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批評
先日、安部公房・三島由紀夫・大江健三郎による鼎談の記録を読んでいたら、大江の次の発言が目に留まった。
「批評されると、褒められても、やっつけられても、気分的には非常にぐらつきますね。けれども、結局忘れちゃうし、小説を書くときにそれが逆に作用して小説が変ってくるようなことは特殊な場合をのぞいてほとんどありません。」
(大江健三郎・述、『文学者とは何か』中央公論新社、P24)
この鼎談は、雑誌『群像』の1958年11月号に掲載されたものだが、大江の上記の発言を見ると、「批評はいつの時代も……」と考えさせられるものがある。
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これを機に、自分の中の「批評(家)」観を一度整理してみたい。
私は一作家の真価というものを、後世への影響力によって測れるものだと考えている。後々の世代にも彼・彼女の作品が語られ続けている、そういう状況を生み出せる作家。
これは、作家個人の才能だけでどうにかできる問題ではない。彼らの作品を、同時代の別の作家、及び先人たちの作品と比較し、連綿と続いてきた文学の歴史の中に位置づける。この営みを担う批評家の存在が必要になってくる。
昨今、この「批評家」という存在は、お世辞にも好かれているとは言えない。
誰かを「推す」ことがトレンドとなっている時代、批評という営みは、ときにそれに冷や水を浴びせるような「非道」と受け取られてしまう。結果的にその「非道」が、推している対象の作家生命を延命させることに貢献したとしても、関係ない。「推し文化」の中にあっては、その結果が出るのを気長に待つ時間的余裕は与えられていない。
……とまあ、こんな風に語っていけば、あたかも「推し文化」のせいで批評の評判が悪くなったように結論づけてしまいそうだが、冒頭の大江の発言が示すように、それは今に始まったことではない。
ただ、誰が批評にネガティブな眼差しを向けているか、その点には変化が見られる。かつては、批評家によって論評される対象(例えば、大江健三郎)から発せられることが多かった。今は、その対象を支持する人々からのものが多い。正確に表現すれば、支持者の声が可視化されやすくなったということができる。
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実は紹介した鼎談の中では、批評に対する肯定的な評価も確認できた。本稿の最後に、その発言を引用しておきたい。
「まあ批評には教育的な機能は全然ないね。批評に教えられたということも、ぼくはあまりない。ただ、ぼくは批評というものによって自分の作品が一つの物体になっているというよろこびは感じることがある。自分の作品が批評の対象になり、非常に客観的な物体になっているような、自分の作品が大理石になり、それがすばらしいのみさばきでどんどん彫刻されてゆくような、そういう批評にぶつかると、よろこびを感ずる。それは理解とか無理解とか、誤解とか偏見ということと関係なしに、自分の想像しない批評であってもかまわないが、そういうよろこびを感じさせない批評というものは悪い批評だろうと思う。」
(三島由紀夫・述、『文学者とは何か』中央公論新社、P24〜25)
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