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K.マルクス『資本論』アソシエーションの鍵は、「如何に失うか」にある。

突如として専門用語を使うが許されたし。最初だけなのである。

ケインズの『一般理論』を計量経済学的にまとめた”IS–LM 分析”。言ってみれば単なる需要と供給のバランスの理論ではある。

「いわゆる需要と供給の曲線こそが経済学の基本である」

、、、と断言してしまったとしても、さほど問題はなかろう。そこまで言えるほどの重要概念である。小中学校でも習う理論でもあって、とても大切だから学生諸君も需要供給の話は是非ともしっかりと覚えて欲しいと思うのだ。

ちなみに僕が大学院の時に教授から聞いた話なのだけれど、ケインズは需要供給曲線を見て、「こんなせこい曲線に俺の理論がまとめられるはずがないだろう」とキレて、死ぬまでそいつを認めなかったとかどうとか。

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そいつはともかく、需要供給曲線などと言うと如何にも難しそうに思えるけれど、実はさほど難しい話ではないのだ。

「値段が安ければ僕たちはそれを買いたいと思うし、高ければ買いたいと思わない」
「逆に企業は自分たちの商品を高く売りたいと思うし、安い値段では売りたくない」

そんな、需要(買う側)と供給(売る側)の思惑がバランスして、商品の値段は決まるというだけの話なのだ。

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ここから色んな経済理論が発展していくわけだけれど、よく聞く自由主義経済というのも、

「自動的に需要と供給がバランスして人々の合意形成が可能なのであるから、作りたい人が勝手に商品を作って、買いたい人が勝手に買えば社会全体がうまくいく。変な権力を使って価格を決定すべきじゃない」

というだけのものなのである。

もちろん市場が失敗することがあって、その時は政府が介入すべきだとされる。それに不況の時には需給のバランスがうまくとれないから、公共事業を起こして政府が需要を作り出す必要がある。そんな話もまたあるのだけれども、基本的には経済というものは「需要と供給」なのである。

だから小中学生にも、需要と供給の話はちゃんと勉強して欲しいのである。

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ところが、である。こんな風に推しておきながら、需要と供給だけでは経済がうまく回らないということは、結構な昔から知られていた。

指摘したのは、歴史の教科書にも出てくるA・スミス。『国富論』を書いた経済学の父でもあるけれど、彼が『国富論』の前に書いた『道徳感情論』にそれが出てくるのだ。

その本は文庫本のくせに恐ろしく厚く、値段も2,310円もする。しかもそいつは講談社学術文庫の話で、日経BPではさらに高い3,520円なのだ! 

だが何年か前のEテレ、『100分で名著 「幸せ」について考えよう』の、浜矩子氏の『道徳感情論』の話が秀逸中の秀逸であったものだから、テレビを見た次の日、静岡県西部で唯一在庫があったサンストリート浜北の谷島屋さんまで1時間半かけて車を飛ばしたのであった。

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そんな私が大感動した、Aスミスの『道徳感情論』をまとめさせてもらうと次のようになる。


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『道徳感情論』 A.スミス


商品の価値は値段によって決まるのではない。その生産に関わった人間の労働の質と量によって決まるのだ。これがすなわち「労働価値説」と言われるもので、この考え方を初めて世の中に提示したのがアダム・スミスである。

労働が商品に価値を与えている以上、労働の価値を踏みにじれば、商品経済は瓦解してしまう。だから労働価値説の観点に立てば、ブラック企業など存在することすら許されない。

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人の痛みが分からない者たちが経済活動を営んでしまえば、彼らは確実にお互いを不幸にしてしまうだろう。不幸どころではない。共感無き経済活動は、結局のところ、共食いになってしまうのだ。命の奪い合いだ。

人の痛みが分かるものは、決して相手を不幸にしない。相手を決して不幸にしない者たちで世界がいっぱいになれば、誰もが幸せになることができる。つまり、人の痛みがわかることこそ、最高の幸せの基礎、世界の基盤となる。

