創作活動に癒される毒親育ちの僕の感覚、そして成長
僕は毒親育ちなので、過去のつらい体験のフラッシュバックに悩まされることがよくあった。
このフラッシュバックの内容には親が直接的に関わるものもあれば、自分をうまく肯定できず外界への防御力が低かったがゆえの二次災害的なものもある。どちらにせよ、頭に悪霊が取り憑いて罵詈雑言を放ってくるかのような苦しさがあった。
今でもまだ若干残っているが、一時期のことを思えば劇的に回復したと言ってもよいだろう。そして、その劇的な回復のカギとなったのが今回のテーマである創作活動だった。
もちろん初めから良い成果を出せていたわけじゃない。自分の気持ちをどう言い表せばよいのか見当もつかず、途方に暮れる日もあった。重い頭をひとり抱えながら暗黒の荒野へ放り出されたような状態から、その試みは始まった。
――あの頃、紙の上の僕はひどく不自由だった。
どこへでも行ける、何でも書き表せるなんて嘘。自分の身の回りのこと、半径3メートル以内のことですらスコップで岩盤に挑むような感覚を覚えていた。
月並みな言葉を並べてみたところで、それは僕が本当に感じたことでもなければ、他人から見て理解できる状態にもなっていなかった。
「苦しい」「つらい」とだけ言ってみたところで、その文字列は僕の苦しみもつらさもまるで語ってはいなかった。ただちに一般化され、都会の雑踏の中へと消えてしまいそうな脆弱な言葉でしかなかった。
ならば僕は必死にただ一つの力強い言葉を探した。
偉大なる先人たちが残してくれた膨大な書物の中から学び取ろうとした。
しかし簡単には、見つからない。
これだ、という言葉を見つけた気になっても、それは心の重荷を早く下ろしたい一心から導かれた早合点であることがほとんどだった。ほんのひとときの慰めにはなったが、あまりにも非力すぎた。
だったら、引き続きの暗中模索の試行錯誤。
継続は力なり。
日々、文字を連ねていく。
次第に自分のやり方というものがつかめてきた。
表現に力が乗ると自分も癒されたし、紙面に言葉を出力するのと同時に自分の心や過去のつらい体験が再構成されていくような澄んだ感覚になった。
ただ、うまく自分の心にあう表現が見つからず、胸中に渦巻いているものをすくってまとめあげられないと、力を伝えるのが難しくあまり癒されなかった。
もちろんこのタイプの創作が全てではなく、読者に奉仕したりすることもときには必要だと思うが、少なくともそれは当時の自分が書きたいものではなかった。
だったらさらに、引き続きの暗中模索の試行錯誤。
継続は力なり。
日々、文字を連ねていく。
文字を、連ねていく。
――今や僕は、紙の上で自由になれる。
宇宙遊泳はまだまだ出来なさそうだし、大空を我が物顔で飛び回ることも出来なさそうだけど、カラスと同じくらいの高さの空なら飛べそうだ。
やっとここまで来れたよ。
現在の自分にとって最重要な短編小説 : ベスト・フレンド・エンド
【前半2400字+後半2500字・10分くらいで読めます】
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