【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第二章~ (1)
(1)
2026年 1月20日
判決日まであと14日
思わず鼻歌が出てしまう。今日のわたしはすごく機嫌がいい。何故なら、今日は火曜日だからだ。しかし、ただの火曜日ではない。今日はなんと、お風呂に入れる日なのだ!
入浴できるのは、1週間で2回と決まっている(本当に信じられない)。おかけで頭も体もかゆくて仕方がない。
「彩花さん、まだかなぁ」
今は何時だろうか。留置場には時計があったのに、拘置所には時計がないから、今が何時なのかわからないのが本当に困る。
お風呂セットと着替えを脇に置いて、正座をして待つ。別に正座をして待つ必要はないのだけれど、毎日の「点検」のせいで癖になってしまった。
「3番、お風呂に行きましょう」
女性の声がして独居房の扉が開いた。彩花さんだ。隣には宮田くんもいるけど、なんだか顔が少し強張っていた。
いつもの退室の儀式(とわたしは言っている)を行う。まずは、スリッパの表と裏と両足の裏を見せることで何も異常がないことをアピールしてから、彩花さんが「3室番号」と言って、わたしが「3番」と答えて廊下に出る。
次は身体検査。手に持ったタオルの表と裏も見せて、怪しいものを所持していないことを確認する。面倒だけど、もう慣れた一連の動きだ。独居房からでるときは、毎回これをやらなければいけない。
「それじゃ、行きましょうか」
相変わらず彩花さんはクールだ。眼鏡をかけているせいか、厳しくて知的な女性という感じがした。彩花さんが先頭、そのうしろにわたし、最後に宮田くんという並び順でお風呂場に向かっていると、前からヘルメットを被った作業着姿の人たちが歩いてきた。このままだとすれ違う形になる。
「止まって」
彩花さんの声でわたしは立ち止まった。
「3番、壁の方を向いて頂戴。宮田は3番の前に」
指示されたとおりにわたしは壁のほうへと体を向けた。彩花さんは前を向いたまま動かない。わたしの背後に宮田くんが立って、工事関係者の人たちにわたしを見られないようにした。
「どうも」「ご苦労様です」と挨拶を交わす声が聞こえると、工具の金属音を響かせながら足音が遠ざかっていった。
「それじゃ、行きましょうか」
「そういえば彩花さん、あれって一体何の工事をしているの?」
気になったわたしは、歩き始めた彩花さんに尋ねてみた。わたしがこの拘置所に来てしばらくしてから工事が始まって、音がうるさくてお昼寝ができないときもあった。工事しているのは上の階みたいだけど、よくよく考えてみれば4階の上は屋上だ。一体何の工事をしているんだろう?
「それはちょっと教えられないわね」
「えー。別に教えてくれたっていいじゃない。どうせ死刑になるんだしさ……っと」
急に立ち止まって回れ右をした彩花さんと危うくぶつかりそうになった。
「冗談でもそんなことは言わないで」
ほんの軽いジョークのつもりだったけど、わたしを見つめる彩花さんの目は怒っていた。
「宮田、ここまででいいから。戻って」
わたしの後ろにいる宮田くんが「え、でも」と口を開いたけど、彩花さんが「なに?」と返すと「はい」と返事をして彼は戻っていった。相変わらず宮田くんは彩花さんに弱いみたいだ。
「3番。あなた、死刑が怖くないの?」
彩花さんがド直球で尋ねてきた。
(死刑……ねぇ。)
「さあ、わかんない。そもそも死ぬってどういうことなのかもわかんないし、死刑だって言われても、なんだか実感湧かないし。それにまだ死刑って決まったわけじゃないんでしょ? だったらなおさら実感湧かないよ。はじめはちょっと怖かったけど」
「3番、あなた……いえ、私が言っても仕方がないことね」
彩花さんはため息をつくと首を振った。
「それよりもさ。彩花さん、宮田くんに厳しくない? 彼、怖がっちゃってるよ」
「新人には厳しくしないとね。そうでなくても彼、お調子者でしょう? 危なっかしくて。もっと自覚を持たせないと」
彩花さんが一瞬、頬を緩めたのをわたしは見逃さなかった。
「へぇー、気になる? 危なっかしくて心配? 本当にそれだけ?」
「ちょっと、なに? やだ。そんなんじゃないから。先輩として後輩に立派な刑務官になって欲しいのは当たり前でしょう?」
「えー? 本当に?」
まさかとは思ったけど、イイ反応が返ってきた。いつも冷静な彩花さんが慌てた様子で否定してる。それにほんの少し顔も赤い。なるほど、いつも宮田くんに厳しくしていたのは、指導以外に照れ隠しもあったのかも知れない。好きだからこそいじめたくなるとか、そういうやつ?
