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コロナ禍で全て失った躁鬱の私がKing Gnuに救われた話

このnoteを書き始めてから、躁鬱病になってからのことを思い出して書き留めてるのですが、(フラバしてまた鬱になるのを繰り返してなかなか進みませんが、いつか載せたい)そんな躁鬱の私にとって、切っても切り離せない心の支えとなってるバンド、King Gnuの話を今日は書きたいと思う。
何故ならメジャーデビュー5周年だから!めでたい!生の鯛を差し入れしたい位である。
(過去にKing Gnuはオカモトズに生の鯛を差し入れして、ハマオカモトにブチギレられた逸話がある。一番好きな話。)


明るくKing Gnuの魅力について語りたいのだが、躁鬱役満人生の私の半生も書いてるのでちょっと暗いと思います。
読んでてしんどいなと思ったからそっと閉じてください。

King Gnuはギターボーカル常田大希さんを中心に井口理さん、新井和輝さん、勢喜遊さんからなる4人組バンド。
紅白に2回も出場し、去年の11月時点で代表曲「白日」は、オリコン週間ストリーミングランキングで5億回再生もされるという、今じゃ知らない人は殆どいないんでは?と思うバンドだ。

近年の私のSNSはもっぱら彼らのことばかり描いているのだけど、そこまでハマる切っ掛けになった理由は、彼らの今の私はお陰で生きてると言っても過言ではないからである。


遡ること2020年、その年は兎に角ボロボロだった。
コロナがはじまり職も家庭も失いかけ、更には持病の躁鬱の進行。
私は絶望のどん底にいた。
毎日、何をしてもどう足掻いても何も報われない、緩やかに落ちていき足元が崩れていくのを見てるだけしかできない、そんな日々の中だった。

当時、働いてたアパレルショップは、コロナ禍の影響で常に閑散としていて、その日も従業員の私はただ一人、やることもなく誰もいない店内に鳴り響く有線を聞いていた。
この時の私は躁鬱病になってから、半年くらいが経っていて、未だに病気との向き合い方がわからず、毎日、言うことを聞かなくなった体と闘い、病気のせいで関係が悪化していた元夫のこと、そして突如として訪れた流行り病に毎日、頭が不安で一杯で日々を送るのが精一杯だった。
職場のレジでやる事もないまま、ぼーっと突っ立ていて、このまま仕事も家庭も放ってどこかに逃げてしまおうかと考えてたら、有線から流れてきた曲を聴き入ってしまい、心が奪われたのだった。
それがKing Gnuの飛行艇だった。

代わり映えがしない日常の片隅で無邪気に笑えてたらいいよな

そのフレーズがボッーとした私の頭の中でぐるぐると鳴り響き、曲が終わるまでの間、胸が熱くなったのを今でも覚えている。
特に私が衝撃を受けたのがボーカル井口さんと常田さんの声だった。
男性とは思えないその優しい井口さんの声と常田さんの力強いに歌声にひどく心を打たれた。

それから、帰って何となくKing Gnuのことを調べ始めて、飛行艇をはじめ過去の楽曲を聴き、どの曲も自分の事の様に重ねて聞いた。
こんなにバンドにハマるのはいつぶりかという感じだった。
過去に好きだった音楽は、ヴィジュアル系に始まり、J-popを経て邦楽ロック、テクノなど、ハマるグループはいてもそこまでのめり込むものではなかった。
なのにKing Gnuにはどこか人が惹かれる魅力があり、vinylのPVにまるで自分を重ね、メンヘラを極めた私はなんて人の心に寄り添ってくれるバンドなんだろうと思った。

それからはKing Gnuにずっぷりとハマった。
楽曲は勿論全て聴き、Srv.Vinci(King Gnuの改名前のバンド名)の頃の楽曲を漁り、井口理さんのラジオには毎週メールを送り、出てる媒体はすべてチェックし、ファンアートも描く様になった。

初めて描いたのは常田さんでした


そうやって、King Gnuが生活の支えになっていった。
それでも、世間の波には逆らえず井口さんのオールナイトニッポンが終わる頃と同時に仕事も失い、その影響で躁鬱が酷くなった私は、家庭も大事な友達も失った。

ちょっと前までは夜行バスで遠征して、元気に毎日好きなものを見ていた私が、明日どうなるかわからない毎日の中、夜中に奇声を上げて徘徊したり、毎日吐き続け何も食べれなくなってしまった。生きる意味もわからなくなり、どん底で毎日の様に自殺未遂を繰り返して、ボロボロの状態だった。

それでも、やっぱり心の支えはKing Gnuだった。
離婚して疎遠になってた母と住むことになり、ギクシャクした親子関係の中、新しい生活に不安が募る中、新居に着きたまたまつけたスペースシャワーTVの King Gnu特集を母と見て「これ、さばのちゃんが好きなヌーさんよね」と初めて話してくれたことを今でも覚えてる。
あの時、流れたPVはThe holeで当時支えてくれたものや仕事、全てを失ってしまった私にはひどく沁みたのだ。 


