最近よく思う。 私が発した言葉は、人によって受け取り方が違うこと。 私が下手なのもあるけれど、結局相手をした人しだいなんだ。 会話は生まれても対話はできない。 そんなことがたまにある。 どっちが悪いわけではなく、言葉の捉え方が違う。 できれば私は感情的にならず、対話を楽しみたい。
会話は「妥協点や合意の形成あるいは共通理解や同一化を目指す」もの。 対話とは「自分と相手がいかに違っているのかを理解し受け容れる」為のもの。 互いの主体性を溶かしあって調和させるハーモニーではなく、違いがあって当然で同一化するのは間違っていると認識するポリフォニーなんだ。
会話というのは「合意と同一化を目指す」もの。 対話というのは「自分と相手がいかに違っているのかを理解し受け容れる」ためのもの。 互いの主体性を溶かしあって調和させるハーモニーではなく、違いがあって当然で同一化するのは間違っていると認識するポリフォニー。
丸裸の自分をSNSで晒す必要はありません。あなたの裸を見ても私は困ることはありませんが見せたあなたが困ることになるのです。着飾った自分を見せると着飾ることがSNSだと思い込んでしまいます。SNSはお互いの環境の違いと経験の違いを理解して共感できる事柄の確認をする場です。会話と対話