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長谷川未緒
2020年6月14日 14:10
大正生まれで、昭和、平成と生きた祖母は、一昨年逝った。93歳だった。 戦争中に顔も知らない人と結婚し、戦後、わたしの父を産んで、離婚。水商売をしながら子育て、両親の介護を経て、30代後半からは、ずっとひとり暮らしだった。 最期も、ひとり暮らしをしていた自宅で迎えた。 90歳のときに、何度か入院していた病院の担当医から「もうできることはないから来ないでほしい」と暗に言われたときは愕然と
2020年5月31日 13:00
独身で四十路を迎えたとき、ふと思った。「もう一生、誰とも恋をしないで生きていくのかな」祖母に「いちばん最後に恋をしたのは、いつ?」と聞いたのは、そんなときだった。大正生まれの祖母は、戦争中に顔も知らないひとと20歳で結婚し、戦後わたしの父を産むとすぐに離婚、以来、水商売で生きてきた。祖母はわたしの唐突な問いに少し考えたあと、はっきり「54歳」と言った。祖母はそのとき90歳だった。
2020年5月23日 15:37
わたしの父は、祖母が戦争中に親の決めた相手と結婚して産んだひとり息子だ。戦後、祖母は離婚すると、水商売をしながら父を育てた。 高校を卒業した父は映画会社で大道具の職を得た。就職試験で書いた作文のことを自慢げに話していたのを覚えている。何十年経っても、就職試験のことを話すくらい思い入れのあった会社を、父は2年で退職した。斜陽産業だったからと言っていたが、ほんとうのところは知らない。 映画会
2020年5月13日 16:41
ある朝、会社に行こうと準備をしていたら、電話が鳴った。いまから20年くらい前だから、家の電話が鳴ることはそれほどおかしなことではなかったけれど、朝早かったこともあり、いぶかしみながら受話器を取った。2歳下の弟からだった。「お父さん、死にそうみたい」「はっ? どういうこと?」夜中、背中が痛いと救急車を呼んで、病院に運ばれたと言う。いつも父が寝ている、もともと母の寝室だった部屋に目を向けた。
2020年5月7日 20:52
大正14年生まれの祖母には、女学校時代の友人に、きよちゃんがいた。きよちゃんは、かつて駆け落ちしたことがあった。当時、40代半ば、相手はきよちゃんが雇われママさんをしていた店の客で、ひと回り近く年下の男だった。下は高校生から上は社会人まで、5人の息子たちを捨てての、駆け落ちだった。40代半ばといえば、いまのわたしと同じくらいの年齢だ。もしもわたしに息子が5人もいて、ひと回り年下の男性にとき
2020年4月29日 17:56
祖母から結婚しろとかひ孫が見たいとか言われることはなかったが、たまに「いいひといないの?」と聞かれることはあった。30代、40代とたいがいの期間独りで生きてきたから、「いないねぇ」と答えるのが常だった。ある日、「婚活しないの?」と聞かれた。婚活というワードを使ってみたいだけだということがありありと伺える、おもしろ半分な聞き方だ。わたしは「あるよ」と答え、それまでにトライした婚活について話し
2020年4月20日 17:06
祖母はまめに料理をするひとだった。子どものころはお手伝いさんがいたし、娘時代は戦争中だったから、料理をはじめたのは結婚してから、本格的には離婚して飲み屋のおかみになってからだろう。 店ではメニューにないものも頼まれればなんでもつくった。本人曰く、川口あたりの飲み屋にしては、小洒落た料理を出すと評判だったそうだ。たしかにちょっとした煮物も飾り切りするなど見た目に気を配っていたし、餃子もシュウマ
2020年4月15日 20:29
大正14年生まれのおばあちゃんは新しもの好きだった。 わがやの電話が黒いダイヤル式だったとき、祖母宅の電話はプッシュ回線だった。テレビのチャンネルをがちゃがちゃ回していたころ、リモコンで変えていたし、VHSテープに録画したツイン・ピークスを最終話まで見終わる前に、DVDプレーヤーに変わっていた。 祖母はいつも「壊れた」と言って、家電を買い換えた。エアコン、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、テレビ、