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おばあちゃんと拉麺

 わたしの父は、祖母が戦争中に親の決めた相手と結婚して産んだひとり息子だ。戦後、祖母は離婚すると、水商売をしながら父を育てた。

 高校を卒業した父は映画会社で大道具の職を得た。就職試験で書いた作文のことを自慢げに話していたのを覚えている。何十年経っても、就職試験のことを話すくらい思い入れのあった会社を、父は2年で退職した。斜陽産業だったからと言っていたが、ほんとうのところは知らない。

 映画会社を辞めたあとはスポーツ用品店で販売員になり、夏はスキューバ、冬はスキーに明け暮れた。職場近くの喫茶店で、のちの妻となるわたしの母にナンパされたのはこのころのことだ。父を見かけた母の友人が、「あんた好みの男がいるよ」と母に告げ、見に行った母が声をかけて交際に発展、結婚に至ったというのだから、母の行動力も見上げたものである。ちなみにどのあたりが母好みだったかというと、身長が150センチしかない母は、背の高いひとと結婚したかったらしい。父は、175センチだった。

 さて、スポーツ用品店も、わたしが生まれる前に辞めた。売上金の盗みを疑われてのことだったと聞いたのは、中学生くらいのときだったと思う。わたしは父に言った。

「そういうことしそうだから、疑われたわけでしょ」
 母までもが、
「そうそう」
とわたしの言い分に賛同した。
 どうしてあのとき、「おとうさんがそんなことするわけないのにね、ひどいひとたちだったね」と言ってあげあれなかったのだろう、といまでも悔やむ。

 わたしが生まれる直前には百科事典の訪問販売をしていたが、無口で人見知りの父につとまるわけもなく、無職で子を迎えることになった。

 母はというと、建築事務所で経理、劇場で経理と専門職に就いていて、子どもが生まれても働き続けたかったけれど、当時、子どもを預けるにはひと月分のお給料が必要で、働いても丸々とられてしまうならと仕事を辞めて専業主婦になっていた。

 無職のふたりは赤ちゃんを連れて東京のアパートを引き払い、祖母が暮らす川口に越した。千葉県野田市出身の母は都会への憧れの強いひとで、世田谷から川口に越してきたときには、ドブ臭いわ、田舎臭いわで、こんなところで暮らせない、と思ったそうだ。

 川口に越してからは、父はトラックの運転手、母は内職をしながら、わたしたち一家は暮らした。貧乏だった。魚肉ソーセージとキャベツばかり食べていた。

 我が家に弟が生まれてほどなくして、祖母がアパートを建てた。祖母は水商売をしながら、将来、子どもの世話にならないよう家賃収入を得るべく、お金を貯めていたらしい。

 わたしたち一家は、祖母が建てたアパートに越した。ぼろいアパート暮らしから新築の4LDK、祖母がわたしたちきょうだいのために広くつくってくれたベランダにはブランコが置かれ、おもちゃの車で走ることもできた。

 父はトラックの運転手を続けた。自宅近くの運送会社で、朝8時前に家を出て、夕方5時すぎには帰宅した。お昼にもたびたび家に寄るものだから、夏休みなどは朝昼晩と家族揃って食事をすることもあったくらいだ。

 母はアパートの1階で、喫茶店を開いた。夢が祖母のおかげで実現した。それでもずっと貧乏だった。祖母がいなかったら、わたしは新しい服を買ってもらうこともなければ、海へ旅行に行くこともなかっただろう。

 母に乳がんが見つかって全身に転移したころ、祖母にも乳がんが見つかった。祖母が築地のがんセンターで乳がんの最終診断をくだされたその日、病院につきそった父と、帰り際に築地市場の場外にあるラーメン屋でラーメンを食べたという。

 祖母が入院しているあいだに母は死に、わたしたち家族は祖母が退院するまで黙っていた。
 退院してきて、母が亡くなったことを知った祖母は、骨壷を抱いて、泣いた。
 それから2年もしないうちに、父も亡くなったけれど、そのとき祖母は泣かなかった。

 親より先に死ぬ最大の親不孝をしでかしたわたしの父と母だったが、親孝行をしたことなど生涯で一度もなかったのではあるまいか。同じアパートの2階と3階に暮らしておきながら、母の日ですら、何もしていなかった。

 そんな祖母に人生でいちばん幸せだったことは何?と聞いたら、乳がんを告知された日に、父と一緒にラーメンを食べたことだった。

「お腹空いたね、ラーメンでも食べて帰ろうか、って日出夫が言ってくれて、ふたりしてカウンターに並んで食べたのよ。日出夫が結婚してからは、ふたりで出かけることなんてなかったもの。うれしかった。乳がんなんてなんでもないくらい、涙が出そうなくらいうれしかったよ」

 このときの会計も祖母持ちだったし、生涯、すねをかじられまくった祖母は、息子のために、再婚のチャンスも棒に振り、一生を独身で過ごした。そんな祖母に、いちばん最後に恋をしたのは、いつ?と聞いたことがある。その話は、また今度。


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