本の古さ
今年も「春の古書大即売会」のシーズンがやってきた。京都市勧業館(みやこめっせ)にて、五日間にわたって開催されるこのイベントに、私は欠かさず参加している。
初めて足を運んだときの感動は、未だに忘れられない。バラバラの地域に点在する古書店が一堂に介して、ある空間を「古本」で満たしてしまう。そのスケールに、ただただ圧倒された。
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初めて足を運ぶ友人・知人を案内するとき、たびたび質問されることがある。
「それだけ毎年参加してたら、さすがにもう飽きたんじゃない?」と。
素直に答えると、初めて参加したときの新鮮さを今でも感じるかといえば、答えはNOである。ただ、毎年足を運ぶたびに、新たな「初」に出会い、その奥深さに胸を震わせているのも事実だ。
引いたのは、川崎洋の「生きる歌」という詩の一節。
この七行は、私が古本まつりを訪れるたびに抱いている感動を、端的に表現してくれている。
古本まつりに並ぶ本は、確かに"古い"本ではあるが、それは必ずしも内容まで"古い"ことを意味しない。非常にありふれた表現になってしまうが、ようやく読者が追いついた、と言いたくなるような、先鋭的な内容の"古い"本もある。
私が古本まつりに通うのは、そういった「先鋭的な内容の"古い"本」に出会うためでもある。ものそのものの稀少価値が高い本(例えば、著名な作家の初版本)に興味がないではないが、特段集めたいと思ったこともなく、やはり内容の方に強い関心がある。
「特に欲しい本もないんだよね」という人ほど、古本まつりに足を運んでほしい。目当てのタイトルを探すのに集中することがない分、棚に並ぶ本をフラットに観察できる。テキトーに一冊手に取って、パラパラとめくってみるだけでも、色々な発見があるはずだ。
古本まつりは、「きのう知らなかったこと」の宝庫である。
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