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最新ニュースについての雑記-お金配り当選詐欺-

先日気になったニュースがこちら

率直な感想は日本人らしいな、である。
そうはいっても、外国人の習性を熟知しているわけではなく、
「日本人」という観念からイメージされる特徴からすると、まさに一致するな、ということである。

それはどういうことか。
単純に卑しい、ということである。

卑しさ

「卑しい」とは?
簡潔にいうと、自我の固執である。
それに伴い生じる、低次元の欲求を満たさないとならないとする習性といってもいい。

・それは私の 100 円だ。
・飲み放題で元を取ろう
・それは私の権利だ

利益はどんな小さなものでも確保しようとし、損失はどんな小さなものも許容しようとしない姿勢である。
つまり、過去記事でも少し触れた、プロスペクト理論に陥っている状態である。

すなわち、プロスペクト理論=卑しいと言える。
そして、このプロスペクト理論、日本人は外国人に比べ該当者が多いという研究者もいる。
確かに、日本人が諸外国に比べ投資に興味を示してこなかったということからも、その説は一理あるのだろう。
(投資は資産をリスクにさらし、短期間の利益につながる行動ではない)

卑しいが出来るまで

ではなぜ「日本人」という属性に「卑しい」という色がつくのか。

それは、「日本人だから」では無い。
「考えない人間」が総じて卑しくなりやすいのではないだろうか。
なぜなら理性(思考)を要しないと、動物的な食べる、寝る等の本能的な欲望に傾倒しやすくなる。

プロスペクト理論は人間の本能に関する理論であった。
つまり、「考えない人間はプロスペクト理論の(卑しい)人間だ」

そして、ここで日本人に焦点を戻す。
ここで立つ仮説は「日本人は考えない人が多い」

なぜ考えないのだろうか。
いや、考えられないのだろうか。

それは日本の教育システムに原因があるのではないだろうか。

日本の教育システムを端的に述べると、
「答えのある問題への取り組み」であり「産業革命時の集団教育の継続」である。
現実、社会において、はっきりとした答えがあり、それを助け合いも特にない大集団で臨むような機会があるだろうか。
勉強したことが役に立った!という現役の生徒や学生が多人数存在するだろうか。
それはほとんど無いはずである。

従って、生徒・学生は教育機関内での活動での最適解を追求する。
つまり暗記だ。
詰め込むだけなのだ。
ここで「考える」は没却する
そうして、月日を重ね、「考えない日本人」もとい「卑しい日本人」が出来上がってしまう、ということだ。

こうしたことには気をつけよう

自分がそのような教育機関で育ってきた、と自覚するなら、そういう傾向が自分にもある、と思って行動することが望ましいだろう。
無意識は「わからない」からだ。

そうした長い月日において、「洗脳」されてきたことは(悪い表現だが)、リニューアルするにもそれ相応の時間と訓練が必要とされるものだ。
だってそうだろう。
急に、左利きになれ、というのと同じような話だ。

そのため、少なくとも最小限の注意事項は把握しておくことが大切だと考える。
次に挙げる項目は、実は「卑しさ」を拗らせることに繋がる事柄である。

  • ポイントセール

  • 割引

  • お金配り

  • 限度を超えた貯金

  • サウナ後の体重減少

  • ばら撒き政策 etc

小さな利益を求めれば求めるほど、卑しさは加速する。
なぜなら小さいが満足が重なるから、自己肯定に繋がるからだ。

その先に、詐欺が待っている。
今回のお金配る詐欺のようなものから、
儲かる情報商材といったものまで、
多くの罠が待ち受けている。

しかし、深みに足を突っ込んでいる人からすると、それはチャンスにしか見えないだろう。
当然だ。簡単に満足は重ねられると思っているのだから。

詐欺師は、この仕組みを理解している。
だから、公務員の方や、比較的世帯年収の低い世帯が狙われやすい傾向にある。

詐欺の結末

最後に、詐欺に対して怒りを覚えたとしても、それは鎮めるべだ。
彼らはこう言ったことを思いつくような、非常に知的な集団でもある。
自分が、大切な人が、詐欺にあったとしよう。
しかし、なんとかしようとしても、次の罠に陥れられるのが関の山だ。

じゃあ諦めろ、というのか。
心配しなくても大丈夫。
必ず、小悪党の詐欺は長続きはしない。
潰される運命にあるのだ。

そう、それは自然であり、歴史が証明している。


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