懐かしい祭りと、懐古

今月、懐かしい2つの祭りに顔を出した。

いずれも、今でもたまに寄る神社だが、例大祭の時期に訪れたのは何年ぶりだろうか?

祭りの音、空気、匂い。
全てが懐かしく、記憶を肌で呼び戻す。

特に10代〜20代前半の記憶を色濃く残すエリアは、自分にとって大きな存在だ。
訪れるたび、何かしらの気づきを得る。

古き良き、と言えば大袈裟だが、あの頃の記憶を現代に引き連れるのは、私にとって大きな意味がある。


さて、私は何も懐古が絶対に良いとは言わない。
新しいものはある程度受け入れるべき、との考えも強い。

ただ単に、私にとって10代〜20代前半の記憶が特別なだけだ。

良い記憶も嫌な記憶も、今でもいろいろ思い出す。
そして、楽しかった記憶を懐かしむことに抵抗はない。
懐かしいと思ったものは遠慮なく懐かしむ。

古いものがどうの、新しいものがどうの、といった問題に発展させる気はさらさらなく、私の内面の状況の話をしているだけだ。


「新しいもの至上主義」のような価値観も多い現代社会。
脊髄反射で古いものや懐古を否定する人も多い現代社会。
しかし私は、懐かしむことを遠慮する気はない。
同時に、新しいものを否定する気もない。

新しいものをある程度受け入れることと、本心から過去を懐かしむことは、両立できる。
両立できない理屈はない。
なんなら、懐古を新しいものに応用することだって可能なのだから。


10代〜20代前半の記憶が色濃く残るエリア。
訪れるたびに何かしらの気づきを得る。

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