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カラダを感じることで出現する静けさ

狭い部屋に2人っきり。

その状態で相手のことが気にならないって。

長年連れ添ってきた夫婦だったらあるかもしれない。


8畳ひと間のぼくの整体指導室において

整体指導の終わりの礼を交わした後に

向き合っているぼくの存在を忘れて

目を閉じて佇んでいる光景を目にしたときは驚いた。

長い人は数分に渡って無言で瞑目したまま。


師匠や他の先生の指導室では見たことのない光景。

他の先生のところだと、同じ室内で次の順番の方々が待機している。

ぼくのところだと、2人っきり。


部屋の環境や

ぼくの気配などの要因が相まって

目の前に座っているぼくのことも忘れて

心地よさを取り戻したカラダ

感じられるようになったカラダを濃厚に感じて

味わってしまう。


失っていたカラダとの対話を取り戻した結果

目の前にいる他者が気にならないほど

意識がカラダに向かってしまう。

強烈に内観してしまう。


その時、部屋は人間が2人居るとは思えない静けさに満ちている。



朝家を出て街に出ると

平日の朝と

日曜の朝では街の空気が異なる。

日曜の朝はとっても静か。

活動している人間の数が少ない

すなわち思考を働かせている人間の数が圧倒的に少ないので

街の気配が全然異なっている。


鬱やヒステリーならば感受性が過敏で

脳内は人一倍ザワザワしている。

そんな方でも整体指導で大きな変化が起こった後には無言で瞑目して座っている。

そして、やっぱり室内が静けさで満たされてしまう。

人間は基本脳内に思考が湧き起こっている生き物なのでザワザワしている。

ザワザワしているはずの人間が2人いるのに

室内に静けさが満ちているってことは普通ならば無い。



脳内が静まり、カラダを感じられるようなったことで

現れてくる静けさ。

他では見られないこの光景は

ぼくの整体指導室の特徴なんだろうなと思っている。


最近、頭痛で悩んでいるという

その正体が闇の魔法使いの方々の来室が続いている。

止められない自動思考によって猛烈に心のみならずカラダまでも緊張させてしまっている方々。

その緊張が緩まる方向へ転換が出来ると

眠くて眠くて脳内が静まってしまう。

部屋に入ってきた時とは別人のように柔らかい表情に変わった人が

ぼくの目の前で瞑目して座り込んで動かなくなる。

この穏やかな静けさに包まれながら

微笑みながら瞑目している風景を見たくって整体指導を行なっていると言っても過言じゃない。

この至福に満ちた静けさが世界を満たせばいいのに。

その第一歩として、まずはぼくの目の前の8畳を静けさで満たしていきたい。



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