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日々の工夫、日記のようなエッセイ、時事など。 昨今のギスギスしたネット社会に嫌気が差…

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日々の工夫、日記のようなエッセイ、時事など。 昨今のギスギスしたネット社会に嫌気が差し、新しいやり方を模索中。 仕事と関係のない場で、文章を気ままに。 ネットのポジティブな可能性を信じて。 散歩好き。

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  • 日々の工夫や習慣、過去からの学び

    日々の工夫や習慣。過去からの学びなど。 考え方の参考になれば。

  • エッセイ

    エッセイ、のようなもの。軽い内容も、少しシビアな内容も。

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    日記のようなエッセイ。ただの日記も含む。

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私が記事の統一感を出さない理由

SNSでもなんでもそうだが、フォロワーを増やしたいならコンテンツの統一感が重要だ。 例えばインスタグラムであれば、風景写真をメインに投稿すれば同じく風景写真好きの人にフォローされやすい。 私が長年やっているインスタグラムもそのパターンだ。 同じくnoteであれば、特定の趣味なら趣味、ビジネスならビジネス、エッセイならエッセイといった具合に統一すれば、同じような趣味・センスや考えの人にフォローされやすいと思う。 また、コンテンツに統一感があると、その人の世界観がすぐわかっ

    • 偉そうに語る前に、自分の人間性から考えろ

      ネットを見ていると、四六時中偉そうに語ってばかりの人間を目にする。 仕事の話、家庭の話、なんでも良いが、愚痴なのか問題提起なのか何なのかわからない内容を、延々と偉そうに語る人間がいる。 その人間達の文章をよく読むと、凄まじく独善的な内容であったりする。 そして、一方的な言い分で他人を小馬鹿にしているケースが大半だ。 ネットという自分の味方が多い環境に逃げ込み、自分の言い分だけを延々と偉そうに語る。 自分の悪い点は言わず、隠し、話を盛って語る。 そしていいねをもらって悦に入

      • ムクゲとサザンカ

        夏の花のイメージが強いムクゲ(木槿)。 しかし10月後半でも咲く場合はある。 冬の花のイメージも強いサザンカ(山茶花)。 しかし早いものは10月に咲き始める。 ムクゲ(木槿)の終わり。 サザンカ(山茶花)の咲き始め。 ムクゲを見て夏の余韻に浸る。 サザンカを見て冬に思いを巡らす。 そんな今は、秋。 そんな10月。 インスタで書いた文に、わずかな付け足しを。 以下はコンデジで撮っただけの、ムクゲとサザンカの写真。

        • 懐かしい祭りと、懐古

          今月、懐かしい2つの祭りに顔を出した。 いずれも、今でもたまに寄る神社だが、例大祭の時期に訪れたのは何年ぶりだろうか? 祭りの音、空気、匂い。 全てが懐かしく、記憶を肌で呼び戻す。 特に10代〜20代前半の記憶を色濃く残すエリアは、自分にとって大きな存在だ。 訪れるたび、何かしらの気づきを得る。 古き良き、と言えば大袈裟だが、あの頃の記憶を現代に引き連れるのは、私にとって大きな意味がある。 さて、私は何も懐古が絶対に良いとは言わない。 新しいものはある程度受け入れる

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        私が記事の統一感を出さない理由

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          【日記】ほうとう鍋

          今日、某所にて、久しぶりにほうとう鍋を食べた。 残暑も落ち着き、いよいよ秋が深まる。 かと思えば、今日のようにいきなり冷え込む日も。 こんな日は鍋に限る。 冬ほどではないにせよ、鍋の季節が訪れたことを実感。 今年の寒暖差は本当に極端だ。 私は昔から季節の変わり目が好きで、四季の移ろいを肌で感じることに楽しみを見出す。 しかし、そんな私でも今年の気候は異様に思う。 今日ほうとう鍋を食べ、食欲の秋を楽しむと同時に、この極端な寒暖差を改めて実感した次第だ。 さて、私は性格

          【日記】ほうとう鍋

          世間に言いたいことがあっても怒りすぎてはいけない

          生きていると、誰しも世間に一言言いたいときがある。 どうしても世間に納得いかない、生きづらい、世間情勢が気に入らない、いろんな理由があるだろう。 しかし、言いたいことがあったとしても、怒りすぎてはいけない。 こう書くと当たり前の話に聞こえるが、怒りのコントロールが甘い現代人はたくさんいるように思う。 言いたいことを言う=感情に任せて怒りをぶちまける 世間に思うことがある=感情に任せて偏った見方で思い込んでしまう といった図式になっている人をちらほら見かける。 特にSN

          世間に言いたいことがあっても怒りすぎてはいけない

          人の反応を試そうとする人間は無視

          世の中には、いちいち人の反応を試そうとする人間がいる。 軽率で挑発的な言動をして、相手の反応を楽しむような人間。 かなりの数いるのではないだろうか。 リアルの場でも、SNSでも、かなりの数いるのではないか? 私の知人にも、いちいち他人の反応を試そうとする人がいた。 同級生にも何人かいる。 私はそういう失礼な人間とは関わらないので、数年連絡は取っていないが。 その手の人間と話して思ったのは、 彼らは「悪い意味でのかまってちゃん」なのである。 彼らはとにかく自分中心で、軽

