【宮島】神住まう、島の祈り|歴史が生んだ佳景(前編)
神の島の祈りの歴史
「安芸の宮島」とも呼ばれる厳島は、古名を「いつきしま」という。「神を斎き祀る島」ということだ。
島そのものがご神体である。常緑の深い森に覆われた山々が峻厳にそそり立つこの島の姿を、古代、船で行き交う海の民は畏れ崇めた。神域を侵すなど思いもよらず、瀬戸を隔てた対岸から遥拝、あるいはわずかに岸辺に上がって祈りを捧げた。
島には地元のひとびとにそのように祀られた、たくさんの神がいた。なかでもよく知られる嚴島神社は、縁起によれば593(推古天皇元)年に創建されたという。その名が公式に現れるのは約200年後、歴史書『日本後紀』に、
「伊都岐嶋神を名神に列し……」
と記されるのが最も古いものだ。瀬戸内海はすでに重要な交通路となっていた。要衝にあたる厳島は国家の保護を受け、地域の神としてばかりでなく、海上守護神として広く信仰を集めていた。市杵島姫命ら宗像三女神*と結びつけられるようになったのもこの頃だろう。
だが、一躍その名が広まるのは12世紀のこと。権力の絶頂にあった平清盛の、熱烈な信仰を受けてからである。
それまでの嚴島神社がどのようなものであったのかはわからない。が、それをいま見られるような、壮麗な姿につくり替えたのが清盛だ。長い回廊で結ばれた寝殿造りの社殿は、ご神体である島を傷つけることを避け、砂州の上に建てられた。潮が満ちれば、朱に塗られた大鳥居とともに海に浮かぶように立つ。清盛はじめ平家一族、貴族たちは都から往路1週間という長旅をものともせず、相次いで幾度も訪れ、船で大鳥居をくぐった。本殿を通して島を拝し、一門の繁栄を祈った。
当時、神仏習合が進みつつあった。清盛が金・銀・螺鈿で絢爛に装飾した経典を嚴島神社に奉納したのはそのためだ。いまに伝わる国宝「平家納経」である。その願文に、清盛はこう記す。
〈相伝えて云う、当社は是れ観世音菩薩の化現也〉
厳島の神は観世音菩薩なのだ、と。清盛は数多の僧侶を回廊と社殿に集め、盛大な「千僧供養」を催し、また楽師と舞人を呼び寄せて次々に舞楽を奉奏した。なんと華やかな、きらびやかな! 遠い都の洗練の極みにある文化が、瀬戸内のこの小さな島に花開いたとは。清盛はここに、極楽浄土の姿を夢見ていたという。
島に住むひとは長くいなかったが、やがて神に仕える内侍・神職らの館がつくられ始めた。時は流れ、経済力をつけた庶民が参詣に訪れるようになると、その相手をする商人が住みつき、門前町ができていく。現世利益を求める庶民の間で、厳島の神は七福神の一神で財運を司る弁財天なのだ、という話が広まると、さらに信仰を集めるようになる。江戸時代には参詣人を目当てに市が立ち、歌舞伎に相撲興行、富くじで賑わい、広島本土から遊廓が移され、厳島は物見遊山の観光地としてますますその名を高めていった──。庶民もまた、ここに楽天地を夢見たのかもしれない。
文=瀬戸内みなみ 写真=阿部吉泰
──この続きは、明日公開の記事「潮風薫る七浦で出会う、もうひとつの宮島」に続きます(記事全文は本誌でお読みになれます)。宮島で自然崇拝が生まれた背景には、その地形が関係しているといわれています。信仰の歴史は宮島に貴重な植生をもたらし、弥山原始林は嚴島神社とともに世界遺産に登録されました。本誌では、自然に詳しい専門家とともに宮島をめぐり、この島の美しさに迫ります。宮島の美しい写真と共に、ぜひお楽しみください!
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