くッきりと、影あざやかに「夏」の極印。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第五回)
祖母が万太郎に教えたのは芝居見物ばかりではない。
孫を供に連れての寺参りを欠かさなかった。
五日は水天宮さま、十日が金比羅さま、二十八日が不動さま。月づきの決まった日にお参りを重ねた。
そればかりではない。花見、潮干狩り、夷講(えびすこう)が、身近な年中行事としてあった。
それに加えて、浅草には祭りがある。三社祭である。
「そして、三社さまのおまつりのうはさがきこえはじめて、その水の匂は日に日に濃くなつた。そして十六日の宵宮、はやくも明日を待ちかねてのうき立つはやしの音をのせ、軒々の注連を、その提燈を、その提燈の上にかざした牡丹の造花をふいてわたる夕かぜの、いかに生き生きと、あかるく、すがしかつたことよ。……途端に、その界隈、くッきりと、影あざやかに「夏」の極印がうたれたのである。」(『水の匂い』昭和十六年七月「文藝春秋」)
はやしの音を、夕かぜが運ぶ。
人々のおどるような胸のうちが、いきいきと伝わってくる。
夏の祭りは、三社さまだけではない。富士信仰に根ざしたお富士さまも、また下町の人々にはなじみぶかいものだった。
「五月になると浅間神社ーーお富士様の祭りがその近所に來る。はつ夏の、飽くまでも、明るく、かゞやかしく睛れた空の暮れそめたとき、狹い横町の兩側に、飴だの、鬼灯だの、簪だの、葡萄餅だの、あやめ團子だのゝ露店がぎつしり並んで燈火をつける、ーー百合、薔薇、撫子、植木屋のまへにはさういふ花のとり が露に濡れ、金魚屋の荷の、滿々と深く張られた水のなかに夕づゝの影が浸って、涼みがてらの人波がだんによせて來る。」(『夏のおもひで』大正八年九月「夜の東京」)
浅間神社に向かって、少年の万太郎は急ぎ足で歩いていく。雷よけになるという麦藁細工の蛇の店、麦こがしの店が、お富士様の名物である。立ち並ぶ露店の賑わいに目を奪われるるうちに、ふと目にした金魚屋の荷に、初夏の匂い立つような夕暮れを感じている。
明治四十四年に出た若月紫蘭の『東京年中行事』(春陽堂)によれば、浅草象潟町の浅間神社は、東京市内のなかで最も繁盛するとされ、富士横町通りには、三百八十二軒の露天がずらりと並んだために、雑踏をおもんばかって、午前八時から午後十二時まで牛馬諸車の通行を禁止したとある。
すさまじいまでの賑わいであった。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。