躁鬱の私が生き別れの父と初めて会った話
まず、最初に実父と会ってから1週間以上が経ち、この記事を書こうと思ってたら、母の入退院、実父との初めての邂逅、そして仕事のストレスにより、心因性の微熱が何日も続き、躁鬱の症状も相まってこの1週間地獄の様な日々を送ってました。
なので初めに書くが、この日のことは実はあまり良く覚えてない
理由は後述に記載するが、何ともまあ凄い1日だった。少しずつ思い出しながら書いてこうと思う。
台風が関東を過ぎ去り雨が残る8月9日。
父と会う前日。
私は母の入退院のバタバタや父と初めて会うという緊張感から、ついに体に来てしまい微熱を出してしまった。
(母の入退院騒動の話はこちら)
前日8日、大雨が降る中、心療内科に受診しいつも穏やかで話を聞いてくれる先生も今まで見たことないくらいの顔で驚き「こんなの誰も経験しないから、ストレスになるのは当然だよ」とお墨付きをもらったばかりだった。
父と会うことに関しては手紙を見た友人、親族、様々な人から賛否の声があった。
https://note.com/hmgk_k/n/n2be4e4f1e724
(父から手紙が来た話はこちら)
確かに、手紙の内容やメールの内容から、漂うヤバさと世間知らず感は拭えず、親友の1人は会っても碌なことにならないから、辞めろと言っていた。
会うことに関しては私もずっと葛藤をしていた。
もし、今更、戸籍を父の方に移せと言われたらとか近くに引っ越せなど言われたらとか考えていた。
しかし、友人達が懸念してたのはやはり父のヤバさなのだった。
会うまで父とはショートメッセージでやり取りをしてたのだが、毎日連続で長文のメールが10件以上送られてくるのだ。発狂ものである。
話の内容は自分の好きなものや父の家の伝統の話など、9割自分語りである。長文の俺通信。これがキャバ嬢で言うところの痛客か!と思い、元キャバ嬢の友達からコツを聞きながら、流し読みしながらメールを毎日返信していた。
ここまで読んだ方は思うだろう。
絶対、まともな人ではないと。
私もそう思う。実際そうだった。
しかし、彼氏や賛成派の友達、そして心療内科の先生からの「会わないとさばのさんは、きっと後悔する」「生い先短い父の為に会ってみたら」と言う助言が後押しになり、会う決断をしたのだった。
何より、私が長年父というものに焦がれてたから、会いたかったのだ。
この自分の気持ちを大事にしようと思い、熱が出る身体を下がれ下がれと思いながら、冷やしてその日は寝た。
そして、8月10日当日。
願いが通じたのか最近の冷却シートが凄いのか、熱はすっかり平熱に戻り、私は緊張した面持ちで鏡に向かい準備をした。
普段はロリィタ服や原宿系ファッションを好む私は、今日はせめて化粧は薄く服装も大人しめにする。
普段、ヒップホップファッションが好きな彼氏も黒のワイシャツと大人しめな服を着て、緊張で震える手に寄り添う様に手を繋いで家を出た。
待ち合わせ場所のファミレスまで来ると父の姿はまだなく、昼時だからか店内は混み合ってたので、名前を書いて待つ。
緊張して顔は強張っていく。
緊張を解すように彼氏と談笑をしながら、渋滞で遅れると父からのメールを貰い、先に席で待っていた。
待ちながらどんな顔をしてるのだろうとか何を話そうかとぐるぐる考えていた。
その時間がとても長く感じた。
そして様子を見に行ってた彼氏が
「さばの、来たかも」
と声をかけると思わず立ち上がり目の前にハンチング帽を被った小柄で優しそうな男性が笑顔で入ってきた。
父だった。
初めて、父に会った瞬間だった。
父は座ると開口一番「遅れてごめんね。この辺変わっててびっくりしたよ」と言った。
私をまじまじと見ると「大きくなったね」
と声を震わせて言う。
私は何も言えず、これが父と思って彼の顔をただただ眺めてた。
終始、父はニコニコしていた。
父は好きなものを注文しなさいと私と彼氏に促すと彼氏が間を取り持つように父と話しながら、注文をとり始めた。
車できたのにも関わらず、ワインで乾杯したいななどとぼやく。大丈夫かと思いつつ、私は緊張で何も話せず淡々と二人の様子を眺めてた。
彼氏が注文をしようと液晶画面を見てると、
父は急に嬉しそうに「今日は色々プレゼントを持ってきたんだ」とテーブルに色んなものを広げ出した。とりあえず何か注文を先にするが、それでも父は止まらない。
犬でも待てるぞと思ってると、ブリザードフラワーの置物、たくさんの飲み物、手帳、文房具、私達へのお小遣い、そして母へのお見舞金を渡してくれた。
あまりにも出してくるし、一個一個「これはこのブランドのもので〜」と矢継ぎ早に説明をするもんだから、固まってしまう。
すると父はニコニコしながら、
「実は手紙を出す前からあげようと思って文房具を買っていたんだよ」
と言った。
一言言おう。
コイツ、やべーよ!!!
