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「200字の書評」(360) 2024.4.20


こんにちは。

初夏のような日差しが差し込んでいます。急な気温上昇に体の方はついて行っていますか?桜はいかにも儚くて、葉桜になっています。この短さ故の花見の賑やかさなのでしょうか。散りゆく桜の次には、初夏の花ハナミズキが存在を主張しています。散歩の道すがら民家の庭先で足が止まりました。牡丹の花です。嫣然と身を寄せかけてくるような色香です。ライトアップされた夜桜の凄艶さも迫るものがありますが、昼間の牡丹も魅力においてはひけを取りません。その先のお宅では、プランターいっぱいの鈴蘭でした。鈴蘭の香りは幼い日郷里の海岸で家族そろって摘んだこと、長じて高校の同級生と鈴蘭狩りを楽しんだことなど、思い出を呼び覚ましてくれました。

さて、今回の書評は第二次世界大戦の恐ろしい一側面です。


ノーマン・オーラー「ヒトラーとドラッグ」白水社 2023年

ナチスの罪深さは、その思想だけではなく薬物依存にもある。開戦冒頭フランスをはじめ西欧を席巻した電撃作戦には、兵士に興奮を持続させる覚醒剤が配布されていた。ヒトラーは専属医師モレルを身辺に置き薬物注射を常用し、より強い薬効を望むヤク中になっていた。狂気の指導者と覚醒剤漬けの軍隊による惨劇はとめどなくなった。戦争による倫理崩壊は他国も同様で、日本でも特攻隊員たちにはヒロポンが使用されていた。


<今週の本棚>

島田雅彦「散歩哲学」ハヤカワ新書 2024年

私は8000歩/日を目標に歩いている。散歩と徘徊の違いはどこにあるのだろう。島田雅彦曰く「散歩は移動の自由と権利を躊躇なく行使するための訓練となる」と。すると歩数を気にしたり、道端に咲く花の彩りや梢の若葉の微妙な色合いを見ながらふらついているのは徘徊なのだろう。確かに本書での著者には哲学がありそうだ。おすすめは角打ちの店の探訪記で、行ってみたくなる。

堤未果「100分de名著 ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』」NHK出版 2023年

昨年6月に放映された時にこれは怖い話だ、思い当たる事態が頻発していると感じた。そこで読み直してみた。ウクライナ戦争、ガザでのイスラエルによるジェノサイド、ウクライナ戦争、北朝鮮の弾道ミサイル発射、中国の覇権主義的な進出など国際的な事態を理由にした軍備増強が常態化し、自衛隊と米軍の一体化が進められている。国内では経済安保法の制定は秘密保護法の拡張であり、その実態が見えないだけにフーコーの言うパノプティコンとして機能しそうだ。また同時に防犯と捜査の効率化を口実にあっちこっちに監視カメラが設置され、国民監視につながらぬか懸念は深まる。また公共性は経済活性化の前に影が薄く、民営化の美名のもとに商業化の波にさらされている。新自由主義は凱歌を挙げているようだ。堤は「それを打ち負かせる武器はたった一つ、物事を俯瞰して眺め、本質をすくい上げる、人間の『知性』なのです。」と結んでいる。この言葉に励まされる、知性を磨かねば。

森永卓郎「書いてはいけない」三五館シンシャ 2024年

軽妙な語り口に刃を秘めた森永卓郎、膵臓がんで余命宣告されている。彼の経済分析は指標に現実感があり、わかりやすく親しめる。最後に書いておきたい現代メディア界のタブーを活字にしてくれた。本書の出版は財務省に忖度する各社に断られたという。ジャニーズ性加害問題、財務省の闇を暴くザイム真理教、日航機墜落事件の真相。贅言不要。一読を勧める。


【卯月雑感】

▼ 台湾大地震の報。地球上のあちこちで災害が発生している。震災後の台湾当局の対応の速さに唖然とする。数時間後には避難所を立ち上げ、復旧作業も緒についている。避難所はプライバシーの確保に意を用いたテントの囲いが整然と並び、食事も暖かいものが提供された。日本の対応とは大違い、難民収容所と海外メディアに揶揄される雑魚寝の体育館と見比べると、これが先進国かと冷汗が流れる。能登半島地震発生時に馳知事は東京滞在、深刻な被害が伝えられても駆けつけず戻ったのは翌日。無傷の関越高速を利用すれば数時間で戻り陣頭指揮をとれたはず、それがリーダーの役割。そしてボランティアを断る。いまだに残骸は放置されたまま。イヤハヤ!!

