「活動目的は自分を励ますこと」 ラップに秘められた“言語化”の力/語り手:アスベスト(ラッパー) |向き合うためのHip-Hop vol.001
★
ヒップホップ・カルチャーは2023年に誕生50周年を迎えたとされる。その構成要素の中でも「ラップ」はポピュラー音楽ジャンルの地位を世界で確かなものにした。日本では2000年代を超えたあたりから、マイナーシーンに留まらない勢いをラップが見せている。
ラップとは、スキル次第で人生のあらゆる側面をアートに変換してリスナーに届けられる音楽ジャンルだ。多様な才能たちがクリエイティビティを旺盛に発揮してきた。
「自らの人生」はラップで扱われる重要テーマの一つだ。とりわけ人生がはらんだネガティブな側面に惹きつけられるラッパーは多い。コンプレックスやハンディキャップなど、心に抱えた諸問題を乗り越えるプロセスが幾度となく表現されてきた。
つまり、悩める現代人のリアルな”映し鏡”としてラップを解釈することができるのではないか。私たちが明日を健やかに暮らすうえで役立つ価値観、ロジック、ケーススタディが見つかるかもしれないというわけだ。
ラップという表現手法に秘められた可能性を探るには、当事者であるラッパーに訊ねるのが最もよいだろう——第1回に語ってもらうラッパーはアスベストだ。飾らない言葉で生きづらさを表現したリリックを持ち味にしている。
文・長尾和也(ライター)
監修・Dr.Ska(心療内科 / Doctor In Da House)
★
ラップは悩みを言語化する手段
アスベストは心にわだかまる弱みや悩みを飾らない言葉で綴ったリリックで知られているラッパーだ。
2022年6月にリリースしたアルバム『イキカタル』は、休職がきっかけで制作された。気分の落ち込みをはじめとする精神症状が原因だった。症状に苦しみながら振り返った人生をラップに昇華した。
例えば、親子関係の悩みを言語化した一曲が「親ガチャ」だ。
高校時代に成績が落ち込んだとき、父親との関係が急激に冷えこんだ経験が曲の背景にあるパーソナル・ストーリーである。成績が落ち込む前後のギャップに「自分の価値は成績で決まるのか」と、心の傷つきを感じたという。
そもそも親ガチャとは、人間が生まれ育つ環境を選べないことを表したネットスラングだ。昨今、“親子の絆”について負の側面が注目を集めるようになった。アスベストは”親子の絆“から生じる悩みが晴れない気持ちをラップで表現した。
この曲の制作が、悩みの解消に向けた具体的なアクションに繋がったとアスベストは語る。
「曲の制作からしばらく経った後、当時の気持ちを父に説明することができました。逆に、父の気持ちを聞くこともできました。親子の対話が生まれたことで心の“もや”が晴れたように感じています。曲を制作する以前であれば、気持ちを父に説明できなかったかもしれません。私にとってラップを作ることはいわば悩みの言語化でした」
存在理由としてのラップを封印した理由
実は、『イキカタル』は7年にわたる活動休止からの復活第1作にあたる。活動休止にいたる経緯を説明するためアスベストの経歴を紹介したい。
1985年生まれのアスベストは、神奈川県小田原市で生まれ育った。ラップを始めたきっかけは高校生時代に友人から誘われてミクスチャーバンドにMCとして参加したことだった。当時はいわゆるコピーバンドとしての活動だった。リリックを自分では書いていなかったが、ラップの面白さにのめりこんでいったという。
「父親が教育に厳しかったので昔はガリ勉の陰キャでした。高校に入ってからは陽キャの仲間に入りたいから明るく振る舞っていました。“素”の自分を表に出せず、居心地の悪さを感じていましたが、ラップを仲間から褒めてもらえたことが嬉しかったんです」と、アスベストは振り返る。
2004年の大学進学後、自分でリリックを書いたオリジナルの曲でクラブのステージに立つなどアスベストの活動が本格始動した。
さらに2005年、ラップバトルイベントとして有名な「ULTIMATE MC BATTLE(UMB)」が始まると、ライブや音源制作といった従来の活動の場に加えて、バトルイベントでも活躍するようになった。
バトルに参加するようになってから、ラッパーとしての活動に手応えを感じるようになったという。2008年には新卒の社会人として一般企業に就職。働きながらラッパーの活動を継続した。
2011年、ラッパーの活動に専念するためアスベストは当時の勤務先を退職するが、UMB東京予選で2回にわたる準優勝を果たしたことがきっかけで急速に名をあげていった(退職に先立つ2010年、および2012年)。2014年には、日本語ラップ界の大物・般若による8枚目のアルバム『#バースデー』にフィーチャリング名義で参加。同年には般若のライブにゲスト出演を果たした。
着々とキャリアを積み上げていたアスベストだが、2015年に活動休止を宣言。当時の心境について次のように語っている。
「ラップの世界には自分の想像が及ばないぐらい頑張っている人がいるということが、般若さんとの一連の仕事に関わるなかで嫌というほど思い知らされました。しかも、既にレジェンド級のキャリアを持つ般若さんが、現状に甘んじることなくさらなる上を目指そうとしている姿を見ていると目が眩むように感じました。当時の私は、現状にいっぱいいっぱいでした。途方もない格差に愕然としたわけです。心が折れてしまったのかもしれませんね、今になって思えば」