それにしても彩花さん、年下が好きなのか。宮田くんの顔は悪くないし、明るくてお調子者の宮田くんと美人で冷静な彩花さんなら案外いいカップルになるかも知れない。
「3番、これ以上、無駄話をするようであれば本日の入浴時間は10分とします」
「ああああ! それだけはご勘弁を!」
やってしまった。怒られたけど、彩花さんの目は優しく笑っている。でも、本当に入浴時間を10分にされそうだから素直に謝っておいたほうがよさそう。なんだか、こういうのいいな。彩花さんみたいな美人のお姉さんがいたら良かったのに。
お風呂場に到着すると、彩花さんはカーテンを引いて〝女性入浴中〟の札をかけた。ちなみに、入浴中は刑務官に監視されていて、服を脱ぐときも監視されている。当然、男の刑務官では監視することができないから、お風呂の時は女性刑務官である彩花さんが担当になるのだけど海老原さんと宮田くんはひどくがっかりしていた。本当、これだから男ってやつは……。
廊下の左右をカーテンで仕切られたことによって入浴中を見られる心配はなくなったけれど、逆にカーテンの隙間から海老原さんが覗こうとするかも知れない。まあでも、海老原さんは『皆川は怒らせるとおっかないからな』と話していたからその心配はないのかな。
それにしても、入浴しているところを常に監視されているというのはどうにも落ち着かない。それは留置場に居たときも同じだった。小さなガラス窓からじーっと体や頭を洗っているところを見られているのだ。もちろん、監視しているのは女性の看守だけれどやはり落ち着かない。他にも入浴の順番を待っている人がいるし、はやく上がらなければとせかせかしてしまう。これではただでさえ短い入浴時間内でゆっくり湯船に浸かることもできない。でも、彩花さんの場合は時々窓から顔を逸らしていたり、カーテンの隙間から廊下を見ていたりとわたしに気を遣ってくれているようだった。
舎房着を脱いでブラジャーのホックを外した。きつい締め付けから解放されると、彩花さんの刺さるような視線が気になった。
「また大きくなった?」
え、何が? と視線を投げかけると、彩花さんがわたしのふたつの膨らみを睨んでから顎をしゃくった。これのことか。
「食べる量は減ったけど、運動をしなくなったから太ったみたい」
「太った、ねぇ」
目を細めてわたしの胸を凝視している。そんなにコレが欲しいのなら分けてあげたいくらいだ。なんて、そんなことを言ったら怒られるだけでは済まない気がする。
「最近の女子高生って、ますます発育がいいのねぇ」
彩花さんの声には嫉妬と羨望と、それとほんの少しだけ嫌悪感が混じっていた。自分の胸を見てため息をついている彩花さんになんて声を掛けたらいいのかわからず、とりあえず「ドンマイ!」って言ってみたら、入浴時間、5分にする? と言われて必死に謝った。ドンマイって言っただけなのに!
「……も大きい方が好きなのかしら」
「え? なに?」
「何でもないわ」
ふふん。彩花さんは聞かれていないと思っているようだけど、わたしはばっちり聞き逃さなかった。でもあえて言わないことにした(決して入浴時間が短くなることが怖いからではない)。
入浴時間が20分間あるとはいっても、体を洗ったり、髪を洗うのに結構時間が掛かる。普段だったら1時間近くはお風呂に入っているから、20分はかなり短い。せめて30分は欲しかった。ちなみに、ここではシャワーは使えない。
少しでも長く湯船に浸かるために身体を洗うのは手早く済ませた。寒いのと、お湯の温度が高いせいでかなり熱く感じるけどそれがいい!