人の痛みが分かる者たちの行動様式は、自ずと分かち合いへと向かってゆく。そして経済活動の基本原則は、「分かち合い」でなければならない。

これを現実にあるように「奪い合い」だと誤解してしまうと、人はお互いを不幸にするばかりになる。

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「自分だけ得をする」

それが経済原理だと思い込むと、ただちに奪い合いと共食いの世界に陥ってしまう。そこで勝ち残ったものは、自分一人だけが生き残る孤独を発見するだろう。

共感ある世界においては、不幸さえも分かち合いの対象になる。人の痛みが分かるというのは、それだけ賢くなるということだ。人と親しくなれるということなのだ。そのような精神風土の中で育まれる経済活動こそが、人を幸せにする。

不安は幸せの最大の敵である。釈迦も説いているように不安は無知から生まれ、無知は恐怖をもたらす。枯れ尾花であることを知らないがために、幽霊が怖い、経済が怖い、他者の威圧が怖い。怖いものはやっつけたくなる。疑心暗鬼は人間を攻撃的にしてしまう。攻撃的な人間同士は、お互いの幸せを破壊する。

からくりの解明こそ、幸せへと繋がる第一歩なのだ。

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『道徳感情論』は、正論中の正論の書だと言って良いだろう。
一方、マルクスはもっとプラグマティック(実際的)だった。

彼は、「商品の価値は全て、生産にかかる労働時間によって数値的に測ることが可能だ」と言う。だから、色々な製品に妥当な値段を付けることができるのだ。

そしてここからが面白いのだけれど、値段を重視した商品経済が進むと、「商品を作る魂が死ぬ」と言うのだ。

数値と魂は逆の相関関係にあると彼は言う。需要と供給と同じように。

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そして人の魂を復活させるためにマルクスが考えたのが、共同体(アソシエーション)なのであった。

需要と供給を基本原則とした従来の経済は、アダムスミスが喝破したように道徳に欠いていたがために大きな欠陥を内包していた。すなわちこれまでの経済は、「道徳」を得られずにいたからこそ、どうしてもうまく回らなかったのだ。格差の原因、世界各地で頻発する紛争の原因もここにある。

そして、道徳を経済に組み込むために必要なものこそが、『資本論』で述べられている共同体なのである。ただし共同体と言っても、旧ソ連や社会主義国に見られるような巨大なものではない。起業家を輩出する飲み会のような、非公式な集まり、小規模な共同体でいいのだ。

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それでは新しい共同体とはどのように作られるのか。僕の大恩人で、静岡のキーマンでもある中溝一仁さんがどうしているかを是非に聞いて欲しいと思う。

事情により、すこしだけ口調を変えさせてもらいます


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「どれだけ上手く手に入れるか」ではない。「どれだけうまく失うか」〜 中溝一仁さん 〜


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「モテたい」
「カネが欲しい」
「名誉を寄こせ」

人の欲求には際限がねぇ。俺らが勉強するのも、働くのも、何か得られるものがあるからやってるわけだ。動機づけって基本的にそんなもんだ。

例えば、、、

ミュージシャンになりたい。
東大に入りたい。
社長になりたい。

って言って、みんな頑張ってるわけだ。何かを手に入れるために頑張る。普通はそうだ。

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これ、一人だけでやるならそれでいい。一人で頑張るなら、「どうやってうまく得られるか」ってことだけを考えればいい。それでいろんなものを手に入れられるかもしれないから。

だけどちょっと待って欲しい。

俺が敬愛させてもらってる方に、中溝一仁(なかみぞ かずひと)さんがいる。

中溝さんは押しが強いし、飲み会でもなんでも、とにかくず~~っと喋ってる。中溝さんの誕生会に行ったときなんか、食事前に中溝さんの語りがあって、それを聞いてたら終電になっちゃったんだ。だもんで飯食えずに帰ってきた。そんなこともあるくらい超おしゃべりなんだわ。

