マガジンのカバー画像

初華 死刑を求刑された少女

48
初めて執筆した長編小説です。序章と全6章と終章の構成です。メフィスト賞2021下期座談会掲載作品。完結。一部校正し、2022創作大賞に応募しています。
運営しているクリエイター

記事一覧

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~序章~

序章 2026年1月15日   薄暗い部屋の透明なアクリル板の向こう側。険しい表情でわたしを見据える母の顎は、普段よりもやや上を向いていた。少しやつれた様子ではあったが、しっかりと化粧を施し、アイラインが引かれた目を細めて確実にわたしよりも「上」だとアピールすることを怠らない。  ファッションモデルのように長い脚を交差させ、まるで演者のような仕草で腕を組む。いつもとなにも変わらない母のその姿を見て、却って安心した。泣かれて説教されてもうんざりするだけだ。そんなみっともない母

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (1)

(1) 2026年1月16日  「――いずれの殺害動機も自己中心的で、他者への迷惑を顧みない、非常に身勝手極まりないものである。被告人の生まれ育った家庭環境や、被告人の心情を鑑みても同情の余地はなく、情状酌量に値しない。以上の事から、死刑が人間の存在の根本である生命そのものを奪う最も峻厳な刑罰であり、真にやむを得ない場合における究極の刑であって、その適用は慎重にされなければならないことを十二分に熟考してみても、被告人に対し、命を以って償う極刑を臨むことはやむを得ないと考え

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (2)

(2) 「なんなの。今のは」  被告人が法廷を出て行ったことで、落ち着きを取り戻した傍聴人の1人がぽつりとつぶやくと、堰を切ったように他の者たちも不満の声を洩らしはじめた。 「どう見ても普通じゃない」 「やっぱり5人も殺した人間は頭がおかしいのか」 「あれでは死刑になるのも当然だな」 「私たちとは違う。やっぱり異常者ね」 「まだ20歳にも満たない女の子が平然と人を殺すなんて。世も末ね」 「うちの子じゃなくて本当によかった」 「あんなの、死刑にしないとヤバくない? 精神異

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (3)

(3) 「ただいま」  今日は裁判が長引いたうえに事務所に戻って仕事をしていたから、帰宅した頃には23時を回っていた。何としても今日中に片付けなくてはいけない仕事があったので、夕食もまだだった。しかし、仕事に夢中になっていたせいか、腹はあまり空いていない。うるさいくらいに鳴いていた腹の虫も、食事は諦めたようだ。  三和土に上がってリビングに向かおうとして足を止める。 靴はちゃんと揃えたか? 揃えていないとまた由香里がうるさいからな。 玄関に戻ると、靴は三和土にあがった時

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (4)

(4) 2026年 1月18日  判決日まであと16日   あ~もう、背中が痛くてしょうがない。いつも思うんだけど、拘置所(ここ)の敷き布団って中に何も入ってないんじゃないの? かと思えば、掛布団は体が押しつぶされるかと思うくらいに綿がパンパンに詰まって重たいし。掛布団の綿を半分くらい敷布団に分けて欲しい。  独居房は寒いし、寝心地は悪いし、すべてがマジで最悪。 「外は天気も良くてあったかそうなのに、なんでここはいつもこんなに寒いの! 早くきてよ!」  コンクリートの

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (5)

(5) 「宮田、3番の様子はどうだった?」 中村さんがノートパソコンに顔を向けたまま俺に訊いてきた。 「初華ちゃんですか? いつも通り可愛かったですけど。それが何か?」 「あのなあ、そうじゃなくて。あと、未決(未決拘禁者の略)を名前で呼ぶな。番号で呼べ」  ため息まじりに中村さんが言った。そんなことはわかっている。軽いジョークのつもりだったのだが。かかとを揃え、直立不動の姿勢で軽く顎を引いて咳払いをし、喉の調子を整えてから、はきはきとした声で報告した。 「今朝の3番

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (6)

(6)  読んでいた文庫本を閉じる。もう3回も読んだ本だ。元旗本の貧乏な素浪人が、迷い子を保護して母親を探すお話。剣の腕は随一で、悪党との剣戟も読み応えがある。  でも、やっぱり「ねこまんま」のシーンが1番好きだ。麦飯に冷や汁。とても質素だし、おいしくなさそうなのに、読んでいると食欲が湧いてくるのはなぜだろうか。さっき朝食を食べ終えたばかりなのに、思い出したらお腹が空いてきた。  宮田くんの勧めがなかったら、時代小説なんて一生読むこともなかった。まあ、それはともかくとして…