「死にたい」と願う自分のために
活動休止宣言以降、2015年から2021年の7年間にかけてアスベストはWEBメディア運営会社にコピーライターとして勤務していた。
「ラッパーとコピーライターは言葉を操る点が共通しています。脳みその使い方も似ているように思います。コピーライターの仕事にやりがいを感じるほどラッパーとしての未練は薄れていきました」と語る。
一時はラッパーの活動に代わる充実感を仕事に覚えていたアスベストだったが、だんだんと気分の落ち込みを覚えるようになったという。そして2021年12月には会社を休職するに至った。
気持ちの落ち込みや無力感を感じる一方で、自分自身を客観視する方法としてラップを作り始めたことが活動再開の糸口になったとのことだ。
「気持ちの落ち込みに苦しんでいる最中でしたが、満足に頭が働かない状態でもラップを作り続けることだけはできました。10代の終わりから10年以上も継続してきた表現方法ですからね。壁を殴ったり大声で喚いたりするのと同じぐらい簡単なことなんです。ラップを作っていると、活動休止期間中に抱いていた心のもやもやが晴れていくように感じました。精神的な行き詰まりの解決には自らの生き方を見直す必要があると思っていたのでラップの曲制作を続けることにしました。藁をも掴む思いでした」
休職に至った直後、自らの”死”を願うほどに自己否定の気持ちにさいなまされたという。その経験を振り返った一曲が「今日、死なない」だ(『イキカタル』に収録)。心の深淵から湧き起こる“死”の衝動を、理屈抜きの言葉で払拭しようとする懸命さが印象的だ。
「死を願う気持ち」は昔からずっと抱えてきた気持ちだとアスベストはいう。休職のタイミングでラップを作ることで、気持ちを整理する必要に迫られた。
「死なないための思考法を言葉に落とし込んで手元に置いておきたいというのが制作の動機です。また同じような苦悩に陥ったときに自分の胸に響くような曲に仕上げました。以前であれば『いざとなったら死ねばいいや』と開き直ることで死を願う気持ちを紛らわしていました。しかし、結婚して家族のできた自分にとって『死ねばいいや』なんて例え話でも思うことができません」と、曲ができた経緯をアスベストは解説する。
曲作りの目的は「自分を励ますこと」
『イキカタル』の反響はアスベストにとって意外なものだった。リスナーからは”悩んでいるのは自分だけじゃないんだと励まされた”といった声が寄せられたのだ。
意外な反響は活動の方向性に影響を及ぼした。「自分を励ますために作った曲が、当事者同士の悩みのシェアに役だっているのかもしれないと気がつきました。これが現在の活動のモチベーションです」と語る。活動休止前であれば、他人を励ますことが制作のモチベーションのひとつだった。活動を再開してからは自分を励ますことが第一目的に定まったというわけだ。リスナーと自分の関係性を“同じ悩みの当事者”として双方向的に捉え直した。発信側と受信側で区別していない。狙いを次のように語る。
「悩みが発端となり心の不調が引き起こされる背景には『理解されない』『相談できない』といった孤独感があるように思います。仲間ができれば孤独感は癒やされると思うのですが、そのきっかけに悩みのシェアが役立ちます」
キャリアを経るにしたがって「リアリティ」に傾倒するようになった。リスナーに媚びたりトレンドに迎合したりするよりもリアリティを重視するのがアスベストのスタイルだ。「本音でぶつかっていると、本音で付き合える仲間が見つかります」と語る。
新境地を開拓したアスベストの新作
“復活”の記録を本音で綴った
“悩みの共同体”という新たな境地を開拓したアスベストが2023年2月にリリースしたアルバムが『トウビョウキ』だ。
活動休止期間の葛藤を振り返った『イキカタル』に比べると、精神症状が一番辛かった時期に焦点を当てた作品である。「普段の調子を取り戻していくまでのプロセスをそのまんま曲にしました。1曲目が最もきつい時期に作った曲です」と説明する。
収録順にアルバムを聴く流れのなかで、ポジティブな心の変化を追体験してもらうことが狙いの一つにはある。アルバムを締めくくる7曲目「大切はもう手の中」はアスベストにとって人生の転換点となる気づきがメッセージとして込められた曲だ。
「休職を選んだとき絶望感がすごかったんですね。まさに『これで人生終わっちゃったな』という思いが頭をよぎりました。休職している間の出費はかさむし、社会人としての人生が停滞するわけですから。でも、本当はすべてを失ったわけではないと気がつきました。家族やラップといった“大切”はまだ手の中にありました」と語る。転換点となる気づきが得られてからは、休職した事実を前向きに捉えられるようになったとのことだ。
格差社会であると言われるようになってから久しいが、苦難のどん底に誰しもが転落するリスクに満ちた「不安社会」という側面もある。ラップによる心のうちの表現が、まさにそのような社会で生き抜くためのヒントを示した。相次ぐ挫折のたびにバージョンアップを重ねるスタイルは、まさに不安社会における等身大のロールモデルなのかもしれない。
★執筆者プロフィール
★監修者プロフィール
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?