【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第一章~ (2)
(2)
「なんなの。今のは」
被告人が法廷を出て行ったことで、落ち着きを取り戻した傍聴人の1人がぽつりとつぶやくと、堰を切ったように他の者たちも不満の声を洩らしはじめた。
「どう見ても普通じゃない」
「やっぱり5人も殺した人間は頭がおかしいのか」
「あれでは死刑になるのも当然だな」
「私たちとは違う。やっぱり異常者ね」
「まだ20歳にも満たない女の子が平然と人を殺すなんて。世も末ね」
「うちの子じゃなくて本当によかった」
「あんなの、死刑にしないとヤバくない? 精神異常者?」
「絶対反省してないよね」
傍聴人たちは口々に彼女を非難し、そして軽蔑した。ぶつぶつと文句を言いながら一人、また一人と法廷をあとにする。
「もうすぐ夕食の時間だし、どこかで美味しいもの食べていく?」などと会話をしながら、法廷をあとにするカップルもいた。倍率が非常に高い傍聴の抽選にカップルで当選するとは、余程の幸運の持ち主なのだろう。もう終わった裁判にも被告人にもすっかり興味は失せ、これから探す「美味しい食べ物屋さん」のことで頭がいっぱいのようだった。
一部の例外を除き、すべての裁判は一般公開するように憲法で定められているため、誰でも裁判を傍聴できるようになっている。そして傍聴人はただ裁判を見学するだけではなく、公正な裁判が行われているかどうかを見届ける役割を併せ持っている。
また、傍聴人に「見られている」ことによって裁判官は居ずまいを正し、緊張感をもって裁判に臨む。誰でも裁判を傍聴できることによって引いては、国民の裁判に対する信頼を得ることが公判を行う大きな目的でもあった。
事件の「当事者」でも「関係者」でもない一般人にとって、裁判の傍聴は「エンタメ」のようなものだ。事件に興味を惹かれた者や、話題のタネとして傍聴に来る者も多い。もちろんそんな連中ばかりではなく、法学を学んでいる学生が後学のために裁判を見に来ている事もある。警察の関係者や、今回のような重大事件であれば、マスコミの関係者も傍聴することがある。新聞記者や、先ほどのリポーターたちがそうだ。そして、今回の裁判はマスコミを含めた、メディア各所の注目を集めた。
その注目の的となった被告人の名は、阿久津初華(あくついちか)。
現在19歳で、逮捕される前は私立聖フィリア女学院に通い、学業の成績は常に学年でトップクラス。身長が高く、小学生の頃からスポーツ万能。新体操部では期待のエース。1年生でインターハイに出場しており結果は堂々のベスト8。新体操で鍛えられたスタイルは抜群。そして美人。性格は明るくて人当たりもよく、誰からも好かれるクラスの人気者。
将来を有望視され、神に二物も三物も与えられたパーフェクトな「女優」が五人を殺害という凄惨な「ドラマ」の殺人犯を演じ、そして法廷という「舞台」でどのようなクライマックスを迎えるのか。どんな気持ちで公判を迎え、そして涙の謝罪を述べ、後悔や反省の言葉を口にするのか。そんな期待を込めて傍聴しに来たのであろうが、その結末は美少女が突如気が狂ったように辺り一帯に暴言を吐き散らし、そして強制退場させられるというなんとも詰まらないフィナーレとなってしまった。だが、それはそれで話のネタになる。
〝美女〟〝女子高生〟〝連続殺人事件〟の三拍子が揃ったこの事件は、マスコミにとっては願ってもいない大スクープだった。世間は否が応にも注目するし、テレビの視聴率も稼げる。逮捕当時から今日の求刑に至るまで連日連夜、ワイドショーやニュース番組では自称専門家やコメンテーター気取りの芸能人が阿久津初華の「感想」を述べ合っていた。
こんな美少女が、将来有望な女子高生が、なぜ凶悪な殺人事件を起こしたのか? いじめ? それに対する怨み? 復讐? だからといって未成年の少女がここまでやりますかね? なぜ? ナゼ? WHY? シンジラレナイ! そんな事ばかり言っていて、観ている方は飽き飽きしている。
