さばの

躁鬱病歴3年。障害者雇用で働きながら必死に生きてます。 母は宗教2世そして癌患者。 実父とは30年間会ってませんでした、 そんな私の家族の話を書いてます。

さばの

躁鬱病歴3年。障害者雇用で働きながら必死に生きてます。 母は宗教2世そして癌患者。 実父とは30年間会ってませんでした、 そんな私の家族の話を書いてます。

最近の記事

実父とその奥さんと躁鬱の娘の話

さて、今日は珍しく二本連続であげます。 (前回記事も読んで頂けますと嬉しいです) 今日は先程、実父とその奥さんと私の彼氏とお婆ちゃんの一周忌に行って来たのである。 このほかほかした気持ちをすぐ書きたいと思い、帰って来てくたくたの状態でこの記事を書いてます。ホットな気持ち大事にしたい。 過去の記事を読んでる方はお分かり頂けると思うのですが、30年間会ってなかった私の父は控えめに言ってやばい奴なのである。 昭和に取り残された様な感性を待ち、話し出すと止まらない、湘南乃風もビ

    • 宗教2世の母が癌摘出手術をした話

      前回noteに書いたKing Gnuの記事が多くの人に読んでもらい、有難い気持ちです。 沢山、King Gnuのファンの方から励ましのお言葉を貰い、有難うオリゴ糖…と皆様の優しさを噛み締めております。 さて、King Gnuの記事を書いた際にDome TourTHE GREATEST UNKNOWNの東京ドームに参戦すること書いたのですが、無事参戦してきました! ライブ自体はめちゃくちゃ楽しかったのですが、その前後で私のメンタルは死んでおりました。 というのも前々回の記事で

      • コロナ禍で全て失った躁鬱の私がKing Gnuに救われた話

        このnoteを書き始めてから、躁鬱病になってからのことを思い出して書き留めてるのですが、(フラバしてまた鬱になるのを繰り返してなかなか進みませんが、いつか載せたい)そんな躁鬱の私にとって、切っても切り離せない心の支えとなってるバンド、King Gnuの話を今日は書きたいと思う。 何故ならメジャーデビュー5周年だから!めでたい!生の鯛を差し入れしたい位である。 (過去にKing Gnuはオカモトズに生の鯛を差し入れして、ハマオカモトにブチギレられた逸話がある。一番好きな話。)

        • 躁鬱の娘と30年振りの父と宗教2世で癌の母の話

          お久しぶりの投稿です。 相変わらず詰め込みすぎのタイトルに初見の方はまずドン引きのこと間違い無いですが、全て事実な話で自分でも相変わらず引いてます。 去年の8月に実父と会ってから更新が途絶えてましたが、その間色んなことがあり鬱がひどくなり更新ができませんでした。 そのことの有り様をざっと書くと 去年の9月に母が抗がん剤の影響で、働けなくなり遂に生活保護を受給することになりました。 宗教2世、癌患者、生活保護 母の肩書きがどんどん増えていきます。 そのお陰で巻き込まれ事故

          躁鬱の私が生き別れの父と初めて会った話

          まず、最初に実父と会ってから1週間以上が経ち、この記事を書こうと思ってたら、母の入退院、実父との初めての邂逅、そして仕事のストレスにより、心因性の微熱が何日も続き、躁鬱の症状も相まってこの1週間地獄の様な日々を送ってました。 なので初めに書くが、この日のことは実はあまり良く覚えてない 理由は後述に記載するが、何ともまあ凄い1日だった。少しずつ思い出しながら書いてこうと思う。 台風が関東を過ぎ去り雨が残る8月9日。 父と会う前日。 私は母の入退院のバタバタや父と初めて会うと

          躁鬱の私が生き別れの父と初めて会った話

          癌になった宗教2世の母の入院騒動の話

          8月も終わり、まだまだ暑さが残る9月1日 生き別れの父からは相変わらず、ポエムなメールが届き、パパ活女子みたいなやり取りを父と繰り広げこれが本当のパパ活…と思いながら、父に会う日の為に何ヶ月かぶりに髪を切りネイルし小綺麗にしていた日、母からLINEが届いた。 職場復帰をし何日か経った母はその日も仕事で、帰宅途中に発熱したと連絡が届いた。 コロナが流行る昨今。 抗がん剤治療で免疫力が下がってる母の発熱は心配である。 しかし、1回目の抗がん剤治療の際にも微熱が出たので、その日