(後日、「埋め合わせする」って言って、イイ店で奢ってもらったことは付け加えねばばなるまい。。。)

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中溝さんは会社をうまく経営されているし、地位もあるし、おまけにモテる。ずっと社会学の先生をされていて、この間、大学の専任の先生にもなったんだ(これ実は恐るべき凄いことなのだ)。

だけど、「威張ってばっかりいる人」とはまったく違う。超がつくほど強いのに、ぜんぜん威張ってない。僕は中溝さんの仲間とも沢山友達にならせてもらった。彼らといると居心地が良い。なにか許してもらえてる感覚がある。そんな雰囲気を中溝さんが作ってくれてるんだ。

逆に「絶対許さない」って人も世の中にはいる。

下のは実際俺が、中溝さんじゃなくって、ヤバい先輩であるAさんから言われたセリフである。

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「なんで俺の水を注いでないんだ。気が利かないやつだ(そこから3時間説教)」
「約束の2分前に来るのが常識、なんで5分前に来るんだ(そこから3時間説教)」
「そんな男と付き合うんなら、お前はもう研究をやめろ(そこから3時間説教)」

それはそれで真実なところもあって、こういう方にもめっちゃ勉強させてもらってきた。今俺が目上の人に気遣いが出来るようになって可愛がってもらえるのも、そんな指導を受けた賜物だろう。だからマジで感謝してる。だけどな、正直息が詰まるから積極的に会いたくはないし、実際もう何年も会ってない。死ぬほど面倒臭いからだ。

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中溝さんって「絶対許さない人」の対極にいる。「許してくれる人」だ。一緒にいてホッとできるし、みんな中溝さんの集まりに来る人は、そこを「自分の居場所」だって思ってる。だから、めっちゃ人が集まってくるんだよ。

中溝さんが主宰してるドラッカー研究会っていう月イチの勉強会も、2019年の4月で100回を超えた。で、俺はその記念日の打ち上げで中溝さんに聞いたわけだ。

「なんでそんなに人が集まって、続けられるんですか?」
「僕なんか会を主催すると、気を使いまくって疲れ切っちゃうんですよ」

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そしたら、

「そりゃあ、人をまとめるのなんて最初は我慢の塊だったよ。だけどそこで怒ったってしょうがない。気の合う人同士をうまく繋ぎあわせて、何か起こったら許すしか無いよ」

「よく許せますよね。世の中にゃあ絶対人を許せない人だっているじゃないですか?」

「許すことで成功体験を得られれば、出来るようになるよ」

・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

じゃあ、「許す」ってなんなんだろうか?

プライドとか執着を「捨てる」こと。。
人にこうさせたいけど「諦める」こと・・。
あたためた計画を「手放す」こと・・・・・。

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中溝さん自身、勉強会に人を呼んで、その人のために練りに練ったプレゼンを用意して、ブッチされたこともある。

ちなみに其の方は飲み会にだけ顔を出したんだけど、中溝さんは、

「◯◯さん、ホントにもう〜〜〜!」

って笑ってた。

こんなんって言ってみりゃ「失う」ことと同義だわ。だって死ぬほど一生懸命用意したのに、完璧に無駄になっちゃったんだから。そう思って俺は驚いたんだ。

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失うってことには、一つもイイことなんてなさそうだけど、中溝さんは成功体験があるって言ってる。失うことで中溝さんが得た成功体験って一体何だろう?

