RealとFakeの狭間で~SNS「Be Real」から始める哲学~
「Be Real」というSNSがある。
1日1回、ランダムなタイミングでアプリから通知が届き、2分以内に写真を撮影して投稿するのが主な仕様で、加工機能がないためその時々の素の姿を移すのが特徴的なサービスだ。"Be Real" すなわち、「リアルたれ」―。2020年に公開されたこのSNSは、「映え」や「盛り」を意識していた2010年代のSNS文化にアンチテーゼを打ち出すかのようだ。
先日、ある友人がBe Realを撮っていた時、 Be Realをやっていない仲間内で「俺らは "Be Fake" だもんな」と冗談めかして笑った。そのときに思った。そうか、"Be Real" の反対は "Be Fake" か、と。
だいたい、"Be Real" (リアルたれ)ということは、その元の姿がリアルではないということ(= "Be Fake" という状態)である。元がリアルではないからリアルたれという標語が立つのだ。現代人のもともとの有り様が "Real" なら "Be Real" なんて流行らないわけだ。
つまり、私たちは "Fake" な生を送っている。SNSのBe Real について言えば、あまりにも加工や盛りが行き過ぎた2010年代的SNSからの反動としての標語 "Be Real" なのだろうが、SNSの登場以前から、ひとは自分自身の人生の「Fakeさ」に悩まされたり、「Realさ」を追い求めてきたりしてきたのではなかろうか。
ハイデガーは、死を先駆的に決意した現存在が自分の可能性に自分を投げ入れる「投企」という生のあり方を唱え、「実存が本質に先立つ」と考えたサルトルは、はじめから実存があり、人間はそのあとに自分自身で本質を作らなければいけないと考えた。私には、両者とも人生の「Realさ」を追い求めていたように映る。しかしながら、アルベール・カミュが人生は本来無意味であると割り切ったように、レヴィ・ストロースが人間の主体性が所詮構造に規定されていることを暴いたように、「Realさ」を追い求める彼らの思考には限界があった。そして、人生の意味を求め、その「本来性」に向かおうとする人生観は、時に全体主義や戦争に結びついていった。
私たちは、言わば 「Fakeな」生を送っている。それ自体、悪いことではないはずなのだ。
しかし、私たちはどうしても生の 「Realさ」を求めずにはいられない。生きる意味はどこにあるのか、なんのために生きようか、とついつい考えすぎでしまう。残念ながら、いくら探しても、その絶対的な答えはどこにもない。だから結局のところ、人生は本来無意味であるのだ。カミュによれば、この無意味さこそが人間にとっての不条理である。
21世紀、ひとびとの生活はめまぐるしく変わり、SNSという20世紀ではありえなかったコミュニケーションツールに人間生活は半ば支配されているが、それでも「Fakeな」人生の中で「Realさ」を求めてしまう人間的な葛藤には変わらないものがあるのかもしれない。
ところで、Radioheadというバンドの「Fake Plastic Trees」という曲がある。
この曲が描くのは、 "Fake"と"Plastic" にまみれた無機質で空虚な世界と、そこで自分自身の生が擦り切れていってしまう人々だ。街のゴム化、人間のプラスチック化。無機質で無味乾燥な世界で、人間もどんどんプラスチック化していく。そしてそれらは限りなく "Fake" なものになってしまう。そこでは、love(愛)でさえも "fake plastic love" に見えてくる。
この曲の歌詞の美学は、「Fakeさ」にまみれる世界で、やがて「Realさ」の希望を見つけつつも、「Realさ」への決意ではなく非常なピュアな渇望でフェードアウトしていくところにある。これこそまさに、「Fakeな」生を送りつつも「Realさ」を求めずにはいられない、人間らしいあり方ではないか。この曲は "Fake" と "Real" の間の、人間らしい葛藤をうまく描き出しているように感じる。
今回は、本曲の歌詞和訳をもって、筆を置くことにする。
ぜひ、曲を再生しながら歌詞を眺めて頂きたい。
【歌詞和訳】Radiohead - Fake Plastic Trees
Her green plastic watering can
彼女の緑色のプラスチック製じょうろは
For her fake Chinese rubber plant
チャイナ製のゴム造花の水やり用
In the fake plastic earth
プラスチック製の偽物の地球で
That she bought from a rubber man
彼女はそれをゴム製の男から買ってきた
In a town full of rubber plans
ゴム製の計画だらけの街で
To get rid of itself
結局は街自体を壊す計画
It wears her out
彼女をすり減らす
It wears her out
彼女をすり減らす
It wears her out
彼女をすり減らす
It wears her out
彼女をすり減らす
She lives with a broken man
彼女は壊れた男と暮らしている
A cracked polystyrene man
ひび割れたポリスチレンの男だ
Who just crumbles and burns
彼は砕けて燃え尽きた
He used to do surgery
かつては外科医をやっていた
For girls in the eighties
80年代の女の子のために
But gravity always wins
でも引力には決して抗えない
And it wears him out
そして彼をすり減らす
It wears him out
彼をすり減らす
It wears him out
彼をすり減らす
It wears
すり減らす…
She looks like the real thing
彼女は本物のように見える
She tastes like the real thing
彼女は本物のように感じる
My fake plastic love
僕の愛はプラスチック製の偽物
But I can't help the feeling
でも自分を離れない感覚がある
I could blow through the ceiling
天井を吹き飛ばせるような感覚がする
If I just turn and run
ただ振り向いて走れたなら
And it wears me out
そして僕をすり減らす
It wears me out
僕をすり減らす
It wears me out
僕をすり減らす
It wears me out
僕をすり減らす
And if I could be who you wanted
もしも僕が君の望むようであれたら
If I could be who you wanted
もしも僕が君の望むようであれたら
All time
いつでも
All time
いつでも
追記
同曲はつい最近、ビリー・アイリッシュの兄としても知られるFINNEASによるカバーが公開されていました。こちらも素晴らしいので是非