          癌になった宗教2世の母の入院騒動の話

          躁鬱の娘と生き別れの父がレスバトルをした話

          まず最初に書こう。 これは生まれてこの方、会ったことない父に躁鬱の娘である私がブチギレて、ショートメッセージでディベートをした話である。 前回、こちらの記事に生まれて30年間会ったことがない父から、手紙が届き30年越しに悲願の再会をする事を書いた。 有難いことに彼氏を始め親族、友達周りからは応援の言葉をもらった。 父に焦がれ数十年間、燻り続けたこの想いがやっと父に会うことで叶う。そう私は思ってた。 しかし、8/22。 躁鬱で体調がイマイチ良くなく仕事を早退し、抗がん剤の

          躁鬱の娘と生き別れの父がレスバトルをした話

          癌になった宗教2世の母を坊主にした話

          8月も終盤に差し掛かり、コロナと生き別れの父からの手紙に右往左往していた私は、母に約2週間ぶりに会うことになった。 この2週間、コロナの後遺症なのか倦怠感が残り、体力を回復させながら生き別れの父と会った時のことを考えていた。 (会う流れになった話はこちら) 万が一、コロナを母に移してしまったら、免疫力絶賛低下中、且つ糖尿を患ってた母は完全にアウトになってしまう為、会うのをお互い控え、毎日、生存確認だけは連絡を取り合いながらしているそんな日々だった。 娘の私がコロナと実

          癌になった宗教2世の母を坊主にした話

          躁鬱の私宛に生き別れの父親から手紙が届いた話

          母の抗がん剤治療から数週間後の8/8私は人生初のコロナになっていた。 コロナは風邪とか言った奴は誰だよと心底思いながら、夏風邪に比べ体力がゴリゴリに削られる苦しみを味わってた。 同居してる彼氏は高熱を出し、私は喉の痛みだけと軽症だったが、体力が削られヘトヘトになりながら、彼の介護をしてたら、スマホの通知が立て続けに鳴り響いた。 こういう時は大抵、母である。 鼻が詰まり頭がよく回らない中、LINEを開くとやはり母からだった。 抗がん剤の副作用が遂に来たかと身構えLINEを見る

          躁鬱の私宛に生き別れの父親から手紙が届いた話

          癌になった宗教2世の母の抗がん剤治療1回目の話

          関東が梅雨が明けを迎えて数日の7月25日 母の抗がん剤治療第一回目が始まった。 抗がん剤治療には個人差があるらしく、どうなるかわからない状態で、本人も周りも不安のまま今日を迎えた。 前日、母はというとあっけらかんとした様子で、明日の抗がん剤治療に向けて色々と部屋を整理したと言っており、辛くなるであろう治療の中で、少しでも癒されたらとメルカリで、母の好きなEXILEのATSUSHIのポスターを買った。 出品者の方に事情を話し早めに送ってもらうとこの様なお手紙と共におまけの

          癌になった宗教2世の母の抗がん剤治療1回目の話

          癌になった宗教2世の母の病院に躁鬱の娘が付き添った話。

          久々に会った母は笑顔で、 「大丈夫、仏様がついてるから」 と病院に向かうバスを待ってる間、そう呟いた。 7月11日、梅雨も明けてないのに猛暑真っ盛りのこの日。 急遽、仕事を休み医師から、母の癌の進行状況や治療方針を聞くために病院に向かう支度をしてた。 電話では気丈に振る舞い早期発見だからと言っていた母だったが、事態は深刻かもしれない。 そう思い緊張の面持ちで、前日、私は躁鬱が爆発し意味不明な言葉を喋り、部屋の中でぐるぐる犬の様に回った後、死んだ様に眠りこけていた。 そん

          癌になった宗教2世の母の病院に躁鬱の娘が付き添った話。

          癌になった宗教2世の母と躁鬱の娘の私の話

          蒸し蒸しと暑い7月、母が癌になった。 「大丈夫、早期発見だから気にしないで」 と気丈に振る舞う母の声はいつもより早口で、普段から明るい彼女から焦りを感じ取った。 その日の夜、関東地方を襲った雷雨と共に 15年前のことを思い出してた。 15年前、母を毎日の様に殺したいと思ってた私が、今じゃ母の癌に直面して動揺し煙草をバカバカと吸い、胃痛まで起こしてトイレで吐いてるもんだから、不思議だなと思った。 娘は躁鬱、母は癌。 宗教3世と2世なのにどうしてこうも病気になるのか。神も仏もな

          癌になった宗教2世の母と躁鬱の娘の私の話