躁鬱の私宛に生き別れの父親から手紙が届いた話
母の抗がん剤治療から数週間後の8/8私は人生初のコロナになっていた。
コロナは風邪とか言った奴は誰だよと心底思いながら、夏風邪に比べ体力がゴリゴリに削られる苦しみを味わってた。
同居してる彼氏は高熱を出し、私は喉の痛みだけと軽症だったが、体力が削られヘトヘトになりながら、彼の介護をしてたら、スマホの通知が立て続けに鳴り響いた。
こういう時は大抵、母である。
鼻が詰まり頭がよく回らない中、LINEを開くとやはり母からだった。
抗がん剤の副作用が遂に来たかと身構えLINEを見ると
大変!!あんたなんかした?!本当のお父さんから手紙が届いてる!!
という文面と共にびっちりと文字が書いてある絵葉書の添付写真が送られてきて、斜め上の連絡に私は目を丸くした。勿論、私は何もしていない。
30年前この世に生を受けた私は、母のお腹から出た時には既に父はいなかった。
母と父はお腹に私を身籠ってる時に離婚をし、物心つく頃には父親の存在がない事は当たり前で、小さい私は父親という存在に焦がれ、叔父に父になってほしいと泣きながら言ったこともあった。
小2の時に母が再婚し私が小さい頃から望んでた父親ができた。
しかし、養父は母に対してモラハラををする躁鬱病患者で、(血が繋がってないのに受け継いでしまった。)そのせいで母もヒステリーを起こし、家庭環境は複雑になりモロに母からの金銭搾取などを受けてた私は、10代の多感な時期を引きこもりや家出を繰り返すなどをし、影響をもろに受けた
(その時の話はこちらの記事に少し書いてあります。)
側から見たら最低な養父だったし、私から見ても全ての元凶を作ったクソ親父だったが、一人娘の私には優しくやりたいことを何でもさせてくれて、私が結婚するまでの間、血の繋がりのない私のことを大事に育ててくれた養父には、今でも憎しみつつも多少なりと感謝している。
私の結婚後、母と養父はしれっと離婚をして、彼との養子縁組を私は解消したのだが、今でも私は彼のことを父親として思っている。
そう、私の父親と呼べる人はこの30年生きてモラハラ躁鬱のクソ養父だけなのだが、ここに新たに血の繋がった本当の父から連絡がきたのだ。
血の繋がった父のことは、母や叔母から話を聞き、アルバムで写真を見た事がある位だった。
オタク気質で趣味のマラソンに没頭し、収集癖があるという。大好きなジョジョの岸辺露伴のグッズをアホみたいに買い漁り収集してた私と全くもって一緒である。
29歳になった時にふと、30歳になる前に本当の父に会いたいなと父親焦がれムーブを起こした私は、SNSで父の名前を検索し、母や叔母に確認して本人のアカウントと写真を見つけ、彼に連絡を取ろうとしたり、戸籍をたどり住所に手紙など送るなど、あらゆる手段を使って、父と連絡を取ろうとしてた。
しかし、SNSの返信は返ってこない、手紙は返送され、本当の父に会いたいよ〜しくしく片親だよ〜しくしくとこの1年周りにネタにしてきた。
そんな、ネタにし擦り続けた父から、まさか本当に手紙が届くとは青天の霹靂である。
母は癌になり私はコロナになり生き別れの父から手紙が届く、この夏、濃すぎるだろ。
まず、私が離婚してから数回は引っ越してる為、住所をどう知ったのか気になる所だが、母から添付された手紙をコロナで回らない頭で、じっくり読んだ。
距離感おかしくね?
え、生まれてこの方会ってないんですが、久しぶり!元気?みたいなテンションで来られても…と戸惑った。
距離感もそうなのだが、一番戸惑ったのは最後の一文
どんな裁きが下るのか楽しみにしてます。
怖えよ!!!!!小さく無理に書く必要あったかこれ?!