後に母から聞いたが、父は思いつきで先走って行動することが多く、離婚して3年、音沙汰もなく急に、3歳になった私にどでかい雛人形セットを持って現れた事もあったという。
すげーなと思って聞いてたが、
「あんたも似たとこあるわよ」
と母に言われ少し傷ついた。
注文した料理も届き広めのテーブルが、父からプレゼントや料理で埋め尽くされていく。
それをオロオロした様子で見てた私に父が畳み掛けるように見てくれと一冊のメモを差し出した。頼む、状況を見てくれ。
差し出したメモを見ると
可愛さの化身
思わずだせええええええと声に出すのを堪えてると父が照れ臭そうに
「これ僕が貼ったんだ!ここにもスヌーピーとか貼ったんだ!」と言う。
どうやら、喜んでもらえるように自分でデコったらしく、くれた文房具の中身を広げ見せびらかしてきた。
センスは兎も角、初めて会う娘とその彼氏に喜んでもらおうと最近の若者が好きそうなシールを沢山貼り可愛くするところに少し、可愛さを覚えた。
しかし、ルーズリーフノートを4冊、筆記具6本、手帳2冊そして、デコれる用のシール20枚以上。
あまりにも多すぎる。
私は中学生かと思うも、そうか、この人は私の学生時代を見てないんだもんなと思い、有難う声を絞り出して受け取る。
すると父は文字を書く事の大切さについて、語り出した。
正直言おう、そこからは何も覚えてないのだ。
そう、先述した通り何も覚えてない。
なぜなら、ここから何時間にも及ぶほどの父の一人語りが始まったのだ。
メールでも俺通信がひどかったが、実際に会っても聞かされるとは思ってもおらず、ずっと固まってしまう。
内容は、父の遺産に纏わるルーツ、趣味のマラソン、野球のことなど…
野球名鑑4冊を出し、父が色々書きためた趣味の手帳2冊を出し、頼んだパスタには手もつけず、永遠と語る語る
解説実況は父、相槌は彼氏、咀嚼は私でお送りするカオス空間!!
圧倒され出されたパンケーキを黙々食べるしか私はできない。
たまに話を振られるが、まあ聞いちゃいないから、なあなあにしても延々と喋る。彼氏が質問をしても答えず語る父に有吉が品川につけたおしゃべりクソ野郎というあだ名を思い出していた。
気づけば時間は夕方になりそろそろ帰ることになる。
父が再会の祝いに飲もう!と意気揚々注文したワインは手に取らず、酒に弱い彼氏と酒が飲めない私はそのずっと置かれたワインをどうするんだと思ってたら、
「彼氏くん、飲んでいいよ」
お前が飲めよ!!!!てか車なのに注文すんな!!!!
と言いたい彼は気持ちをワインで流し込んでいた。本当にすまない。
帰りに父との写真を一枚撮った。
後から見たら二人とも顔がこわばってて、私なんか緊張で首が前に出ていて、やっぱ似たんだなと思った。
帰り道、父は車で送ってくれたけどその道中も延々と喋ってて、道案内する彼氏が「ちょっとすみません」と遮らない限り、ずっと喋っていた。
帰宅してぐったりした私達は、報告とは母のプレゼントを渡しに母の家に向かう。
母に「ずっと喋ってたよ!」と報告したら
爆笑しながら変わらなくて安心したと言っていた。
こうして、初めて父と会う日は終わったのだが、な〜〜〜〜〜〜んも親子らしい会話をしてねえ〜〜〜〜〜ただ話し長いおじさんの話聞いただけになってしまった。
そりゃそうか、私も父という実感が無く、ただただ甘ったるいパンケーキ食べながら、すげー話すなこのおっさんと思い30年という月日の長さを感じた。
しかし、後に、父にメールで
「さばのは無口だったね!」
と言われるが
お前が話しすぎなんだよ!!!
と全私がツッコンだのだった。
しかし、話の中で父は今後、親としてやれなかったことの償い、母への支援などを約束してくれた。それだけが救いである。
やはり、父としてもこの30年沢山思うことがあり、私のことを考えていたのかと思うと、少し安心感があった。
実はこの記事を投稿した明日、2回目の父との邂逅がある。
祖父の墓参りだ。
2回目にして現奥様とも会う事になる。
緊張しかなくて、今夜は寝れるか不明だがまたその事も記事にしていこうと思う。
ちなみにずっと相槌を打ってくれた彼氏は、
「あれは何回か会ったら話すことがなくなって黙るタイプだよ」
と言ってくれたので、明日じゃなくても、のちのち親子らしい会話ができたらいいなと思っている。
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