【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (3)
(3)
2026年 1月22日
判決日まであと12日
日差しが強くなってきた時期に、その転入生はわたしのクラスにやってきた。不思議な感じのする女の子で、いつも自分の席に座ってA5サイズのスケッチブックに絵を描いていた。とても物静かで、クラスの誰とも話をしない。誰もその子のことを見ない。初めは誰も女の子の存在に気付いていないのかと思った。もしかしたらわたしにしか見えていないのかも? なんてドキドキした。
わたしはその女の子のことが毎日気になっていた。髪がとても長くて、サラサラしていて。まるでお姫様のお人形みたいな子だった。クラスのみんなはわたしのことを可愛いと言ってくれたけれど、わたしはその女の子のほうが、わたしよりもっと可愛いと思った。
わたしは友達がいっぱいいた。クラスの人気者だった。クラスのみんなが友達だった。だからいつも独りでいるその子が気になって仕方がなかった。なぜか、わたしはその女の子にだけは話しかけられなかった。でも、とうとう我慢ができなくなって、勇気を出して話しかけてみることにした。もし、話しかけて無視されたらどうしようと考えたら怖くなったけど、そのときは好奇心の方が勝っていた。
「何を描いているの?」と恐る恐る尋ねると、女の子の手が止まった。そこに女の子がちゃんといるということがわかって少しホッとした。女の子は、スケッチブックを見せてくれた。描かれていたのはクジラだった。青いボールペンで描かれた、青いクジラ。すごく上手だった。なんという種類のクジラなのだろう? 見たことはあるのだけれど、名前が出てこなかった。
「ザトウクジラ」
女の子が転入初日に自己紹介をしたとき以来、初めて間近で声を聞いた。見た目が可愛い女の子は、声も可愛かった。クジラの種類がわかったことよりも、女の子の声を聞けたことの方がなぜか嬉しかった。クラスの誰とも話したことがない女の子が初めて話をした相手がわたし。彼女の声をこんなに近くで初めて聞いたのもわたし。そのことが嬉しくて思わず声が裏返った。
「わたしたち、親友にならない?」
普通ならお友達になりましょうと言う場面なのに、友達を飛び越えていきなり親友になりましょうと言ってしまった。でも、おかしなことを言っているとは思わなかった。女の子は驚いたように大きな目をぱちぱちさせて、そしてにっこりと笑った。
「ごめん。そういうのはちょっと」
耳を疑って思わず「え?」と、間抜けな声がわたしの口から飛び出した。すると、女の子はぷっと吹きだしてくすくす笑った。
「ごめんなさい。冗談。うん、親友になろ!」
こうして、わたしと一桜は親友になった。どうやら彼女にはブラック・ユーモアのセンスもあるみたいだった。
それからは一桜と一緒にいることが多くなった。でも一桜の方からわたしに話しかけることは稀で、いつもわたしの方から一桜に話しかけることの方が多かった。でも、特に気にしていなかった。最初は一桜に話しかけることをあれだけ悩んでいたのに、一度話しかけてしまえばあとはいつも通りのわたしのペースで一桜にどんどん話しかけた。
わたしが他の子との橋渡しの役割をして、一桜もわたしの友達と遊んだりもした。一桜は、だんだん明るくなって、よく笑うようになった。別に、もともと暗い女の子というわけでもなかったけど。
なぜ一桜に話しかけなかったのか、みんなに訊いてみた。わたしは、もしかしたら一桜が「いじめ」を受けているのではないかと思っていた。だけど、予想とは違った声が返ってきた。
「櫻木? いつも絵を描いてるんだろ? 上手いよな。描いてるの、邪魔したら悪いじゃん」
「一緒に遊びたかったら一桜ちゃんの方から声をかけてくるだろうし、絵を描きたいならそっとしてあげておいた方がいいかなと思って」
クラスのみんなの方が一桜のことをわかっている気がして、少し複雑な気持ちになった。でも、それでもやっぱり、ひとりぼっちは可哀そうだと思った。それに、お母さんは困っている人を助けてあげなさいと言っていた。わたしは一桜の親友としていつも彼女のそばにいてあげようと心に決めた。
新体操の練習は大変だけど嫌じゃなかった。むしろ楽しかった。ときどき一桜が練習を見にきてくれたおかげもあったのかもしれない。すこしでもカッコイイところを一桜に見せたかったわたしは、部活動を張り切った。
部活がない日は、一桜とよく一緒に遊んだりもした。一桜は家で絵を描いていることが多かったから、外に連れ出すのはわたしの役目だった。
どうしても一桜に見せたいものがあったわたしは、この日も一桜を外に連れ出した。どこまでも澄んだ青い空は雲ひとつない五月晴れで、峠道を自転車で下っているときに顔に当たる風が気持ちよかった。
