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「200字の書評」(294) 2021.5.10
こんにちは。
まるで真夏のような日差しが照りつけています。お変わりありませんか。
花はいつの間にか薔薇が目につくようになりました。深紅(緋色?)、ほのかなもも色、心落ち着く薄黄色などに加え、一重の薔薇も見つけました。ツツジも見事です。歩くと、花の多種と彩の複雑さに感動します。それにしても移り変わりが早すぎるように思います。
混迷の日本を思わせる天候激変の連休でした。まさか雹が降るとは思いませんでした。コロナ禍の黄金週間、人出は相当でした。近くを通る関越高速の下りは渋滞でのろのろ、感染拡大が心配されます。
降雹以上に背筋が凍る思いをしたのが、共同通信の世論調査でした。改憲の是非を問う質問中、コロナのような事態に強権を伴う緊急事態条項を盛り込むことに賛成が57%、反対が42%でした。この条項の本質は、時の政権にフリーハンドの権限を与えることです。戦時体制を意味し、ナチスの独裁を可能にした規定と同様の危険な香りが芬々としています。今のミャンマーの軍部独裁のごとき政治状況になります。
スカ政権の無能無為無策が、この状況を作り出す伏線だとするのは考えすぎでしょうか。対中国の日米一体化を見る時、歴史的蹉跌を思い浮かべるのは杞憂でしょうか。
さて、今回の書評は東工大未来の人類研究センターに拠るリベラルアーツ系の研究者たち(5人)の仕事の一部を覗いてみました。理工系の一方の雄による人文知の研究には興味を惹かれます。
伊藤亜紗、中島岳志、若松英輔、國分功一郎、磯崎憲一郎「『利他』とは何か」集英社新書 2021年
利他とは、論語の「恕」に通ずる概念だと直感した。孔子が信条とした生き方で、思いやりを意味する。伊藤は利他とは相手の話に耳を傾け、自分が変わることが大切だと主張する。中島は互酬性と互恵性という論点から、誰もが利他を自己のものとは出来ず、未来によって規定されるとする。また國分は中動態という哲学的概念を持ち込む。すると、それは単なる思いやりや自分の倫理観ではなく、人間の生きる意味や本質に迫り、過去現在未来という永さに意味がありそうだ。
【皐月雑感】
▼ 日図協から送られてきた「司書が書く 図書館員のおすすめ本」(図書紹介事業委員会編)を楽しみながら読みました。よく知っている人、懐かしい人も書いています。実に広い分野の本を、個性豊かな文体で評しています。なるほど思ったり、自分が読んだ本がこのような読み方もあるのか、などと感心したりしました。私は現役時代に、職員が実名で書評を書いてお薦め本にしてはどうか、と提案したことがあります。賛同を得られず、実現しませんでした。今思えばもっと確信をもって進めるべきでした。
この本を読んで、改めて図書館員の本への愛と読む力書く力、そして感覚を知り心強く思いました。秋本敏委員長をはじめ図書紹介事業委員会スタッフの努力に感謝します。この企画を実現した畏友・乙骨敏夫氏の先見性と実行力、そして見識は図書館界のリーダーにふさわしい人でした。逝った人を惜しむ気持ちが一層強まりました。
▼ 5月5日は子どもの日、端午の節句です。街を徘徊しても鯉のぼりを見ることが少なくなりました。男の子の成長と大成を願って、5月の空には沢山の鯉が泳いでいました。少子化?小さめの家?核家族化?時節の移ろいを何となく感じさせられました。
<今週の本棚>
藤原辰史「分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考 」青土社 2019年
何回か挫折しかかりました。読み切れるか自問しつつ最後のページまでたどり着きました。分解とは生成と消滅再生の自然界の壮大な循環であり、人間もまたその一部でしかありえない。動物とは食べ物の通過点であること、死は生の行く末ではなく生こそ死に属するものであることを教えられた。
帚木蓬生「沙林 偽りの王国」新潮社 2021年
オウム真理教事件を医師の知見を盛り込んで、小説の形をとって検証している。麻原の人生と精神、取り込まれ財産をむしり取られる信徒たち、高学歴の研究者がいとも簡単にからめとられる不可解さなどを解明する。宗教法人の隠れ蓑に幻惑され、捜査・介入をためらう警察と行政にも鋭い批判を浴びせている。村井幹部の刺殺事件の背後にも深い闇が存在することを示唆している。
安西水丸「ちいさな城下町」文藝春秋 2014年
少し重い本ばかりだったので、ほのぼのとした紀行に気分がほぐれました。姫路城、名古屋城、熊本城など高い石垣と豪壮な天守を備えた高名な城ではなく、ほぼ無名の土塁だけ、伝承が残るだけのような城址を訪ね歩き、そこに佇み思いにふける城歩き。自分もいつかは行ってみたい、そんな想いにさせてくれる。
ワクチンはいつになるか、先が見通せません。それでもオリパラは強行の構えです。IOCはスポーツイベントのプロモーターにすぎません。バッハはその利権の元締めでしかないのです。五輪貴族などと揶揄されるように、尊大な特権階級になっています。有難がるのはいい加減にしてもらいたいものです。
日弁連元会長の宇都宮健児氏が、オリンピック中止を求めるネット署名を呼び掛けています。感染のとめどない拡大、医療の危機的状況、ワクチン接種の遅れなどのさ中に、無理なのは自明の理です。よかったらご賛同ください。彼のツイッターサイトから入れます。
コロナと不正義に負けず、どうぞご健勝でお過ごしください。