・・・・・・・
・・・・・・・

俺は、「失うと、仲間が集まる」ってことだと思った。実は中溝さん自身からは、これが本当に件の成功体験だったのかどうかは聞いてないだけんね。なんか聞きそびれちゃったんだよ。

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「世の中のもの全部手に入れてやる!」って感じの、超絶気が強い世紀末覇者ラオウみたいな奴っているじゃん。でもその人は中溝さんにはなれない。人の和を作るのって、「どれだけうまく失うか」が重要になるから。

静岡の農業ベンチャーの雄、エムスクエア・ラボの加藤百合子社長も「人に気に入られたかったら上手く負けること。その人に花を持たせて話してもらうようにするといいです」って言ってくれた。

これって中溝さんとは違う「失い方」をしてる。その人なりの、その人に合った、その人だけのイイ感じの失い方がある。そこにもパターンがある。

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例えばADHDの人って起業に適性があるんだ。ただ、ADHDだもんで最初は上手くいかない。でも、どうしても出来ないことを、「出来ません」って素直に手放して、人を頼って許してもらうようになれる人。そんな人がいる。

有能さではなくって、キャラ作りを成功させる人が。そうすると逆に、強い個性を発揮して大成功してゆける。起業家としてね。出来ないことの中に、その人独自の「失い方」を見出せられるか。それが成功の鍵だったりする。

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周りに応援してもらって、はじめて能力は発揮できる。能力だけで突っ走ったら必ず潰されるぜ。

それなのに現代の教育って超自己中心的な「何を得られるか」って教育しかできていない。唯物主義に陥って「どんだけ上手く沢山のいいモノを手に入れるか」ってことだけを追求してる。

「自分ばっかりいい目見よう」

みたいに。

「いい点数取ろう」
「いい会社に入ろう」
「いい家に住もう」

って。

だけん、モノじゃなくって仲間を得るためには、それじゃあ片手落ちだっただよ。

「上手く失うため」に踏ん張ってるんだ、人をまとめられる人って。得ることだけに躍起になってちゃダメだ。仲間の居場所をつくってあげられる人って、そっちの方向を向いてる。

「元気になるための方法を知りたくはないか?」
「それは簡単だ」

人の和を作れりゃ元気になれる。そいつはかのA.アドラーも保証してくれてるぜ。

う~ん。東洋の知見っぽいな(*^^)v
さすがは俺の大恩人、中溝さん!


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今の日本では、こういう起業家が増えてる。戦略的って言うより、共鳴しあう起業家が。こうした「居場所になれる人」でないとみんなが集まらない。


「価値はすべて、他の何かとの比較の中で存在する」


マルクスは経済を評してそう言ったけれど、例えばお母さんのご飯はどうなのか。その傍には比較じゃなくて居場所があるわけだ。

アソシエーション(共同体)のイイところは、これまで冷たいだけだった経済に温かみを加えられるところだ。居場所をつくり、居場所にいられる道徳がある人たちを育ててゆけるところだ。起業家を産んで、新しい世界を開拓して行けるところ。それこそが共同体の持つ意味なのであって、中溝さんら起業家が作り出している「学び場+遊び場」が持つ価値なのだ。

そんな飲み会のような場が無数に溢れる時、経済には需要と供給の他に、この、共同体という軸が加わる。今まで失われていた、経済を回す最後のピース「道徳」が世界に組み込まれるのである。

椅子だって二本足では安定しないけれど、三本足なら地に足がつく。経済も三本足になって初めて、しっかりと自立しはじめる。

画像22Photo by Ben Weber on Unsplash

だから僕たちは、優劣ではなく、居場所を作ろうと思う。

え? 「じゃぁその目標は何か」って?

そうだなぁ。

中溝さんとこには、コアなメンバーが100人くらいいる。袋井市の人口は8万人だから、800人くらいの中溝さんみたいな起業家をつくりたいな。そうすりゃぁ、800✖︎100=80,000人。袋井市民全員幸せになれるじゃん。

月に100万円稼げるヤツって、そりゃ格好いい。
だけど、月に100人集められるヤツってのも、また格好いいだろ?

まずは俺がそうならなきゃいけないけどな。

だけどここから起こしてやるよ。とてつもない祭りを。

【参考】Marx, Karl. Capital (Das Kapital) (Kindle の位置No.194). Misbach Enterprises. Kindle 版.

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めっちゃ嬉しいです😃

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

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Hayato  Matsui『逆転人生』共著者
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