新1万円札の顔・渋沢栄一が、現代を生きる私たちに語りかけること
文=渋澤健
100年以上読み継がれる『論語と算盤』
新しいお札の顔として注目を集める渋沢栄一。多くの事業を興し、「日本資本主義の父」とも呼ばれる彼の言葉を集めた講演録が『論語と算盤』だ。
『論語』は、古代中国の思想家である孔子の教えをまとめたもので、道徳などについて述べている。渋沢の場合、ただこの『論語』について説明しているのではなく、同時に算盤、つまり経済について論じているのだ。道徳と経済活動が一致すべき、それが渋沢の考えであった。
この『論語と算盤』は、1916(大正5)年に初版が刊行されてから現在に至るまで、経営や生き方の参考として、じつに多くの人に読み継がれてきた。ただ、やや難しい言い回しの多い書籍であるので、少しハードルが高いように感じる人もいるかもしれない。
渋沢が生きたのは、日本の社会が近代化に向けて大きく舵を切った変化の時代であった。当事者が好もうが好むまいが、変化は否応なく訪れるものだ。そして、社会が変化する時代に、人々がかならずぶつかるのが、「本当に大事なものは何か?」という問いであろう。
変化のなかで渋沢が目指していたのは、国民が豊かに、機会平等な社会で暮らせることであった。また、当時の日本社会には、西洋に追いついたことで、おごりのようなものがあった。それを一度リセットし、なぜ自分たちが発展できたのかを見直し、原点回帰しなければ、子どもたちに豊かさをバトンタッチできないかもしれない、そういう危機感も渋沢にはあったように思われる。
一人ひとりの行動、思いというものはけっして無力ではない。ベクトルを合わせられれば、大きな時代変革を起こすことができる。今は、そんな時代の節目を迎えているのではないかと考える。
新1万円札の肖像が示唆する
サスティナブルな社会
そんななかで渋沢がお札の肖像になるということには、少なくない意味がある。渋沢がお札になると発表されたのは、令和の発表と同じ時期であったから、新しい時代の国のあり方の象徴といえるだろう。
同時に発表された千円札は、日本近代医学の父として知られる北里柴三郎。五千円札は、女子教育の先駆者である津田梅子だ。サイエンスと女性の活躍、そして事業の発展が日本には必要なのだというメッセージと捉えることができるだろう。そして渋沢の事業であるから、Meだけが利益を求める事業ではなく、Weの事業である。令和時代のサスティナブルな社会に、そういった意識が必要だということを表しているといえるだろう。
渋沢が行なってきたことは、今の時代が必要としているものごとに見事にシンクロしている。だから『論語と算盤』は読み継がれ、今また、大きくクローズアップされているのではないか。時代が『論語と算盤』を呼び起こしたともいえるだろう。
私は渋沢栄一の玄孫(5代目)にあたるが、じつは渋澤家が『論語と算盤』を代々受け継いできたというわけではない。私自身、大学までアメリカにいたこともあり、40歳くらいまでは渋沢栄一といえば昔の人というイメージであった。しかし、実際に『論語と算盤』を読み始めてみると、今のことにあてはめて解釈すれば使えると気づいたのだ。そこからブログなどで言葉を紹介しはじめ、現在は定期的に勉強会を開かせてもらうまでになっている。
お札が刷新されたいま、『論語と算盤』を現代の生活やビジネスにどう役立てていくかを考えてみてもいいのではないか。
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