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進路

 最初その話を聞いたときは、めっちゃおもれえ、とシンプルに感心した。ただ、少し日数が経ち、改めて考えてみると、「いや、うーん……」と、純粋に感心もしていられなくなった。

 最近、友人を介して、今年から大学に通い始めた子と知り合いになった。一度、三人で回転寿司に足を運んだのだが、その子から聞ける話がまあ新鮮で面白い。
 彼は高校一年の頃から、「大学に行くなら、哲学をやる」と決めて、日々の高校の勉強とは別に、哲学書をコンスタントに読み進めてきた。
 哲学に対する熱意は、すぐ両親の知るところとなり、普段は贅沢を控えている家庭生活にあって、本だけは喜んで買ってくれたという。
 ここまで聞いて私は、「おお、いい話」と反応してしまったのだが、彼は「ここからなんですよ」と苦笑しながら話を続ける。

 いざ大学進学の話をする段になって、両親に「大学で哲学を学びたい」と相談したところ、返ってきた言葉は「やめときなさい」の一言だったという。これまで数年間学びを応援してくれていたのは、あくまで哲学を「趣味」とする場合であって、本格的にその道に進んでいくというなら話は別、というのが両親の考えであるようだった。
 結果的に彼は、いま大学で哲学を学べる環境に身を置いているわけだから、何とかして親を説得したことになる。「どうやったの?」と訊ねたところ、「これです」とバッグから一冊の本を取り出してみせた。

「カフカは、はじめ、哲学専攻を希望した。そして父親に「失業者志願」と冷笑された。哲学とは何か? よしないことをあれこれ考えて、それ自体、一つの生き方ではあろうが、ありていにいえば優雅に飢える方法というしかない。そもそも哲学で飯が食えるのか。裸一貫からたたきあげた商人ヘルマン・カフカには、わが子のノーテンキぶりが我慢ならなかったのだろう。親子で話し合う間、「息子殿」と皮肉っぽい言い方をした。息子殿は哲学を修めて、将来どのような職につくおつもりなのか?」
池内紀『カフカの生涯』白水社、P72)

 付箋のページを読んでみてください、と促され、上に引用した文章をざっと読む。最初「これで説得……?」とピンとこなかったのだが、数秒後には「そういうことか」とひとりごちた。
 彼曰く、父親に「この本、面白いから」と言って、『カフカの生涯』を読むよう勧めたという。手に取った父親は、読書中に上記の文章を目にすることになるわけだ。当然、息子の進路希望に対して、「やめときなさい」と一蹴した自分の姿が思い出される。
 ……何と巧みな作戦だろう。お見事過ぎて、末恐ろしくもある。

 私は彼の人生に対して、一切責任を持たない人間であるから、呑気に感心していられるが、両親であればそうはいかない。親は親なりに悩んで「やめときなさい」と言ったと思う。そう考えると、カフカの本を読んで、罪悪感に苛まれたであろう父親の心中を想像すると、少し胸が痛んだ。



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