21時に消灯 眠れない日は窓の近くのベッドだと夜景が見られるので助かる 東京タワーがよく見え、日によってライティングの種類が違うことを知った ネットで調べられる 変化の少ない入院生活での楽しみの一つだった
昨日入院 前回と同じ8階だが、部屋の向きが違う 反対側だと東京タワーやスカイツリーも見えたのに、残念 腕のリハビリにと編み物を持参した シャワー浴して、歯科衛生士にクリーニングしてもらう 食事は21時まで 今朝は6時に飲水もストップした
12日前のnoteにも送った写真がICGの色 かなり鮮やかだったのを覚えている 点滴を入れる時に医師が この検査のことは聞いているかと問われたが、事前に聞いていないと伝えた 同意書にもサインはしていない つまり副作用に関しての情報が全くないまま投与されショックを起こした
母は9時半に入院、13時からの胆嚢全摘手術が無事に終わり、少しだけ会話も出来ました✨ ドクターからも丁寧な説明があり、心から「ありがとうございました」の気持ちです💓 私が出会うドクターは良い方ばかり。感謝ですね‼️ 待っている間、家族待合室で、読んでいた本です📖
退院の朝ご飯 術前の点滴でアナフィラキシーショックになったため、手術日から全て1日伸びた 私に合わない薬はいくつかあるが、どの薬剤で反応したか口内が苦く感じるものがあった それだけではなく舌苔が灰色になり、擦っても落ちない この症状は2週間ほど続き、その後普段の下の色に戻った
まだ腹部は痛いが翌日退院の予定 看護師さんに手伝ってもらいシャワー浴を済ませた ドレーンを抜いた後の傷口はガーゼを貼っただけなので 濡れないようにシールで防水 入院が真夏だったので夕食が済んでも外はまだ明るい 暗くなる前に東京タワーが点灯する 飛行機のラッシュも続いている
昼前後にドレーンが抜去された 尿カテーテルとまた違う感覚だがほとんど痛みはない はーっと息を吐いてと医師に言われ、脱力するように長く吐く 何となくぬる〜とするかな???と思っている間に抜けた どれ位入っていたのか聞くと肝臓の下までなので15cmと言われる その後動くのが楽になった
ようやく腹部を押さえながらゆるゆると50m歩けるようになった それでも背を上げたベッドから降りるのも一苦労している 元々寝返りも十分に出来ないため電動ベッドのマットの下の固さがダイレクトに腰に響く とにかく腰が痛い! 持病のため反り腰気味なのが余計に災いしていると思われる
病院での朝ご飯 おひたしとかならウチでも用意できるな〜と考えるが 湯葉やら人参やら入っている 少しずつ食べるには小分けして冷凍か、毎日食べるかになってしまう 手術後は米飯が食べられない時期があり、自分でも驚く この日は納豆がついていたのでご飯半量いただいた
胆嚢を切除すると脂っぽい食事を摂るとお腹を下すと言われている 病院食なので揚げ物でも大丈夫だろうと魚の竜田揚げを選んだ たまたま揚げ油が残っていて清汁と一緒に飲み込んだ お腹は下さなかったものの術後の体力の口に揚げ物はまだ早かったのかもしれない 還暦の自分を労るようにしよう
お腹の痛みや、腕のだるさがありベッドから動きにくい 電動ベッドで上半身を起こしても45度まで上げると痛みがある 病院ではwi-ifが無料で繋げられるので 一定時間手を使わなくても良いWebコンテンツなどを利用した 夕方飽きて窓を見ると飛行機がひっきりなしに飛んでいた
今、使える痛み止めと異薬 アレルギーが起こらない種類が残っていて良かった! 1日3回毎食後1錠ずつ 人工呼吸器の影響による掠れ声も快方に向かってきた 手術当日はほとんど声にならなかった声帯も 地声までは戻っていないが大きめの囁きになった 気管の奥まで呼吸器を入れたためとのこと
食事の経口摂取が計測的に可能になったので点滴のルートが外れた これで点滴の棒を持ち歩かなくても良くなった!と思ったが 腹部の傷が痛くてこの日は杖代わりに頼ることになった この点滴を入れたためではないと思うが この後、ずっと親指人差し指の根元が痛み力が入りにくくなってきた 困った
日本の食事は入院食であっても和洋折衷なのだと思う 内臓疾患ではないからか?この病院の入院食は見た目も味も悪くない 食事のたびに電動ベッドで上体を起こして食事をするが 痛みが軽くなる体勢にするまでに時間がかかり 動こうとして力を入れようとすると「うっ」「くっ」と声が漏れる