本当の父親の距離感の近さと文章のヤバさに戸惑いつつ、母から送られてきた表面の写真を見ると、趣味のマラソンを嗜む父の写真が貼ってあった。歳の割には筋肉がついていて、シャキッとしていた。
これが私の父…
複雑な思いでスマホの画面越しにその写真を見た私は、気づいた時には父に返信の手紙を書いていた。
私も会いたくて連絡を取ろうとしてた事、数年前に離婚をし、躁鬱病になり、今は障害者雇用で働いてる事、今も交通機関に一人では乗れない事、母が癌になった事、今は彼氏と暮らしてる事、ここ何年かのことを文字に認める。半ば30年間連絡を取ってくれなかった皮肉も込めて、書き記した。
そしてコロナの療養期間が明けた後、今の私の写真を添えて父に会いませんか?と手紙を送った。
8/18父から2通目の手紙が届いた。
今度は分厚い封筒で届き、厚さから様々な想いを感じ取った。
これは面白いかもと私はすぐ様、配信を始めリスナーの前で手紙を読み上げた。
好奇心から始めた配信だったが、今思えば、あの時の私は、誰かに見守られながらでないと、怖くて堪らなかったのかもしれない。
手紙は6枚に渡って父の様々な想いが、綴られており、母や母の親族とうまくいかず、それが原因で会いに行けなかったこと、父の母(私からしたら祖母)が今年の初めに亡くなり、財産のことが出てきた為、私と連絡を取ったことこれから私に対して会って今後のことを話し償いをしたいなど書いてあった。
手紙を読む度に配信に来てたリスナーは、父に対して身勝手すぎる、上から目線だ、怖すぎるなどと怒ってくれた。私もそう思う。
しかし、手紙を一枚一枚捲る度に文字数や枚数の多さ、そして鉛筆で下書きを何度もした形跡から、父の懺悔の念がひしひしと伝わった。
私の病気に関してもこう触れている。
うるせ〜〜!!!!!他人なんか知らねよ〜〜〜〜!!!!𝑭𝑰𝑵𝑨𝑳 𝑭𝑨𝑵𝑻𝑨𝑺𝒀!!
と思い少しムッとするもそれでも、娘の人生の節目に立ち会えなかったこの人にはわからないんだなと思うと父のことが不憫になった。
追記の部分にはこう続く。
もうツッコミが追いつかない。
オリンピックのこと言いたかったのかな…
しかし、手紙の最後には連絡先と会いたい日が書いてあった。
私はすぐ父に連絡をした。
もしかしたら電話かかってくるかもねなんて、リスナーに言いながら待ってると、返信がすぐ届いた
どうだ?????????????
どうだとは何??????
父からの先制パンチにリスナーも私も困惑する。
しかし、流石に電話するのは気が引けたのだろ。
ショートメッセージでの返信に安心し、父に会いたい意思があることを伝える。
すると、続けて父から長文の返信で、これから生活の援助をしたい財産もあげたいなどと書いてあるから、父の本気を感じ少し動揺してしまった。
私は金銭のことより先に先ずは会ったことない父親に会いたいと言う気持ちだけだったし、クソだとはいえ私の父は養父なのである。様々な思いが入り混じり、テンパってしまう私をリスナー達が心配しながら、見守る。
正直な思いを書こうと今、金銭どうこうより会ったことない父親の貴方に会いたい、しかし、私には育ててくれた養父がいてその人が私にとっての父なので、貴方のことを素直に父とは呼べないしかし会いたいのは本当です。
そう返信した。
すると、父からは日時と場所だけ送られてきた。父と呼べないと言った私の言葉を彼はどう受け取ったのか、わからないがリスナーが見守る中、生まれてこの方会ったことがない父と来月の初めに会う約束を取り付けたのだった。
みんなが見守る中、父とのやりとりが終わり配信が終わったあと、遂に父に会えるという高揚感と罪悪感が襲ってきて、気持ちが不安定になった。
生まれてから30年、私は引きこもりになり、高校を2度も中退し、躁鬱になり、最悪な結婚生活の上バツイチになり、好きな男に振られ、ヤケになり自殺未遂を起こすなど、ロクな人生を歩んでないのだ。
全く父に誇れる人生ではなかったのだ。
そんな私が父に会っていいのかがっかりさせないかと不安にもなったし、父がどういう人かわからない不安もあった。
母や叔母は父に会うことを賛成してくれて、父の人柄は私にそっくりだから、きっと意気投合できると言ってくれた。そりゃ、趣味に没頭するオタク気質なところを引き継いでる。きっと私の陰の部分はこの父に似たんだろうと思うが、やはり不安なのだ。
彼氏や友達にも「覚悟して会った方がいいよ」
と言われ期末試験が迫って焦るそんな学生時代の焦燥感が沸々と湧き上がった。
父に会うまであと1ヶ月。
私は気持ちに折り合いをつけれるのか、父と会って何を話せるのかそんなことを考えながら、今日も父から来た手紙を眺める。
30年会ってなかった人を親と思えるのか…
そんな思いが溢れながら、今この記事を書きながら、父と会ったことも後にノートにまとめていきたいと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?