コロナ禍でどんどんライブやイベントが中止になる中、King Gnuのライブツアーも中止になった。
メンバーもスタッフさんもあの時は苦渋の決断だったと思うし、SNSでのメンバーの言葉から、それがひしひしと伝わってきたのを覚えている。

そんな中、King Gnuは配信で無観客ライブKing Gnu streaming LIVEを配信してくれた。
私にとって、それが初めてKing Gnuのライブをちゃんと見た瞬間だったかもしれない。
病気になってから、ライブの映像を見るのが怖くてみれなかったのだ。
というか、病気のせいでライブに行けないから、ライブを楽しんでるファンの人達を見たくなかったのかもしれない。
そんな私にとって無観客ライブは、観客が誰もいない、King Gnuのメンバーとそして画面の向こうの一人一人に向けられたものだったから、久しぶりに私はライブというもの見れたのだった。
そして、無観客の中、汗だくになりながら画面の向こうの人達に向けて、歌い演奏するメンバーにただただ、凄いと感動したのだ。
そして、これいつか生で見てみたいと思うようになった。


そこから、目標がKing Gnuのライブに行くことになった。
コロナ禍の中での体調面の管理、仕事との両立、気分の波と戦う日々だった。
電車も人と一緒じゃないと乗れない。
人混みがダメ、大きい音がダメ。
ライブなんてもう一生行けないそう思う日々だった。
でも、King Gnuの音楽があればなんでも乗り越えられる気がした。
何度も何度もあのライブ映像を思い出して、King Gnuの音楽を生で聴きたい。
ただその気持ちだけだった。

そして、2021King GnuライブツアーAW
コロナ禍の中初めて行われたKing Gnuのライブに参戦することができた。
ライブ当日は久々の電車人混みで心臓が破裂しそうになりながら、会場に向かった。
ライブ会場のさいたまスーパーアリーナは、多くの人でいっぱいで、不安に押し潰されそうになりながら、開演時間が始まるまで、人が少ない場所に座りながら、時間が経つのをゆっくり待った。
席に座ってからもドクンドクンと負の感情に押し潰されそうになるのを堪え、今なら帰れるのではと頭の中で葛藤しながら待っていたら、辺りは暗くなりその瞬間、彼らの演奏が始まりそんな考えはすぐに吹き飛んでしまった。

初めて生で見たKing Gnuは何もかもが格好良かった。
そして何もかもが楽しくて病気のこともそのライブの時間だけは忘れられていて、普通の人と同じ熱狂の中に入れる自分が凄いそう思えた。
目の前で井口さんが歌い常田さん新井さん勢喜さんが音楽を奏でている。
そう思うだけで勇気が湧いたのだった。 

初めて行ったKing Gnu LIVE

それから、3年が経った。
あれから、持病とはうまく付き合いながら仕事をし、ライブも毎回行けるくらいには体調管理も上手くなった。新しいパートナーとも出会い、なんとなく毎日を過ごしている。

King Gnu Stadium Live Tour 2023 CLOSING CEREMONYではコロナが緩和され初めてのライブでは声を出せる様になったのだ。
それまでは声が出せず拍手やスマホのライトで応援してたけど、今度は私が彼らに声を届けることができたのだ。

日産スタジアムは前日に大雨で開催が危ぶまれてたけど、そんな事も感じさせない位、晴れ渡った空に開幕の狼煙が上がり、飛行艇が鳴り響き、命揺らせと心揺らせと本当に揺さぶれる様な歓声にそれだけで涙が出そうになった。

そして、もうすぐ、King Gnu Dome TourTHE GREATEST UNKNOWNの東京ドームに参戦する。
ライブの前って本当ドキドキそわそわして苦しくなるんだけど、これは私だけなのかわからないけど、それでも行くとやはり会場が一体化した空気感が大好きで、行くのがやめられないのである。
病気の私が人として生きてる!と感じる瞬間なのである。
それを改めて教えてくれて支えになってくれたKing Gnuを生で見れることが、やはり嬉しいし、何よりKing Gnuの曲を生で聴けるのが嬉しい。
今回はアルバムアレンジが凄いからとても楽しみにしている。
それまでに体調を整えなきゃなと思いながら、この記事を書いている。

彼らの音楽に救われたのはきっと私だけじゃ無いと思う。他にも沢山いて、それが名前の通りヌーの群れのように群がって大きくなっていく。
そんな群れの先頭を悠々と素敵な音楽をかき鳴らしながら歌う彼らにこれからもついていきたいなと思う。そして色んな景色を見せてほしい。

歓声も罵声も全部飲み込んで、一歩ずつでいいから、今日も明日も私は彼らの音楽と共に命を揺らして生きていこうと思う。


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