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増殖
書店に通っていると、特定のテーマの本が、一気に増殖していく様を観察できることがある。
最近まで、そのテーマは「牧野富太郎」だった。植物学者。増殖した背景には、彼をモデルにした朝ドラが放送されていた点があげられる。
私には、増殖したテーマの本を手に取らなくなってしまう、という厄介な習性があり、増殖期間、牧野富太郎の本を手に取ることはほとんどなかった。以前から、ちょいちょい牧野の著作を読んでいたこともあって、際立って困ることはなかったのだが。
今、書店で増殖しているのは、紫式部・源氏物語関連本である。理由は、紫式部を主人公にした大河ドラマ『光る君へ』が放送されているため。牧野本の増殖と似たようなものだ。
各所の書店で増殖していく紫式部本を目にしながら、「早く読まないと読みたくなくなる!」と逡巡していた私は、変わり者である。
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出版社が狙って刊行したのかどうかは定かでないが、分かりやすく「紫式部・源氏物語」を掲げていない新刊本の中にも、その知見を増やすことのできる書籍を見出すことはできる。
「『源氏物語』は書かれた十一世紀当時の実物が残っていない。それから二百年後くらい、つまり鎌倉時代に入った頃に手書きで写された本(写本)から少しずつ残っていて、ようやく往時の雰囲気を伝えている。『源氏物語』に限らず幾多の平安時代の物語を、今日古典として読むことができるのは、ほとんどがこうした鎌倉時代以降の写本が残されているからだ。」
(橋口侯之介『和本への招待』角川ソフィア文庫、P21)
「和本」の1300年史を扱った『和本への招待』では、丸々一章分使って『源氏物語』の書誌情報を紹介している。
書店に行けば、複数の現代語訳本を通じて、その作品世界を堪能できる『源氏物語』。そこには、現代の常識に覆われ、垣間見られることのなくなった書物の歴史・書物観が存在する。
「紫式部自身がこの題名をつけたわけではないということをまず知っておきたい。「源氏の物語」といっているように、当初は源氏を主人公にした「物語」という意味での普通名詞である。『源氏物語』という固有の題名にしたのはずっと後世の人なのである。紫式部の次の世代にあたる菅原孝標女が書いた『更級日記』でも『源氏の物かたり」という表現だった。この物語の熱心なファンだった菅原孝標女は、また「むらさきの物かたり」ともいっており、表現が定まっていない。」
(橋口侯之介『和本への招待』角川ソフィア文庫、P21〜22)
著者の橋口が強調しているのが、書物における「作者名と題名の表記」。
現代では、書物を手に取ると真っ先に目に飛び込んでくるのが、作者名と題名である。この二つを知らない状態で、読書を始めることはほとんどない。
『源氏物語』の熱狂的な読者でさえも、題名を一つに確定していなかったという事実は興味深い。橋口によれば、それは『源氏物語』に限らず、同時代の他の物語(例:『竹取物語』『宇津保物語』)においても同様だったようだ。
物語に「正式な」題名が存在しない。これが平安時代のスタイルである。
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「和本」の歴史が知りたくてページを捲っていたら、気づけば源氏の森に迷い込んでいた。純粋に楽しいので、もう少し奥へと進んでみたいと思う。
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