実用的な文章とは、作家が「美しい日本語」で情感たっぷりに書く文章ではない。 説明書や図鑑、カタログのように、事実のみを「正しい日本語」で一意的に淡々と述べ、かつ可読性が高いのが良い文章だ。 https://note.com/mikikazuki/n/nbaad19c6c43a
けれど 今は思う あの頃の天才テレビくんは 天災テレビくんへと 変化していた
ただ 学校に行き 何も考えずに ただのテレビくんを 見て笑っていた そうだ ルーガはいつも 笑っていたのだ 自分で髪型を整え 自分で学校の準備をして 自分で決めてきた あの頃の ルーガは 確かに生きていたのだ ルーガは天才テレビくんの 存在を知らなかったのかも知れない
ルーガが見ていたのは ただのテレビくん だったのかも知れない 俗なテレビくん そして うんちくをたれる うんちくん博士 と うごうごくん ニュースは殆ど見ない 見るのはドラマだけ 毎週続きを見るのを楽しみにしてきた
監視している奴等の方が 遥かに劣っていると 思われても 仕方がないだろう⁉️ しかも 大学に行ってまで そのような行いしか 出来ないのなら 学費を払う意味も無いね~
けれども 上でやっていることが 気になって仕方がない だから常に監視している つまり 監視している時点で かなりの 愚か者なのであろうと 推測できる 監視しているのは 自分達が 上にいる 馬鹿よりも 劣ってしまったら 恥である
上にいる奴等は愚かであり 下にいる自分達は賢き者だと 初めから 比較しているではないか? 初めから 小馬鹿にしてきたのは お前達じゃないか?
誰よりも 愚かを 探しだして 上に祭ってきたのだから 賢くなっては 困るのだ だから 何も教えない 出来るのは基本だけ それ以上やったら滓にならないだろう⁉️
10年後 ガールは 温度を知らない お人形となった そのような自主性の無い 人形が音頭を取ってきたのは 可笑しな話である 温度を測ったら 何処よりも 低温 なのでなはないかと思った
たとえ 上手に出来なくとも自分でやったのとは 10年後には 大きく変わる 筈である 敢えていうのなら そういうことである ルーガは 将来を見据え ガールは 今だけしか 見ていなかった
小さな子供が 自分で一生懸命 髪を結んだ 直すことは 自然な事かも知れない けれど 敢えて直さない 誉めるんだ 頑張ったね‼️ ここで直すと 自分でやったらダメなんだという 感情を植え付けるだけだ 従って ガールは 全て 大人任せで 生きる
しかし ルーガは違う せっかく自分で結んだものを ダメね~ と言って 直すことは簡単である 敢えてそれをやらない 自主性を重んずる 何故だかわかりますか? ガールの 大人は 自分がそれによって 恥をかくのが 嫌だった
けれどそのような理不尽な輩に 言えることは ルーガの髪型は 自分で結んでいたことだ それを 大人は わざわざ 修正をかける 綺麗なガールの頭はこうなのよ? 大人はそのように教えて鼻高々となっている
言葉を知らないとは ただ単に あいうえお ではなくて マナーをしならないとか 粗暴である 粗野である 洗練されていない とか そのような意味 であったと思われる 無作法な奴らだ そのような 比較をされてきたのだ
テレビ番組すら 常に比較しないと 気が済まなくなった あいつらは 遇者で 自分達は 天才である 常に比較する対象が 欲しいだけである 言葉を知っているのは 自分達 天才であり 言葉を知らないのは あいつらだ そのような比較を行ってきた
てれびくん ここでは 滓が一番上である だから みんな 愚かである だから物知り博士は うんこ博士 つまり 糞 だ という 番組が成立したのだ ただのテレビくんと お馬鹿な子供 天才テレビくんと 賢き天才子供