自分の根底にある価値基準は弱者が生きていてもいい社会を目指すこと 弱い人も下手の人も存在を否定されずに生きていい社会こそが理想である 日本人であるのを喜んだのは日本人が弱い人も助けてきた歴史を持っているからだ 弱肉強食を否定して、力あるものがないものを守るのが当たり前の社会が理想
日本の人は洗脳教育によって日本社会のことについて被害者意識でものを見ている人ばかりがいるように見える むしろ親日の外国人のほうがよほど日本に関心を持ち、理解や訴えをしてくれるのではないかと思う 日本国内に日本の社会のことを話題にしてもいい場所がないのは本当におかしいことだと思う
日本のために動いていると訴えている人はそこそこいるとは思います 問題は日本の社会の根本にある問題をどうにもせずに、目に見える問題にしか動いていないことだと思います 根が腐っているのに幹を頑丈にしてもいずれは木は倒れてしまう 長期目線では根にある問題を何とかするのが最優先なはず
積み重ねてによって重く、厚くなった言葉が軽い言葉を打ち負かすところを見てみたい 言葉が乱れて、重みが無くなってしまった今だからこそ、言葉に責任を持ち言葉の重みの価値を取り戻すときだと思う 価値の転換点は明確な違いが生まれたときに起こると思う。だからこそ重みを磨きたい
人と出会うことが今は本当に難しくなった 出会い方もかなり限定的になり、決まった手順を踏まないといけないという仰々しくなったと思う こんな社会じゃ人は孤立しやすいし孤独死が増えるのも納得だ 冷たい社会に異議を唱えたい。一緒に唱えている人とも会いたい。 出会いが当たり前になってほしい
孤独がつらいつらいつらい 一人で何もできないと分かっているからこそ孤独では動けない コミュニティを作って団結したいけど、仲間がいない。返信してくれる人もいない コメントも返ってこない。 多様性が独り歩きしすぎて孤立をどんどん量産している気がする 世の中がどんどん冷たくなる