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おばあちゃんのこと:5.おばあちゃんと隣人

祖母から結婚しろとかひ孫が見たいとか言われることはなかったが、たまに「いいひといないの?」と聞かれることはあった。30代、40代とたいがいの期間独りで生きてきたから、「いないねぇ」と答えるのが常だった。

ある日、「婚活しないの?」と聞かれた。婚活というワードを使ってみたいだけだということがありありと伺える、おもしろ半分な聞き方だ。

わたしは「あるよ」と答え、それまでにトライした婚活について話して聞かせた。

まずはお見合いパーティ。おしゃれしてきた女性陣に引き換え、なんだその浪人生みたいな格好は!?という男性ばかりで、見た瞬間、やる気をなくした。それからマッチングアプリ。100人くらいのひととメールでやりとりしたあと、10人くらいとは会ったんじゃなかろうか。手の甲に毛がわしゃわしゃ生えていたり、わたしと交際するかどうか兄に相談してみると言ってきたり、メールではずいぶん饒舌だったのに実際に会ってみたらほとんどしゃべらなかったり、遠くからわたしの様子を値踏みするように見ていたり。

「いいひと、ひとりもいなかった」
わたしがそう断言すると、祖母はあきれたように、
「いいひとがいないんじゃなくて、いいひとを見つけられないんじゃないの? 世の中の男はみんなバカだと思って、いいところを見つけようとしなければ、いいひとなんて、見つからないんだから」
と言った。

なるほど。いいひとがいないんじゃなくて、いいひとが見つけられない。なぜならば、傲慢でひとのいいところに目を向けようとしていないから。
痛い、痛かった。べつにモテないわけではないけれど、それでも、ひとのいいところをきちんと見つけられる、惚れ力の高い女に、わたしはなりたい。

祖母は、人のいいところを見つけるのが上手だった。たとえば隣人。
隣人にとって、我が家はやっかいな住人だったろうが、我が家にとっても隣人は変わったひとたちだった。

わたしが子どものころ、隣家の駐車場にガリガリ君の袋が落ちていた。隣人はわたしの弟をとっつかまえて、ゴミを拾わせた。
「捨てたの?」
と弟に聞くと、
「捨ててない」
と言う。
「じゃあ、どうして拾うの?」
と聞いたら、
「だって、面倒くさいんだもん」
弟にとって、自分じゃないと断固として拒むより、拾ってしまうほうがラクだったようだ。

 わがやでは犬を買っていた。よく吠えた。いまでこそ申し訳なく思うが、30年以上も昔のことである。犬が吠えるのは当たり前だと思っていた。
ある日、保健所から電話がきた。近隣からの苦情で、処分しろという。電話を受けた母は「隣家の子どもがいつも決まった場所で間違うピアノの音に、我が家は文句ひとつ言ったことがないのに」と泣いて怒って断った。

 祖母の育てた椿の木から、葉が落ちて敷地に入ると文句を言ってきたこともあった。言われた祖母は、我が世とばかりに咲き誇る花ざかりの椿の枝をばっさり切り落とした。

会社を辞めて家にいることが多くなったある日、気が付いた。隣家から、夕方になると毎日ごろごろごろごろごろ〜とうがいの音がする。ただごろごろするだけならばいいのだけれど、おぇっ、という最後の音もセットなものだから、こちらまで、おぇっ、となりそうで、その音を聞くのは不愉快以外のなにものでもなかった。

祖母といっしょにいたとき、またごろごろごろごろ〜といううがいの音が聞こえてきた。
「あの音、気持ち悪くない? おえってなっちゃう」
と言うと、
「でもさぁ、よくあんなにごろごろごろごろ〜ってできると思わない? うがいが上手だよ。おばあちゃんもあのくらいごろごろできたら、気持ちいいだろうな、と思うよ」
と祖母。

祖母は、一事が万事、こう。いくらなんでも、そんなことまでいいところを見出さなくても、と思うのだけれど、嫌な目にあってもすぐ水に流せるし、減点法でひとを見ることもない。

だからか、友だちがたくさんいた。なかでも毎日のように会っていたのが、女学校時代の友だちのきよちゃんとちーちゃんだ。きよちゃんがこれまたすごいひとで、大正生まれの女たちというのは、いざとなったら自由なのね、と思い知らされたのだが、その話はまた今度。


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