          人の反応を試そうとする人間は無視

          今年はあと三ヶ月も残っている

          秋の彼岸が終わり、気がつけば9月も最終日である。 2024年も残すところあと三ヶ月。 あと三ヶ月しかない。 あと三ヶ月もある。 どう捉えるかは状況によるが、私は個人的に「あと三ヶ月もあるのか」と思ってしまう。 まだ2024年は先が長い。 「あと三ヶ月もあるのだから、やり残したことを進めよう」 と考える。 別に無理してポジティブなことを言うわけではなく、単にやり残したことをやりたいだけである。 いろんな事情が重なり、今年は思うように物事が進んでいないからだ。 やり残した

          今年はあと三ヶ月も残っている

          言葉が出ないとき

          最近の世間情勢。 まあ、目まぐるしく慌ただしく、日々色々なニュースが目に入る。 情けないニュース、やるせないニュース、くだらないニュースなど、ネガティヴな内容も多い。 それぞれのニュースや事件、国際情勢に関し、いろいろ意見はある。 が、あまりにも思うことや意見が多いと、言葉はまとまらない。 言葉が出ない。 それぞれのニュースごとに言いたいことをまとめてnoteにしても良いのだが、どうも気力が起こらない。 言いたいことが多いと、逆に言葉を紡ぎ出す気力がなくなる。 世間情

          言葉が出ないとき

          冗長な文章が持つ意味

          私は文章を書くとき、ある程度の長さを好む傾向がある。 特に書きながら自分の考えをまとめたいとき、あえて冗長に書くことも多い。 自分の冗長な文章を読み返すと、確かにやたら長ったらしく、重複している内容も目立つ。 しかし、重複した内容というのは、自分が特に言いたいことや、自分の中で何かが引っかかる部分であったりする。 何か自分の中で思い入れがあるから、何度も繰り返し書いてみたくなるわけだ。 そして何かが引っかかりながらもうまく言葉を紡ぎ出せない、そんなとき、表現が冗長になった

          冗長な文章が持つ意味

          noteから離れた一ヶ月

          今年は何かと慌ただしく、特にトラブル続きとなった6月・7月。 その反動で、8月はとにかくのんびりしたかった。 気持ちの面でものんびり過ごしたかった。 そのため、普段以上にネットを利用する機会を減らした。 この現代社会、ネットを使うと何かしら疲れるケースは多い。 気分をのんびりさせたいとき、やはりネットから距離を置くのも選択肢の一つだ。 このnoteも、フォローさせていただいている方の記事は定期的にチェックしていたが、自分から何かnoteを使って発信する気力は正直なかった

          noteから離れた一ヶ月

          人のことを言い出したらキリがない

          他人のことをあれこれ言い出したらキリがない。 これは私の長年の持論である。 人間、生きていると、ときに他人に対してあれこれ言いたくなる時がある。 他人と自分は異なる人間であり、当然合わない部分があるからだ。 その合わない部分、共感できない部分に対し、何か意見を言いたくなる時もあるだろう。 また、何かを指摘したくなったり、怒りたくなったり、心情は様々かと思う。 それが全て悪いとは言わない。人間なので。 他人に何か言うことが絶対に悪いとは言えない。 しかし、何事も程度の問

          人のことを言い出したらキリがない

          トラブル続きは試練である

          トラブルが続くと、普通は悲観的になる。 しかし、悲観的になっても物事は大体うまくいかない。 ネガティブ思考は、ときに冷静な判断を奪うからだ。 そして冷静に行動できなければ、何をやっても空回りしやすい。 そうなると悪循環に陥り、トラブルがさらに続くおそれがある。 トラブル続きがさらなるトラブル続きを呼ぶ。 私はこれを経験でよく知っている。 ので、私は何かトラブルが続くと、真っ先に「これは試練だ」と思うことにしている。 トラブルが続いても冷静でいられるか? 自分のメンタ

          トラブル続きは試練である

          極端な意見で身を滅ぼす前に

          世間が荒れると、人は誰しも何か意見を言いたくなる。 しかしSNSで極端な意見ばかり発信すれば、自分の思考がさらに偏るおそれがある。 何か意見を言う前に、今一度自分の思考を振り返ったほうがいい。 世間情勢も国際情勢も荒れているが、あまり感化されず、適度にスルーして過ごすのも大事だ。 下手に感化されて、感情のまま極端な意見をSNSに書き込んでも、自分の冷静さを失うだけだ。 実際、そういう人を私は何度も見たことがある。 自身の極端かつ軽率な発言で自身の思考を滅ぼす、そんな人を

          極端な意見で身を滅ぼす前に

          「落ち着いてやればできる」という力強い名言

          天空の城ラピュタには数々の名言がある。 私が個人的に好きな言葉は、「落ち着いてやればできる」というセリフだ。 これはストーリーの序盤、親方が主人公パズーにかけた言葉である。 親方は他の仕事で手が離せず、パズーに仕事を任せ、その際に「落ち着いてやればできる」と付け加えたシーンだ。 ただ仕事を任せて終わりではなく、一言、「落ち着いてやればできる」とフォローする。 この流れが私は特に印象に残っている。 緊迫感のある場面だからこそ、「落ち着いてやればできる」という何気ない声かけ

          「落ち着いてやればできる」という力強い名言

          生気のない通行人

          東京などの都市部を歩いていると、生気のない通行人に出くわすことが多々ある。 いや、都市部に限った話ではなく、少しおかしいなと思う通行人は昔から一定数いる。 挙動不審な人。 やたらガンを飛ばす(ジロジロ睨む、メンチを切る)人。 表情のない人。 ガンを飛ばしてくる人は昔より減った気もするが、いないわけではない。 一方、表情のない人は増えた気もする。 疲れて表情が出ないとかではなく、普通ではないレベルで極端に表情がない、そんな人をよく見かけるのだ。 (あくまで私の肌感覚だが)

          生気のない通行人