ケルト・アイリッシュミュージックのルーツを辿る旅 〜 Thin Lizzyの伝説その2、 多様性を育んだ愛蘭土の土壌
アイルランドが生んだ英雄的ハードロックバンドTHINLIZZY(シン・リジイ)と、そのリーダーだったフィル・ライノット、そして彼の盟友ゲイリー・ムーアを紐解いています。
今回は第2回目。
今回は彼らを生んだアイルランドの多様性の背景から、彼らがスターダムになっていくまでを追ってみます。
まずは彼らの代表曲から。
「Dancin’ in the Moonlight」
アイルランドの歴史の振り返り(港町~文化的な多様性を育んだ土壌)
少し歴史をさかのぼってみます。
以前書いておりますが、アイルランドの音楽的な特徴は以下の2つの側面で考えることができます。
1)アイルランドが多種多様な音楽的な影響を外部にもたらしたこと。
これはロックンロールの誕生のこと。アメリカ土着音楽と融合(西部劇の音楽、カントリーミュージックなど)してロックが誕生しました。
2)内部では多種多様な人種が存在していたこと。
これはこの国全体が港町であることに起因しています。
同じ例は英国のリバプールにも言えて、ここも同様の港町。多種多様な人材交流があったことが、この地からビートルズなど、ユニークなアーチストが出現した遠因でした。
2)の内部的な文化の土壌、多様性を受け入れてきた背景があったからこそ、外部で根付き、20世紀にロックンロールの誕生へとつながっていったと思います。
では、その土壌が生まれた背景を見てみます。
ケルト音楽はアイルランド地方の音楽が主体となっています。もともとアイルランドは隣国であり大国(太陽の沈まない国)だった英国の支配下にあったようなものでした。また、荒涼とした大地で天候の影響を大きく受ける土地柄でもありました。
そんな状況ゆえ、住民の生活は苦しいもので、1776年のアメリカ独立を機に、搾取や厳しい気候などからの脱出先としてアメリカに移住する人々が多数いたようです。
この動きが最大化したのが、1840年代からのジャガイモ飢饉です。これによりアイルランド農業は一網打尽となり、この間の数年で25万もの人々が夢の大陸アメリカや英国、カナダ、一部はスペイン北部へと渡っていくのでした。
この定期航路を航海していたのがタイタニック号です。
「My Heart Will Go On」
タイタニック号は、祖国を去らざるを得なかった人々が乗船しており、彼らの哀しみをも乗せていたのですね。
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