毎日楽しくなくてもいい
執筆日:12月13日
「そんなことは無い」と思うだろうか?
やはり毎日が楽しい方がいいだろうか?
もちろん、できればそうあって欲しいと僕も思う。
だけど現実は習慣と頑張りにほとんどが埋め尽くされており、「楽しい」は人生の1%にも満たないくらいしかない。
最近、朝活を始めた。
朝、目覚ましが鳴る前に起きて、YouTubeを開き、モーニングストレッチの動画を流してストレッチをする。
そのまま軽く筋トレ的な動きをして、目と体を起こしてからジャーナルを書く。
たったそれだけの簡単なものなんだけど、起きてから直でご飯を食べに行くより、起きてから少し目を覚ますための時間を作るとすっきりする。
ただ問題なのは僕が朝に超弱いこと。
二度寝常習犯。
なんなら三度四度くらい余裕でかませる。
起きたら起きたで低血圧なもんで、話しかけられても反応しない。
朝はほんとにダメダメな僕が朝活をし出したのである。
当然辛い。
寒いから布団を出たくない。
iPadを起動する時間で二度寝したい。
布団の中でストレッチするの動きづらい。
ほんとに辛い。寝ていたい。布団を愛してる。
でも不思議なもんでストレッチを終えると布団から出ているのである。
まぁ動画から「立ち上がりましょう」なんて指示があるから布団から出ているだけなんだけど、なんの抵抗感も無く出られてしまう。
なんでだろう?
それはすっきり目覚める「楽しさ」を知っているから。
朝は寒い。布団は暖かい。寝てるのは楽。
いろんな理由があって、起きるのは「辛い」のだけど、起きてしまえば「楽しい」のである。
そしてこの「楽しい」を感じられると、それまでの苦労が帳消しにされる。
ってのは言い過ぎだけど上書き保存される。
だから結果的に残るのは、「朝ストレッチ楽しい」というデータなのだ。
これは朝時間の話だけど、時間であればどこでも同じ法則があると思う。
毎日noteを投稿することに「辛さ」を感じることもあるけれど、いざ100日間投稿を達成すると、これまでの苦労さえも「楽しい記憶」となる。
「毎日投稿100日目」は100日間の1%でしかないけれど、その1%が他の99%を楽しくさせてくれる。
他の習慣でもそうだ。
筋トレだって重いダンベルを持ち上げる日々は辛い。
だけど1回結果が出てしまえば、楽しくなる。
結果、楽しそうにジムへ通う変態ができあがる。
それを見た人は「あの人は毎日楽しそうでいいな」と思い、「対して自分は毎日辛いことばっか」と悲観したことを言うかもしれない。
言いたいのは「それが普通だよ」ってこと。
毎日を楽しんでいる人は、人一倍毎日の「辛さ」を味わった人。
毎日の楽しさを目指すのでは無く、たった1%しかない楽しさを掴みに行くこと。
その1%が99%の辛さを上書きしてくれる。
ということで終わり!読んでくれてありがとう。スキやコメントよろしくね。
じゃあ、また。
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