風の気持ちよさに気を取られていると通り過ぎてしまうから、通り過ぎないように注意していたけれど、やっぱり通り過ぎた。通り過ぎたとわかったのは、大きな水の音が右側頭から聞こえたときだった。
「いっちゃん、あぶないよ~」
「大丈夫だって。ちゃんと人が渡れるようにできてるんだからさ!」
高いところが苦手な一桜は、吊り橋の細いワイヤーにしがみついて目を潤ませていた。
「一桜~もうちょっとこっちに来なって! そこからじゃ見えないよ~!」
滝の轟音にかき消されないように大声で一桜に呼びかけると、一桜は一本一本、吊り橋のワイヤーを掴みながら「カニ歩き」でゆっくり近づいてきた。足場のことを考えると、かえってそっちの方が危ないから見ているこっちがハラハラした。
このM渓谷橋は雨が降ったり、少しでも風が強い日は立ち入り禁止になってしまう。山の吹きおろしが谷間を抜けるために立ち入り禁止になっている日の方が多く、橋から落ちた人もいると噂を聞いたことがある。だからここに人が来ることはあまりなかった。もし、ここに来ていることが親にバレたら大目玉をくらうのは間違いなかった。
ようやくわたしの隣まで来た一桜が顔を正面に向けると目を輝かせた。
「わー! すごいー!」
白い筋が途中で岩にあたり、水しぶきと轟音をまき散らしながら真下へと落ちていた。舞い散った水しぶきが日の光を浴びて、虹が架かっているのも見える。どうしてもこの滝を一桜に見せたかったわたしは、一桜の喜ぶ顔をみて嬉しくなった。本当は、吊り橋から見る夕焼けの空もとても綺麗なんだけど、風が強くなってきたからこの日は帰ることにした。一桜と手を繋いで、傾いた太陽の光を背中に感じながら橋を戻った。
「また来ようね」とつなぐ手に力を込めると、一桜は「うん!」と可愛い笑顔でうなずいてくれた。
それから月日は流れて、中学3年生ともなると、高校受験の事を考えなければいけなくなった。わたしは新体操部で有名な私立聖フィリア女学院を受験するつもりでいた。スポーツ推薦ではなく、通常の入試テストで。一桜もわたしと同じ高校に受験するように拝み倒してお願いした。
「お願い! 一桜! わたしと同じ高校を受験して! 何でもするから!」
両手を頭の上で合わせて「この通り!」 と拝むと、一桜は困った顔をした。
「なんでもするって言われても、私には無理だよ。聖フィリア女学院は偏差値も高いし、そもそもなんでいっちゃんはスポーツ推薦受けないの? わざわざ勉強しなくても入学できるのに」
「それは……」
それは一桜と一緒に勉強をして、2人とも合格して、晴れて堂々と私立聖フィリア女学院に入学したいからだった。確かに、わたしは新体操の全国大会で優勝しているし、多くの有名校から推薦を受けていた。もちろん、聖フィリア女学院からの推薦も受けている。しかし、わたしはどうしても一桜と同じ条件で入学したかった。だから推薦を断って、普通に受験をすることに決めた。それに、高校入試テストは合格する自信があった。
でも、勉強があまり得意ではない一桜にとって、聖フィリア女学院の受験は確かに難関だった。だから、わたしが一桜に勉強でわからないところを教える形で2人とも必死に勉強をした。ほとんどわたし自身の勉強よりも、一桜の勉強を見ていた。その甲斐あって、ギリギリだったけど、一桜は見事に合格した。
「すごい! いっちゃんのおかげで私、聖フィリア女学院に合格できた!」
合格発表の掲示板をみて、涙に濡れた一桜の笑顔は、今まで見た笑顔の中で1番輝いていた。それはまるで、満開の桜のように。
こうして、わたしと一桜は聖フィリア女学院で3年間を共に過ごすことになった。そう思うだけで、わたしはこれからの高校生活が楽しみで仕方がなかった。大好きな新体操に大好きな一桜。きっと楽しい思い出がたくさんできると思った。一桜のお父さんとお母さんが卒業記念と合格祝いにと、二泊三日の温泉旅行に連れて行ってくれた。高校生活が始まる前にさらに楽しい思い出ができた。
湯けむりが立ち上る温泉街をわたしと一桜は浴衣姿で歩いた。お互いの浴衣姿を見て可愛いねと褒めあった。一桜の着ている浴衣は奇麗なピンク色の桜の柄で彩られていて、とてもよく似合っていた。
レトロな街灯の柔らかい光に照らされた温泉宿は、まるでおとぎ話から出てきたみたいに幻想的で、初めて見たはずなのに、どこか懐かしさを感じた。
石畳の小道の先には、小さな光が幾つも燈っていた。この小道の先には一体何があるんだろう、どこへつながっているんだろうとわくわくしながら、一桜と手を繋いで散策した。ふたりで小さな冒険をしている気分だった。黒毛和牛のミンチカツやジェラートの食べ歩きもした。屋台の射的で当てた小さなウサギのフィギュアを一桜にあげたら、とても喜んでいた。一桜の喜ぶ姿を見たわたしは、とても幸せな気分になった。