病院の朝飯は8時前後に各自のベッドサイドまで運ばれてくる 毎回、氏名と生年月日を言わされるので同室の方の大体の年齢がわかる それぞれのカーテンは開け放しに出来ず、患者同士での会話はなし コロナの影響だと思うが、入院しても挨拶はなし この日の旬菜焼あんかけは好みの味だった
手術の翌々日にHCUから一般病棟に移った 朝飯、昼食は頭がぼんやりして、悪心もあったため撮影出来ず ようやく夕食分だけ撮影できた 離床も出来てトイレにも行けるようになったので尿カテーテルを抜去した カテーテルを抜くときは何度やられても変な感じ… 抜去後の寝返りしやすくなった
HCUで一晩過ごし、大きな問題がなかったということで翌日一般病棟へ移動する 薬剤のせいか、アレルギーの影響かまだ頭がスッキリしない 離床するのに1日遅くなるが、看護師からも安全最優先と言われた その分、歯磨きや身体の清拭はお願いせざるを得ない ありがたい
麻酔から目覚めると既に夕方近く 気づくとHCUにいた 尿カテーテルが入り、右脇腹にはドレーンがあるようで違和感がある 頭がスッキリせずモヤがかかっている 吐き気があったため吐き気止めを点滴されたが ここでもアナフィラキシーショックをおこした
執刀医との挨拶の後、麻酔科医と挨拶を交わす。 右手の甲のルートから麻酔を入れると言われ、少し染みますよと言われた。「あ!ちょっと染みます〜」と答えた後は意識がなくなった。 今まで何度か全身麻酔の経験はあるが以前のようなフェードアウトも感じず、今回は記憶がプッツリ切れた感じだった。
前日のアナフィラキシーショックが何とか落ち着いたので1日延期されたものの手術が可能になり、9時にベッドのまま手術室に向かった。 到着すると執刀医と挨拶のやり取りをしながら、臍ヘルニアが治ることを期待していると伝えた。少々驚いている様子。 ベッド上の患者は医師に全てを委ねるしかない
全身麻酔がかかりやすい 今回も麻酔薬を投与すると言われたのだけを覚えている 看護師に起こされるまで意識がなかった 尿カテーテル、右脇腹にドレーンが入り、心電図がついている 痛みより頭に何重にもモヤがかかっている状態が継続している 何も考えられず、ただ手足を動かすなど全てがだるい
朝6時に飲水も中止となった 昼前に医師が来てICG(インドサイアニングリーン)を使った色素負荷試験をするという 蛍光黄緑色の点滴を流し始めた途端、アナフィラキシーショックを起こした 発疹、痺れなどが起こり頭痛と鈍麻、意識にモヤがかかる 結局、手術は中止となった 写真は当日の夕食
翌日は手術当日なので 夕食後21時以降は食事禁止になるので味わっていただく 刺激物、特にカラシ系が苦手なのにマスタード焼きのメニュー 申し訳ないけれど口に運ぶごとに水分で飲み込む 自分で作る食事であっても毎日1汁3菜は難しい 自分で作らず、これだけ美味しい食事は大変ありがたい
入院で気になるのはベッドの場所 窓際なのか、廊下側なのか… 今回は最初から窓際だったのでラッキー! 術後1日は寝たきりになるので、その間も 空がこれだけ広く見えると雲の動きも楽しく見られるかもしれない
入院当日に遡る 9時に入院手続きをして8階に案内された 今回も自分の寝巻きとタオルを持参する 着替えをしてバイタルを計り昼食 翌日のメニューも選べるが手術当日なので食べられない キーマカレーが気になる
7/30に退院した 入院中は腹部痛がひどく またアナフィラキシーショックもあり体がだるかったため NOTE入力ができなかった 明日以降、思い出しながら追記することを考えている
昨日点滴された緑色のやくはインドシアニングリーンのようだ それによってまたアナフィラキシーショックになり手術は延期された アレルギー対処でポララミン点滴 ホルター心電図をつけられた 今朝の血液検査の結果で手術するか決まる とりあえず術着に着替え、待つ
夜中に徐脈と言われて叩き起こされた 確かに心臓あたりが痛い この痛みは以前からたまにある また診療科が増えるのか!?
名前は分かりませんが 肝機能の検査で赤外線を当てると光る薬剤の投与中 点滴に入れる時に医師がこぼした跡↓ すごい色が私の体に入るのだと思った