そしてインターネットやSNSは、阿久津初華の話題で持ち切りだった。動画サイトではどこから拾われてきたのか、3年生の高校選抜で演技を披露している彼女の動画がいくつもアップロードされていた。3日も経たずに再生回数が100万回を超えているものもあった。かなりの数のコメントも寄せられている。
〈初華ちゃん超かわいくね? スタイルやばいし。DかEはあるよな。一発やりてー〉
〈誰か裁判の傍聴券当たった人いる? 生で見てぇよなあ〉
〈でもさ、人を生き埋めにして殺したり、焼き殺したりしてるんだよね? 超サイコパスじゃん〉
〈だって、初華ちゃん、苛められたりしてたんじゃないの? つうか苛めたやつら、妬みだよね。自業自得だわ。ブスが美女に嫉妬してみっともねー〉
〈美少女は国の宝だ! みんなで守ってあげなきゃ。クソ豚は逝ってヨシ〉
〈いやいや、いくら美女ったって殺人者だよ? 冷静になれって〉
〈死刑反対! 死刑反対!〉
皆が憶測で勝手気ままなことを言って盛り上がっていた。インターネットにアップロードされた写真も話題になった。〝奇跡の一枚〟と称されたその写真は阿久津初華がフープの演技をしている時の物だが、鍛えられたしなやかな脚線が見事なまでの90度の弧を描き、カメラに目線を送る彼女の笑顔に誰もが虜になった。そして手脚が長く、当時17歳とは思えぬほどのグラマーで艶美な彼女のスタイルに魅了された男たちが阿久津初華のファンサイトまで創る始末だった。ネットの彼女は殺人を犯した「アイドル」だった。
裁判所から拘置所に帰所するミニバンの車内。
後部座席のドアガラスにはスモークが貼られていて、外から車内後部座席の様子を窺うことはできないようになっている。そして、運転席側と後部座席側の間にはスチール製の格子が張られていて、人が行き来できないようになっていた。
ハンドルを握っているのは恰幅のいい女性刑務官だった。助手席に宮田が座り、後部座席のドア側に初華、その隣に中村が座っていた。初華が座っている側のドアは防犯上開かない作りになっている。
女性刑務官は、ルームミラーに一瞬ちらりと視線を向けてすぐに戻すという動きを信号で停車するたびに繰り返していた。法廷から出てきた初華が激しく暴れる様子を見て警戒しているのだろう。しかし、当の初華は先ほどまで暴れていたのが嘘のように、今は大人しく座って車窓から流れる景色を眺めていた。
以前、麻薬取締法違反で逮捕された男が検察庁に護送している途中、暴れて危うく事故になりそうになった事件があった。男は無謀にも逃亡を謀ったようだが、車内の警察官に取り押さえられて、結局無駄なあがきに終わった。男は、麻薬取締法違反に公務執行妨害罪が追加されて、文句なしの実刑判決を受け、おそらく今も服役中だ。
信号が黄色に変わり、車がゆっくりと停車した。先ほどと同じようにルームミラーに視線を向けた女性刑務官は中村と目が合い、慌てて視線を戻した。
「大丈夫だ。さっきみたいに暴れたりはしない」
考えていることが中村にばれ、女性刑務官はばつが悪そうに苦笑いをしながら目礼した。信号が青に変わり、車が発進する。それ以降、彼女がルームミラーを見ることはなかった。
中村は初華に顔を向けると、低い声で唸るように言った。
「さっきのあれはどういうつもりだ? あんな騒ぎを起こしたら、お前が困るだけだぞ?」
ハンドルを握る女性刑務官は初華の暴れる様子を思い出したのか、前方を見つめたまま眉をひそめた。中村の問いかけに初華は黙ったまま外を眺めていた。
ふと、OL風の若い女性が小型犬を連れて歩いているのを見つけた初華は、シートにもたれていた体を起こして目で追った。犬は短い脚をせわしなく動かしてちょこちょことジグザグに歩いている。トイプードルだ。赤いハーネスを着せられ、リードで繋がれている。心なしか、犬を見つめる初華の目尻が下がっているように見えた。
「犬、好きなのか?」
