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おばあちゃんのこと:4.おばあちゃんと料理
祖母はまめに料理をするひとだった。子どものころはお手伝いさんがいたし、娘時代は戦争中だったから、料理をはじめたのは結婚してから、本格的には離婚して飲み屋のおかみになってからだろう。
店ではメニューにないものも頼まれればなんでもつくった。本人曰く、川口あたりの飲み屋にしては、小洒落た料理を出すと評判だったそうだ。たしかにちょっとした煮物も飾り切りするなど見た目に気を配っていたし、餃子もシュウマイも皮から手づくりするなど味にもこだわっていた。
祖母は店をやめてからも、自分のために料理をした。だれにほめられるわけでも、お金になるわけでもないのに、天ぷらを揚げ、天紙をきれいに折った器に盛りつけたり、砕いたそうめんを衣にして海老のしんじょうあげをつくったり。
「お義母さん、えらいわぁ。天ぷらなんて、ひとり分揚げるの面倒くさくなぁい?」
と母がきくと、
「自分であげたほうがおいしいもの」
と祖母は言った。
祖母は、「息子家族と自分は別」を徹底していて、スープの冷めない距離で暮らしていても、我が家のためについでにたくさん揚げて持ってくるようなことはなかった。母も、祖母におすそ分けすることはなかった。
祖母は、毎食、毎食、ひとり分、ちゃんとつくった。
私はライターをしているのだけれど、あるとき、有名料理家さんと撮影していて、
「ひとり暮らしだから、自分のためだけに料理するのは面倒で」
とわたしが言うと、その方が
「自分のためにおいしい料理をつくれなかったら、人のためにもつくれないんじゃないかな。もっと自分を大切にしていいと思う」
と言った。
自分を大切にするって、海外旅行に行くことでも、ブランドの服を着ることでもないことは、わかっていたけれど、具体的にどうすればいいのか、よくわかっていなかった。でもたぶん祖母のように生きればいいのかもしれない。
毎食毎食、きちんと食べたいものを、自分のために自分でつくる。それは、丁寧な暮らし、みたいなことじゃなくて、単に、自分の欲求にきちんと気づいてあげて、自分でちゃんと満たしてあげること。
祖母は自分で料理をするのが億劫になったと言い出してから、ほどなくして寝たきりになった。
寝たきりになってからはヘルパーさんにごはんを作ってもらっていたけれど、たぶん、もっとおいしいものを食べたいと思っていたんじゃなかろうか。それとも、食べたいものもなくなっていたんだろうか。
何か食べたいものある?ときいても、ないねぇ、と答える祖母に、たけのこごはんとか、さくらんぼとか、栗の甘露煮とか、ちょっとしたものを持って行っては、一緒に食べた。
寝たきりになっても頭はしっかりしていたから、あれこれ、よくおしゃべりした。そんなおしゃべりの中でいまでもよく思い出すことがある。
わたしが独りでいることを、少しは不憫に思っていたのかもしれない。「だれかいいひと、いないの?」と聞いてきたときのことだ。
「いいひとなんて、ひとりもいないよ」
とわたしが言うと、
「いいひとがいないんじゃなくて、見つけられないんでしょ」
と祖母は言った。
祖母は、人のいいところを見つける達人で、笑っちゃうくらいだったのだけれど、その話は、また今度。