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (7)

(7)  体中に煙の臭いが染みついていた。マスクをしているのに、鼻を衝く臭いがフィルターを突き抜けて鼻孔を刺激する。卸したてのスーツで現場に行ったのは失敗だった。  今日の午後4時頃に木造2階建ての家から火が出ているのを買い物から帰宅した近隣の主婦が見つけ、消防に通報した。家の2階の一部を燃やしたが、駆け付けた消防によって1時間後に消し止められた。火事の原因は「放火」だった。  この家の住人と思われる少女を現場付近で発見したため、火事について尋ねると、自分でカーテンに火をつ

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (1)

(1) 2026年 1月20日 判決日まであと14日  思わず鼻歌が出てしまう。今日のわたしはすごく機嫌がいい。何故なら、今日は火曜日だからだ。しかし、ただの火曜日ではない。今日はなんと、お風呂に入れる日なのだ!  入浴できるのは、1週間で2回と決まっている(本当に信じられない)。おかけで頭も体もかゆくて仕方がない。 「彩花さん、まだかなぁ」  今は何時だろうか。留置場には時計があったのに、拘置所には時計がないから、今が何時なのかわからないのが本当に困る。  お風呂

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (2)

(2)  私は盛大なため息をついて、アクリル板の向こうで座っている彼女をじっと見つめた。 「何ですか?」と濡れた毛先を弄びながら、ぼそりとつぶやく彼女の不遜な態度にさらにため息がでる。 「裁判での最後のあれは、一体どういうつもりだ? なぜあんなことをした?」  私の言葉に彼女はうんざりした顔をして鼻を鳴らした。 「あんなことって? わたし、言いましたよね。やったことについてはすべて話しますけど絶対に謝らないって」 「だが、きみは納得したんじゃなかったのか。上辺だけでも

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (3)

(3) 2026年 1月22日 判決日まであと12日  日差しが強くなってきた時期に、その転入生はわたしのクラスにやってきた。不思議な感じのする女の子で、いつも自分の席に座ってA5サイズのスケッチブックに絵を描いていた。とても物静かで、クラスの誰とも話をしない。誰もその子のことを見ない。初めは誰も女の子の存在に気付いていないのかと思った。もしかしたらわたしにしか見えていないのかも? なんてドキドキした。  わたしはその女の子のことが毎日気になっていた。髪がとても長くて、サ

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (4)

(4) 「すっごい雪! 宮田くん、雪合戦しようよ!」  太陽の光を浴びて白銀一色になった運動場を見た初華ちゃんは、屈んでせっせと雪をかき集めだした。  昨日の昼頃から今日の早朝にかけてかなりの雪が降った。1メートルとまではいかないが、それでも70センチくらいは降り積もった。 「初華ちゃん、天気はいいけどさぁ、寒くないの?」  快晴の青空の下、飛んでくる雪玉を避けながら彼女に言った。子供は風の子なんて聞くけど、スウェットの上に貸与された薄手のジャンパーを着ているだけの初

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (5)

(5) 2026年 1月23日 判決日まであと11日 「こんにちは、阿久津さん。すみませんね、時間が空いてしまって。本当に申し訳ないです」  留置場から出てきた彼女の顔色は良く、体調も悪くなさそうだった。あれから3日ほど空いてしまったが、この日はようやく取り調べの続きを行うことが出来た。看守から彼女を預かり、取り調べ室に連れて行く。彼女を座らせ、パソコンの準備をしている間に少し雑談をした。 「どうですか。ここでの生活には、もう慣れましたか?」  彼女は空中に視線を彷

【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (6)

(6)  目を覚ましたわたしは、黒いヒビのはいった天井をじっと見つめていた。寒いはずなのに、全身はじっとりと汗をかいていた。窓に視線を向けると、濃い灰色だった。雨の音が聞こえる。今は昼の3時頃だろうか。  むくりと起きあがった瞬間に嫌な感触を思い出して、太腿を強く叩くように払った。小学生の時にポトリと足に落ちてきた黒い毛虫を払った時のように。 ――気持ち悪い。 「……しばらく見ていなかったのに。また、なんで」  思わず呟いた。重い。綿の詰まりすぎた掛布団が煩わしくなっ