しかし劣情とはなんと己の形を明らかにすることか。憎しみ、羞恥、嫉妬…具体的に言えば、布団を頭からかぶって呻きたくなるような思いだ。きっとその思いは、あなたを一生苛む。ならば心を傷つけながらも、真摯に劣情と向き合え。そして卑しい己の心を明らかにするのだ。
己が国の政治家のだらしさを憤慨するのはよい。だがその国の政治家の姿は、国民の姿をそのまま写し出している鏡だ。あの卑しさやたるみは、私たちの内面なのである。不法には怒ればよい。だがそこには私たちにも責任がある。一片の曇りもなく政治家を批評できる国民などいない。
神という仲介者をなしに隣人を愛すれば、いつかは深い幻滅を味わうだろう。それは誰もが持つエゴによるものだが。神の名において、隣人に同情して手を携えること。どんなにひどいことをされても、期待が人ではなく神にあれば、己を致命的に損なうことなく人に希望を持ち続けることができる。
『「2001宇宙の旅」と「スノーデン」を見て』 精神とは【離れる技能】かもしれない 知能とは【現実離れする力】かもしれない 知性は【まともさの正反対】かもしれない かもしれなさが【離脱】かもしれない 離脱は進化(種分化)の第一条件 養生が進化の第二条件 真逆さは進化の最終形態
己の弱さが卑しさが分かっているから、自分に自信がない…当たり前の理屈だが、弱さや卑しさの源を探るのは難しい。それらは無意識化に沈んでいて、知らないうちに意識上の私を蝕む。結局はどうにもならないのだが…祈りにより私を超越的な存在に委ねることで、自信がない己と共存することはできる。