やがて犬が見えなくなったのか、初華は前を向いて座りなおすと呟くように言った。
「嫌い。くさいし。汚いし」
予想を裏切る初華の返答に、中村は肩透かしを食らったように「スベる」リアクションをした。宮田はくっくと小さく笑っている。
「なんだそりゃ。あんなに食いつくように見てたら、犬が好きなのかと思うだろうが。ここは普通『うん、わたし犬が大好き!』て言うとこだろ」
「うん、わたし犬が大好き」という部分だけ気持ちの悪い女声をだす中村を無視して、初華は夕日で茜色に染まっていく街の景色を眠そうな眼で眺めていた。車の振動が心地いい。手は膝の上で重ねられており、細く白い両手首には、およそ少女には似つかわしくない黒塗りの手錠が赤い光を放ち、彼女の顔を照らしていた。
車はゆるやかなカーブの坂道を上っていた。眼下には、夕日を浴びた穏やかな海がキラキラと光を反射させて、波を寄せては返していた。
今日は寒かったけど、天気は良かったんだなあ。ああ、そうだな。とか、お腹すいた、今日の晩御飯は何かな。今晩も米麦飯だよ。違うよ、おかずの話だよ。など取り留めのない会話を二、三交わした後は、また車内に沈黙が訪れた。こうして会話をしているだけなら、彼女はごくごく普通の女の子だった。五人の人間を惨殺したなどとは、誰も夢にも思わないだろう。
赤信号で車が停車した。夕方の帰宅ラッシュで車の交通量が多い。目の前の横断歩道を紺色のセーラー服を着た女子中学生たちが楽しそうにはしゃぎながら渡っていく。
「さっきの犬、現実を受け入れているのかなって」
中学生たちを眺めながらぽつりと初華がつぶやいた。
「現実? おれさまは犬畜生だって現実をか?」
中村の言い方がおかしかったのか、初華は前を見たままふっと顔を綻ばせた。法廷で「狂気の微笑み」を見せた同一人物とは思えない、年頃の女の子らしい微笑みだった。宮田が惚れるのもわかる気がした。
率直に言って彼女は美人だ。見た目よりも中身が大事とはよく言うが、人が最初に目にするのは相手の「見た目」だ。美人で得をすることはあっても、損をするなどとは聞いたことがない。もちろん、「見た目」ですべてを判断して本筋を見誤るのは、言語道断なのは百も承知だった。彼女の場合は特に。
「何それ。それもあるけど。なんて言うか、全部」
初華の言っている意味がわからず、中村は腕を組んで首を傾げた。
「全部? 全部って、何だ? 世話されている、とか人間に飼われているってことか?」
ぶっきらぼうに問いかける中村に、初華は面倒くさそうにため息をついて答えた。
「どっちも同じ意味じゃん。うまく説明できないけど、全部だよ。中村さんしつこい。そんなだから三十になっても彼女できないんだよ」
笑いをこらえていた宮田だったが、ついに我慢できなくなって噴き出した。
「か、彼女がいないのは関係ないだろう! 宮田も笑うな。お前も彼女いないくせに」
顔を赤くして声を荒げる中村に宮田は後部座席に身体を向け、笑いを堪えながらびしっと敬礼して元気に答えた。
「自分、26歳っすから! まだまだ御心配には及びません!」
ニカッと白い歯を見せて自信満々に答える宮田に初華は引いた。イケメンなのに残念な人。生意気を言う宮田に中村はあのなぁと言った。
「宮田よ。あと4年もしたらお前も30だぞ。しかもこんなお堅い仕事で、男所帯の職場でどうやって彼女を作るつもりだ? あと3番。お前の学校も女子高だから彼氏なんてできないだろうが。彼氏を作るつもりなら、学校を卒業して男と働ける職場に就職しないとな」
3番は、拘置所での彼女の呼称番号だ。拘置所や刑務所に収監されている人間は、名前ではなく番号で呼ばれる。彼女の独居房は3室で、呼称番号もそのまま3番だった。
受刑者や未決拘禁者を名前ではなく番号で呼ぶのは、決して差別的な意味やモノとして扱っているのではなく、管理上の利便性を考慮したことと、何よりも当人のプライバシーを保護するためでもあった。そのため、受刑者同士の交談においても絶対に名前を明かしてはならない決まりになっている。
