癌になった宗教2世の母と躁鬱の娘の私の話
蒸し蒸しと暑い7月、母が癌になった。
「大丈夫、早期発見だから気にしないで」
と気丈に振る舞う母の声はいつもより早口で、普段から明るい彼女から焦りを感じ取った。
その日の夜、関東地方を襲った雷雨と共に
15年前のことを思い出してた。
15年前、母を毎日の様に殺したいと思ってた私が、今じゃ母の癌に直面して動揺し煙草をバカバカと吸い、胃痛まで起こしてトイレで吐いてるもんだから、不思議だなと思った。
娘は躁鬱、母は癌。
宗教3世と2世なのにどうしてこうも病気になるのか。神も仏もないと思う。
15年前の8月の話をしよう。
その日も雨が凄く台風が関東に上陸する前の日だった。
雷の音と一緒にどどどどドンと凄い音を立てて、母は階段から転げ落ちた。
死んだかなと私は思い慌てて下を見ると
「痛え……」と腰を打ったのか廊下で、腰を押さえのたうち回る母がいた。
何だ生きてるじゃん。
そう思った直後に「お前ふざけんなよ」と聞こえたから咄嗟に部屋に籠る。
直後に祖母が「由紀子、やめなさい!さばの部屋から出なさい!」と喚いていた。
私が小学校2年生の時に再婚した母は養父から、モラハラや経済DVを受けていて、毎月のクレジットの明細は勝手に見られ、生活費は4人家族なのに毎月2万。
僅かばかりの母のパート代は生活費に消え、こう書くと養父が全てにおいて悪く、高校生の娘である私も母を思いやれと声が聞こえると思うが、母は僅かなお金を祖母の代から入会する宗教に使いこんでいた。
小学生の頃、そんな父のモラハラから逃げる様になった母が私に暴力を振るう様になり、学校でも馴染めなくなった私は、引きこもりになり中学時代部屋に閉じ籠ることが多くなった。
高校生になってから、その時、援助したお金を返せと言わんばかりに母は、私がバイトする様になると毎月の様にお金をせびる様になった。
これが母の為と最初は思うが、まだ15.16のガキである。反抗期真っ盛り、母は更年期真っ盛りなので、そりゃあ対立することになる。
宗教3世の私は、物心つく前から親や先祖には感謝しなさいと教え込まれ、それが当たり前だと思っていた。
刷り込みとは怖いものだ。
しかし、流石に毎月最大3万、高校生のアルバイト代から持ってかれるのは癪なものである。
そして、その日も母は私からお金を無心してきた。
いくらだったかは覚えていないが、理由は携帯代が払えないとかだったと思う。
怒鳴るように私にお金をせがむ母と2階の廊下で口論になる。ブチギレる私。発狂する母。1階から聞こえるのは耳の悪い祖母のえ?!なんて?!という叫び声。地獄である。
断ると引きこもり時代のことを引き合いに出され、怒鳴られ殴られる。そして泣かれるのである。最悪、教会に連れてかれなんか偉い人にうちの娘が協力してくれないと言われるのである。非常に面倒臭い。
そう思った時に学がないガキの私が思いついたのが母を殺すことだった。
母が「もういいわよ!」と叫び1階に降りる瞬間、母の背中をドンと押した。
そして、冒頭に戻る。
私の部屋のドアを叩きながら泣き叫ぶ母、それを止めながらお経を唱える祖母。
この世の終わりである。
兎に角、あの時は家族の中でいつバトルロワイアルが起きてもおかしくなかったと思う。
その引き金が私により引かれてしまったのだ。
そして、暫くして部屋のドアを叩く音が消え、祖母に宥められ母の泣き声が聞こえなくなったあと、これで少しは懲りたかなと思い罪悪感と共に私はベッドの中で、安堵していた。
しかし、数時間後、教会で私の住んでいた地区を管轄してた地区長のおばちゃんが、襲来。
ババアがババアを召喚したのである。
地区長のおばちゃんに仏間の前で、母と共に懇々と説教をされ、親とは何か子とは何か仏の教えとは何かと2時間も聞かされ、諭された。
今の私にしたらうるせーーー!!!しらねーー!!!final fantasy!!!で終わるのだが、しかし、流石、洗脳されて15年の私である。
おばちゃんの言葉に涙をし、同じく泣きじゃくる母と共に抱き合い謝罪をしあったのだ。
頭がおかしいと今では思うが、そうしていかないと、母と私は生きれなかったのだ。
宗教しか救いがなかったのだ。
母にとっては今もそうだ。
宗教と私しか救いがない母が癌になり、今何を思うのか。
そして、宗教に染まった家庭で育ち、躁鬱になった私が今何を思うのか、母の癌を通して少しでも神仏に抗って死に物狂いで生きてやろうと思い、母の闘病の記録と共に私と母の半生でも綴ろうと思ったので、これから時々、綴っていこうと思う。
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