いつでも、なんどでも 『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』を読んで。
僕が生まれた時から「ゲームと言えば任天堂」だった。
物心ついた時にスーパーファミコンはあったし、友達でゲームボーイを持ち寄って遊ぶ。誰かの家に行けば64でみんなでゲームを遊ぶ。
そんな任天堂ゲーム真っ盛りの中で育った人間だ。
初めて僕が岩田さんを認識したのは、スーパーファミコンで出た『星のカービィ スーパーデラックス』のスタッフクレジットだったと思う。
岩田さんの名前は、プロデューサーとして「宮本茂」氏と並んで画面に映っていた。
偶然にも僕の父親の名前が「茂」だったために、