宿泊している宿に戻ると、今度は豪華な夕食がテーブルを彩っていた。食べ歩きをしてお腹がいっぱいになった一桜は、テーブルを埋め尽くしている料理をみて、すごく美味しそうだけどお腹がいっぱいで食べれないと残念そうな顔をした。残すのはもったいないからと言って、一桜の分をわたしに譲ってくれた。わたしはそれを全部平らげた。
「いっちゃん、さすがにそんなに食べたらぶーちゃんになっちゃうよ」と一桜が笑うと、一桜のお父さんとお母さんも一緒に笑った。でも、全然嫌な気持ちにはならなかった。わたしはもっと楽しくなった。
そのあとは、一桜と露天風呂に入った。夜の風は少し冷たかったけど、温泉は気持ちよかった。空にはまあるい月と、月の光に照らされた紺青色の雲が浮かんでいた。
「いっちゃんは、どんなに食べてもぶーちゃんにならないから羨ましいな」とわたしを見ながら一桜は言った。
「そお? 一桜だって、あまり食べないせいもあるけど、全然痩せてるじゃない」
確かにそうだけど。と一桜は言って、わたしの体の一点を「むむむ」と目を細めて凝視した。そして自分を見て小さくため息をついた。
「私、いっちゃんみたいにメリハリのある身体じゃないし。すとんって感じだし」
まさか一桜がそんなことを気にしているなんて意外だなと思った。
「一桜はそのままでも十分可愛いじゃん。でも、そんなに大きくしたいならわたしが手伝ってあげよっか!」と言って、わたしたち二人以外、誰もいない露天風呂できゃあきゃあはしゃいだ。それから布団に潜って、新しく始まる高校生活のことを夜遅くまで語った。高校でも同じクラスだといいねと言ったら一桜も「そうだね」と言って微笑んでくれた。
一桜は自分の席に座って絵を描いていた。いつもの青いボールペンで。動物の絵を。見慣れた光景だ。今日は何を描いているの? と訊くと、一桜はスケッチブックを見せてくれた。そこに描かれていたのはとても可愛いウサギだった。でもそのウサギは耳をペタンとさせていてどこか寂しそうだった。そのことを一桜に伝えたら、これはホーランドロップっていう種類のウサギだよと笑われた。
「この子、寂しそうに見えた?」と一桜が言うからわたしが「うん」と頷くと「そう」とだけ言って、またボールペンを握った。一桜は、絵に描いた動物のことをいつも「この子」と呼んでいる。やっぱり、不思議な子だ。一桜は。
動物と言えば、一桜に訊こうとしてずっと忘れていたことを思い出した。
「一桜の家はペットを飼っていないの?」と尋ねると、飼っていないと答えた。これだけ動物の絵を描くのが好きなら、いろんな動物を飼っているのかも知れないと思っていたから少し意外だった。
「飼いたいけど、かわいそうだから」とペンを走らせながら一桜は呟くように言った。そして、「でも」と一桜は続けた。
「でも、絵を描いていれば、飼わなくても大丈夫だから。この子たちはずっと、ここに居てくれるから」
ペットの話はそこで終わった。クラスメイトがわたしを呼んでいるのが聞こえたから、一桜に「じゃあね」と言ってから教室の出入口まで歩くと、うしろを振り返った。
一桜は、自分の席に座ってA5サイズのスケッチブックに動物の絵を描いている。青いボールペンで。いつもの見慣れた光景だった。
誰も一桜を見ない。
誰も一桜に話しかけない。
一桜と友達になったわたしの友達も、もうここにはいない。
わたしはクラスのみんなが友達になった。わたしはクラスの人気者になった。わたしは一桜のことが気になっていた。ずっとそばにいてあげたいと思っていた。でも、それが出来なかった。今年もわたしと一桜は別々のクラスになってしまった。
心配になって一桜にLINEを送っても、一桜は「大丈夫」としか返信しなかった。中学校の時とはずいぶん環境も変わった。「もしかしたら」という懸念もあった。でも、それはわたしの思い過ごしで終わった。中学校のときは。
でも、今はどうなのだろう。今度もわたしの思い過ごしであって欲しいと願っていた。
で も、もし、一桜がつらい目に遭って泣いている姿を見たら、わたしは一桜を泣かせた相手を必ず見つけだして、そして絶対に許さないだろう。
なぜなら、わたしは一桜の親友なのだから――。
~第二章~ (3)の登場人物
阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された少女。この回想では中学生。
櫻木一桜(さくらぎちはる)
他県から転校してきた少女。動物の絵を描くのが趣味。
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