「パンプキンパイとシナモンティー」 さだまさし
すべてが架空の世界の出来事のはずなのに、この街は、この二丁目の交差点は、このコーヒー・ベーカリーは、どこかに実際、存在していそうな、、、
冒頭から詳細すぎる描写。もうこれだけで、具体的な場所がうかんでくる。
舞台の描写が整ったら、次は、登場人物の詳細描写に移ります。
ドラマや映画で見られるキャスト紹介だけにおよばず、性格の複雑さまで描かれ、特筆すべき得意技と人気メニューと、それを好む異性の登場が何気ない日常に波紋が起きるような雰囲気を醸し出しています。
ストーリーが、動き始める予感。
男子から見たらただの「かぼちゃパイ」が、娘らから見た時は、具体的な商品名「パンプキン・パイ」に変わり、それの供され方が説明され、、、
さらに、娘、女性視点での占いチックな、おまじないチックな迷信のようなうわさが登場し、これまたさらに、今後のストーリーを想起させます。
その後、大いなる異性、ミス・パンプキンが登場し、容姿端麗であるという人物紹介へとすすみます。別にこの容姿端麗な女性がパンプキン・パイを好むかどうかは描かれず。つまりはこの曲のパンプキン・パイとは男子からみたら、手の届かない(容姿端麗な年上の女性は、憧れの対象とはなりえるが、実際の恋愛対象にはなりえない?)ものとして描かれているということでしょうか。
その後、『安眠』のマスターが、彼女になんと恋をしてしまうところから変調子。冒頭の性格通り、マスターがミス・パンプキンにささやく言葉は「毎度ありがとう」。
そして事件が勃発。余計なお世話をしてしまうのは、若気の至り。。。でしょうかね・・
それからマスターはお嫁さんをもらうことになりますが、冒頭の性格故、相手については明らかにせず。
おそらく余計なお世話が奏功したマスターの恋愛事情、大人の(少年たちからは背伸びをしてもまだまだ遠い世界の)恋愛事情を目の当たりにして、彼らは、すこうし精神成長。
人生とは、このように成長の機会を与えてくれます。成長の証として「かぼちゃ・パイ」の味がわかりかけてきてて。まだそれを「パンプキン・パイ」とは呼んでいないのだけれど。
同様に、容姿端麗の年上の女性を、まだミス・パンプキンと呼ぶあたり、彼らにとって「パンプキン」という呼称は、まだまだ遠い世界の出来事なのでしょうか。
そのうち、年月が経って、彼らが「パンプキン・パイ」の味を知り、その名をカタカナで呼ぶようになった時、それは、おそらく通り一辺倒の恋愛経験をいくつか経ていると思われますが、、、その時が、大人の階段を登り切ったときなのかなと。
架空の場所、架空の世界の話ではありますが、リアリティあるストーリーと素敵なメロディを兼ね備えたこの曲に親しんだ我々の心の中には、二丁目の交差点が、『安眠』が、あるんです。
それはこの曲を聴くたびによみがえります。