結局自分は日本に対するこだわりがだいぶなくなってきてしまった 一番重視したいことが生きづらさの軽減や命の連続性の持続で、日本の文化や歴史がそれに役立つなら日本のために動きたいとは思っていた けど、今の日本を見ていると日本であることが足を引っ張ている可能性もあると思えてきた
今、必要なのは、命を蔑ろにして利益をむさぼる連中に立ち向かう意志の連帯だと考えている 日本の伝統や文化は戦う意志を育てることに繋がるのか?と時々疑問に思う もし、自分の願う戦う意志の足を引っ張るようならば、自分は日本人を名乗るのをやめようと思う 危機に立ち向かうことが大切だから
自然を尊ぶというよりも不自然に対して違和感を感じる 違和感を封殺してきて違和感と感じなくなってしまったことが日本人の大きな問題だと思う そう難しい話ではないと思うが 当たり前を失っても平然と生きていると思えるところに人間という存在の恐ろしさを感じている
より良い人になろうと思っているのは今なお多くの人が不条理なこと、生きるただそれだけさえ脅かされているからだ 皮肉に思うのは人間以外の他の生物は基本的には自らよりも自らの種族の持続のために自然と力を尽くす 人間のみが「より良い人」にならないと動こうとするしないということに呆れている
日本という国のいい部分も悪い部分も見えてきたからこそ、改めて日本という国が自分の目的な叶うのかを再検討してみる 子どもの自殺が年々増え続けていることを顧みれば、現在の日本は甚大な問題を抱えている 子どもが生き生きと生きられる環境を作れるのか?そこができるか否かが重要である