた。
年齢は変わらないのに、社会でバリバリ結果を残していく彼。
向こうはなぜか僕と定期的に会いたがる。僕は嫌々ながら、彼に付き合い話を聴くということが続いた。
彼のことを思うと嫉妬心などで、あまりに苦しくなる。
ずっと「なぜこんなに感情を刺激されるのだろう?」と考えていたのだが、腑に落ちる瞬間があった。
まだ何もできていない自分を、ふがいないと攻め続けていたのは他でもない僕自身だったのだ。
彼と会う度に、強烈な劣等感を感じていた。
彼自身は、自分がしたいことをして生きているだけ。
なのに僕は彼を見ると「あいつに比べてお前はまだ何もできてない」とふがいない自分を、勝手に責めている。
その心理にようやく気づけた。
怒りは第二感情。第一感情は悲しみや寂しさだという。
悲しみや寂しさが、すぐに怒りに置き換わるので人は自分の本心に気づきづらいのだ。
勝手に比較して、勝手に悲しんでいたのかと思えたとき、少しだけ楽になれた。
「あいつが人生を謳歌しているのは、積極的な行動を続けられているからだ」
とようやく彼のことを認められた僕は、バイトでお金を溜めて実家を出ようと決意。
強すぎる依頼心を断ち切るには、親元を離れるしかないと思ったのだ。
その後、彼と出会ってもそこまで怒りを感じなくなった。
自分の負の感情を少しだけ認めることができたからだろう。
もしかしたら、あなたの中で猛烈な怒りが起こるのは、自身が直視したくない何かが内側で反応しているからかもしれない。
寂しさから置き換わった怒りは、ときに大切なことを教えてくれる。