「か、体に染みわたるぅ~」
思わずおじいちゃんみたいなセリフが出てしまった。タオルがあったら頭に乗せたい気分だ。ステンレス製の湯船は小さすぎて足を伸ばせないけど、これはこれで十分だった。
浴室のドアの前に立っている彩花さんは、カーテンの隙間から廊下を監視していた。やっぱり、海老原さんや宮田くんを警戒しているのだろうか。
あ~、それにしても、お風呂はやっぱり気持ちがいい。
体が暖まってリラックスしていると、ふと差し入れのことを思い出した。
赤津猪鹿蔵。
わたしが心の中でゾウさんと呼んでいる人だ。ゾウさんはわたしが拘置所に収監されてから月に一度、本やお金を差し入れしてくれる謎の人で、「あしながおじさん」の文庫本を差し入れてくれたのもゾウさんだ。わたしはこの本が気に入って何度も読んでいる。
主人公でみなしごのジュディ・アボットは、孤児院でたくさんの子供たちと過ごしていたけれど、とある紳士に見初められて大学に通わせてもらえることになり、その費用も出してもらえるという夢のような出来事に遭遇する。さらには月に一度おこづかいも貰える。ただし、それには条件がふたつあって、ひとつは月に一度、紳士あてに手紙を書くこと。そして、もうひとつの条件はジュディが作家になることだった。
紳士は、ジュディ・アボットに文才があると見込んでいた。ジュディにとってはまさしく救いの神とも呼べる紳士だけれど、彼女は紳士の顔も姿も見たことがなかった。唯一見たのは、車のライトに照らされて伸びた紳士の影だけ。その長く伸びた影がアシナガグモのように見えたことからジュディは紳士のことを〝あしながおじさん〟の愛称で呼ぶようになった。
この本を読んでから、ゾウさんはわたしにとっての〝あしながおじさん〟ではないかと思うようになった。まあ、毎月手紙を書けとも言われていないし、拘置所(ここ)から連れ出してくれるとは思えないけど。〝あしながおじさん〟との共通点はおこづかいをくれるのと、どんな人物なのかわからないということくらいだろうか。
ゾウさんから初めて差し入れされたときに、杉浦さんから「赤津という人から差し入れが届いたけど、3番の知り合いか?」と訊かれた。でもそんな名前の人は知らなかった。
赤津猪鹿蔵。一体どんな人物なんだろう。まさか本当にお金持ちとか? 猪鹿蔵って、古いお金持ちにありそうな名前だ。もしかして、おじいちゃんなのかなぁ。少なくとも、イケメンではなさそう。
「あと2分よ」
彩花さんがドアを開けて終了2分前を告げた。留置場での入浴は10分くらいで済ませていたけど、ここでは順番待ちしている人はいないみたいだし、時間いっぱいまでお風呂を満喫した。ゆったりと両腕を伸ばしたところで、キッチンタイマーのアラームが鳴った。
「いつも通りお風呂の栓は抜いておいて。あなたしかいないから」
やっぱり、拘置所にはわたし以外誰もいなかったんだ。
「ずっと気になってたんだけど、何でわたししかいないの?」
「あなたの部屋がある南側のエリアはもともとあなた以外誰もいないの。だから静かでしょう? 未成年者だから、他の未決の目に触れないように隔離されているのよ。あなたがここにきてからしばらくは人がいたみたいだけれど、みんな裁判が終わって釈放になったか、刑務所に行って今は殆ど誰もいないわ。寒い時期に犯罪をしようなんて思う輩も少ないでしょうしね。あったとしても、せいぜい酔っぱらいの喧嘩くらいじゃないかしら」
ふ~ん。そういうもんか。確かに、こんな寒い時期にこんな寒いところに閉じ込められたくないもんね。そんなことより、さっきの宮田くんに対する彩花さんの反応が気になった。
「それで、彩花さんは宮田くんのこと、どう思ってるの?」
「またその話? 出来の悪い後輩以外に何とも思っていません。以上」
宮田くんに興味はないと彩花さんはきっぱり言ってるけど、絶対に脈があるはず! わたしがしつこく食い下がっていると、彩花さんの眼鏡が鋭い光を放った。
「そういえば、今日のお昼ご飯はカツカレーだったかしら。もしかしたら、何かの手違いで3番のカレーにはカツが乗っていないかもしれないわね」
ひたすら平謝りするしかなかった。この人だったら、本当に「カツなし」をやりかねない。彩花さんに弱いのはわたしも同じだった。
彩花さんとお喋りをしながら独居房に戻る途中、正面から歩いてきた杉浦さんに呼び止められた。
「3番、面会だ」
~第二章~ (1)の登場人物
阿久津初華(あくついちか)
5人を殺害し、死刑を求刑された少女。拘置所での生活に飽き飽きしている。食事とお風呂が何よりも楽しみ。
皆川彩花(みながわあやか)
普段は女子刑務所に勤務している女性刑務官。眼鏡をした知的クール美女。
宮田(みやた)
Y拘置所の新人刑務官。お調子者でイケメン。女性刑務官の皆川が苦手。
赤津猪鹿蔵(あかついかぞう)
月に一回、初華に現金の差し入れをする謎の人物。
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