「それか、大学に進学するとかな。サークルでコンパとかあるだろうし。いいよなぁ、コンパ」
「ちょっと、中村さん!」
宮田が中村の不用意な発言を咎めた。はっとした中村の顔にしまったという色が浮かんだが、遅かった。まだ判決前だとは言え、死刑を求刑された彼女にこの手の話はタブーだった。
「まあ、まだそうと決まったわけでもないし、もし一審が駄目でも高裁で二審、最高裁で三審があるから、なんだ、その……もしそうなったら控訴するんだろ?」
中村は「死刑」の二文字を避けてしどろもどろに告げると、初華の顔を覗き見た。初華は長い睫毛をゆっくり伏せて静かに微笑すると、上目づかいで悪戯っぽく笑った。
「そして三審でも駄目でスリーアウトって言いたいの? 中村さん、女の子に向かってヒドイこと言うよね~」
フォローになっていなかった。初華は笑っているが、中村と宮田は背中に冷たい汗を滲ませていた。冗談のつもりで野球の〝三振〟と裁判の〝三審〟をかけて言ったのだろうが、二人とも笑えなかった。車内は重い空気に包まれた。
会話が途絶えた車内に、ロードノイズだけが響く。法定速度をきっちり守って走行するミニバンは、まだ拘置所に到着しない。車内の気まずい空気に堪えられなくなった中村は、それでも会話のネタが浮かばず、再度、法廷での出来事を蒸し返した。
「なあ、大声を出して暴れたのはなんでだ? このままだと、お前が不利になるだけだぞ。わかっているのか?」
公判中は大人しかったのに、閉廷間際でのあの豹変ぶり。傍聴人に〝阿久津初華は頭のイカれた凶暴な殺人者〟と認知されたのは間違いなかったし、当然、裁判官たちの彼女に対する心証が最悪になってしまったのは言う間でもなかった。
「だから? ごめんなさい、反省してます、許してくださいって? 先生がうるさいからあの時は仕方なしに頭を下げたけど、謝るつもりなんてさらさらない。わたしは何も悪くないのに、なんで謝らないといけないわけ?」
彼女は黒塗りの手錠に繋がれた両手を忌々しそうに見つめたまま、口を尖らせて言った。先生というのは初華の弁護人、道重大輔(みちしげだいすけ)のことだ。
「あのな、このままだとお前はまずいことになっちまうんだぞ? それでいいのか? お前の家族はどうなる? 悲しませたいのか。え?」
初華は視線を落としたまま何も答えない。
「あのなぁ、お前」と続ける中村の説教に苛々した初華は、頬をぷくっと膨らませて睨んだ。
「あー! もう、うっるさいなぁ! 中村さんは。もういいよ。説教は。あんまりしつこいといい加減キレるよ!」
キレた初華に宮田が突っ込んだ。
「初華ちゃん、それ、もうキレてるから! キレてから言わないで!」
あ、それもそっかと初華と宮田がふざけ合って笑っている。気まずい空気が一瞬にして和やかなものになった。宮田の「軽いノリ」に救われたのは癪だったが、中村は心の中で少しだけ宮田に感謝した。
「今日は寒いから温かいうどんがいいな。ここのうどんはぬるくて不味いけど」
初華が拘置所の食事について文句を言っている間に車はゆっくりと鉄のゲートを潜った。まったく、これでは先が思いやられると中村は深いため息を吐いた。
人を五人も殺しておきながら反省の色もなにもない。まるで拘置所に修学旅行にでも来ているような雰囲気だ。とてもじゃないが、「普通」じゃない。
~第一章~ (2)の登場人物
阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された少女。裁判の閉廷間際に騒ぎを起こした。
聖フィリア女学院の生徒で新体操部のエースだった。
中村(なかむら)
Y拘置所の刑務官。阿久津初華の戒護員として裁判所に同行する。体育会系。
宮田(みやた)
新人の刑務官。お調子者で明るい性格。イケメン。
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