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ぬいぐるみ

 私のスマホのメモアプリには、「ぬいぐるみ」というフォルダがある。日常生活の中で「ぬいぐるみ」に関するエピソードに接したら、忘れないように記録していく場所だ。
 ここ数ヶ月で、いい具合にメモが溜まってきたので、三つばかし、noteの方で紹介しておきたいと思う。

 河川敷を散歩していたら、道中にぺんぎんのぬいぐるみが落ちていた。拾い上げて、表面に付いた砂を払っていると、「すみませーん!」という声が聞こえる。声のする方向を見ると、女性が懸命にこちらに走り寄ってくる。
「その子っ、うちの子です。途中でっ、落としてるのに気づいて……気づけてよかった」
 息切れから、女性の必死さが伝わってくる。表面上の砂は取れたので、「見つかってよかったですね」とぬいぐるみを手渡した。
 女性の安堵の表情は、なかなか感動的でした。

 阿川佐和子の『あんな作家 こんな作家 どんな作家』(ちくま文庫)によれば、作家の田辺聖子は、どこに行くにも、スヌーピーのぬいぐるみがうつる写真を携帯していたらしい。田辺はこのスヌーピーを「長男」として可愛がっていた。
 田辺のぬいぐるみ好きは有名で、たくさんのぬいぐるみに囲まれて笑顔を見せる田辺聖子の自宅写真は、見ているだけで幸せな気持ちになれる。

 評論家・川本三郎には、妻を亡くした後の一人暮しの日々を綴った、随筆『ひとり居の記』(平凡社)がある。
 その中の「「街ネコ」に会いにいく」という文章の冒頭に、次のような一節があった。

「一人暮しになったいま、暮しのなかでいちばん寂しいのは猫を飼えないこと。旅や町歩きで家を空けることが多いので、猫が鍵っ子になってしまう。
 昭和の俳人、富安風生(一八八五ー一九七九)は猫好きとして知られたが、さすがに年齢を取ってからは飼うことができず、仕方なくぬいぐるみを猫の代わりにし、外出のときも持ち歩いたという。そのためか九十三歳まで長生した。
 風生に倣っていまは、ぬいぐるみの猫を抱いて寝ている。それと、動物写真で知られる岩合光昭さんの猫の写真を家のあちこちに貼っている。」
川本三郎『ひとり居の記』平凡社、P7)

 「ぬいぐるみの猫」が、著者が感じているであろう寂しさを、読者に伝えてくれる。
 この一節によって気づかされたのは、私の中に巣食う偏見。「ぬいぐるみ」と「評論家(年配男性)」の組み合わせに、一瞬違和感を覚えてしまった。
 60・70代男性が、猫のぬいぐるみを抱いて寝て何が悪い。ぬいぐるみは、色々な人に色々な場所で、程よい温もりを与えている。



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