市外日暮里渡邊町筑波臺一○三二番地(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第三十四回)
関東大震災に遭い、北三筋町の家を焼け出され、牛込區南榎町に仮寓。
大正十二年十一月には市外日暮里渡邊町筑波臺一○三二番地に家を持ち、妻京、大正十年に生まれた長男耕一とともに、はじめて親子三人の生活に入った。
万太郎三十四歳の秋である。
「そこに移ったのは六月の末の、七月から八月にかけて、その年、いつもより暑さのきびしかったにかゝわらず、わたしはいうまでもない、女房も、子供も、決して、東京を見捨てなかった。それほどわたしたちは、この家の、廊下を取卷いたその庭の広さをよろ