同じ言葉でも、どの立ち位置から言うかで意味が変わってきます。 たとえば「自己責任」。親がどうあれ環境がどうあれ、自分の人生は自分で責任を持つと決意して、努力するのは尊い。 けれど、環境が合わず、仕組みの歪みで苦しんでいる人を「自己責任」と切り捨てるのは、無責任だと考えます。