昨日ワクチン接種して、朝は元気だったのですが、買い物に行く途中でひざの関節が痛くなり、足が重くなり、スーパーの食品売り場までたどり着けず。フードコートで牛丼を買って家に帰って熱を測ったら38.0℃もあって、解熱剤飲んで寝ていました。夕方不動産屋さんから電話があり猫と住めることに。
昨日、マンションの売却契約をした後で、引っ越し先は自分たちで探すように生活相談センターの相談員にいわれたが、引っ越し先まで不動産屋が探してくれるという条件で紹介されたのに「猫がいると物件がないのよね、誰かいっしょに探してくれる人はいないの?」といった。できないなら口にしないで。
私は津田沼童話の会に入っている。私は住所は津田沼だが船橋市民ではない。船橋市文学賞に応募したくて入会したが、歴史のあるサークルで、きちんと児童文学者の方に見ていただいている。児童文学初心者の私はふだんの文章は読めるが物語はありきたりだったる物足りないそうだ。修業が足りない。
去年高齢者になって、疲れている自分を我慢して妹の介護を頑張って、もし自分に何かあったら、だれに連絡すればいいのだろうかと考えたときに、身内がいるふるさとに帰りたいと思いました。妹はいま住んでいるところに居たいというけれど、弟が私たちを心配してくれているので、田舎の都市部に帰ろう。
スマホ苦手なのでいつもパソコンで書いてるけど、今日はスマホのありがたみが身に染みた。ありがとうスマホ😊😊
私は心が弱くて、神様にすがりたいと思いながら、本当に神さまの御心にかなうように、と祈ったことがあるのだろうかと、問い返してみる。それは無人にならなければ、疑問を感じていては御心にかなう行動はできないと思う。ただ神さまを信じて祈るものとさせてください。自分の力では何もできません。
文章を書くことには覚悟が必要です。6年前にたった3行で大切な友を傷つけて絶交しました。小学校からの友でしたが親切すぎて、煩わしくなってしまったのです。絶交されて当然です。今日もう一人の友人が心配してくれましたが、いまの私には彼女が私を許そうと心を開いてくれることを祈るだけです。
障害のある友人に「アビちゃんはなんでもできそうなのに」といわれたから、障害者の「なんでもできそう、は何にもできなそう。と同じなんだよ」と答えました。でも、何もできないわけではありません。私には福祉の知識はありますし、いけばなの教授者の資格もあります。手にマヒがあってもできます。
私の書いた詩とは言えないような文章を、うみのもりという障害者の芸術活動を支援している団体の「言葉舞う!」という募集に応募したら額装してギャラリーに飾ってくださるそうです。嬉しいのですが釈然としない自分がいます。芸術に健常者も障碍者もないと私は思っているからです。ねえ、クララ。
今日は妹の通院日で同行してくれたヘルパーさんや介護タクシーさんが、連絡がつかなくて、心配して、病院まで見に行ってくれたり、別行動だった私に連絡をくれたり、みなさんの優しさが身に沁みました。なぜかというと妹は介護ベッドから落ちて、顔がお岩さんのようだったのです。ありがとうございます