▼ キシダ首相は自民党裏金問題の責任を取らずに、専用機に飛び乗り宗主国へと向かった。お頭は忠実な配下がネギを背負って飛び込んできたので満面の笑み。アジアにおける危険と負担を肩代わりしてくれるなら、国賓待遇も議会演説もお安いもの。植民地軍が台湾やフィリピンなどで某大国と対峙してくれるなら、こんないいことはない。もはや自衛隊は米軍の一翼になっている。自衛隊ならぬ米衛隊だと皮肉られる。危ない、危ない。ロシアと戦うウクライナの二の舞になりかねない。歴史から学ばない者は不幸になる。

▼ 子供に対する共同親権が突如浮上。今国会で民法改正がなされるようだ。それぞれ一長一短があるが、夫婦の間に信頼感がないことが多いのだから、冷静な話し合いができるとは考えにくい。DVなどの場合はなおさら女性に不利。何より子供の幸福を願うならば、もう少し慎重な論議が必要と思う。拙速ぶりに不安がよぎる。もしも古い家庭観を維持したい保守勢力と例の統一教会の合作ならば要注意だ。

▼ 2024年問題、トラック・バス運転手の残業規制により物流の滞り、配達の遅れやバスの減便などが現実化し、大騒ぎになっている。でも、チョット待てよ。そもそも運転手に過大な負荷をかけてきて、しかも低賃金だったのだ。これまでそれを放置してきたこと自体が問題なのではないのか。トヨタなどがかんばん方式などという在庫を持たず指定時間に納品させる仕組みで利益を上げる。その陰で下請け業者は疲弊し、指定時間を守るために運転手は時間調整をしたり、無理な運転を強いられては来なかったのか。消費者も運賃無料の甘い言葉に乗せられて自宅配達を当然視してこなかったのか。通販の便利さに踊らされ、地元商業の衰退を自覚しなかったのか。自戒を含めて言う、働くものに敬意を持ち、共に社会の一員であることを確認すべきだと思う。

☆徘徊老人日誌☆

3月某日 北陸新幹線に乗車。家人、娘、孫を連れて福井へ。牛に牽かれて何とやらならぬ、孫に連れられて恐竜博物館見学。巨大なドーム状の展示施設はよく考えられていて、じっくり歴史を教えてくれる。時期的に子ども連れの客で賑やかだった。恐竜が地球上を支配し、やがて滅んでいく、この輪廻が人間にも迫ってくるのだろう。孫熱望の恐竜を堪能した翌日は一乗谷朝倉氏館跡へ。戦国時代越前に覇をとなえ、一時は信長を圧迫した朝倉氏は同盟者の浅井氏とともに信長によって滅亡する。その遺跡は発掘整備され、往時の隆盛をしのばせる。近くの資料館は充実し、見学の価値あり。

4月某日 郷里の友人よりメール。その内容は高校の同級生の死去であった。また一人旅立った。彼は高校卒業後太平洋炭鉱の関連会社に就職し、労働組合で活躍していた。数年前に帰釧した際に同級生男女7人ほどで飲んだことを思い出していた。

4月某日 叔母の命日にスカイツリーの足元にあるお寺に墓参りをした。東武東上線を池袋で山手線に乗り換え錦糸町駅から歩く。都内を走る電車はいつも通りの込み具合、車内に足を踏み入れると、座っていた中学生らしい二人の女の子がサッと立ち上がり席を譲ってくれた。自然な身のこなしにお礼を言って座った。まだまだ日本は捨てたものではないと思った瞬間、先日大宮からの川越線でも同様に席を譲られたことが脳裏をかすめた。福井からの帰りだった。小柄な家人がキャリーバッグを引っ張っているのを見かねたのだろうか爽やか系の青年がスーッと立ち上がり「どうぞ」と一言、それはよかったと思っているとその隣のスーツ姿の青年も立ち上がり「すぐ降りるので」と私にも譲ってくれた。人情紙風船の如き昨今嬉しくなる。しかし、と考え込んだ。2回も譲られるとは?よっぽど草臥れた老人に見えるのだろうか、やはり徘徊一歩手前の年寄なのだろうか。などと例によって天の邪鬼の虫が頭をもたげる。いけない!いけない!これだから年寄は嫌われる。

4月某日 学生寮時代の友人たちと例会。ほぼいつもの顔ぶれ、北海道から飛行機で飛んできた友人も。今回は8人、傘寿の1名の祝いを兼ねての宴。大学も出身地も別々ながら生活を共にした間柄、1964年と65年の入学、1期の違いを超えての語り合いがもう数十年。外人客の闊歩する花の銀座に不似合いな昭和の青年が、銀座のライオンビアホールでジョッキを傾け談論風発友人たちの消息を伝え合い、旧悪を暴露し、時には時世に悲憤慷慨、懲りない不良老人の暴発は続く。夕暮れ迫るころ、次回を約して銀座の雑踏に吞み込まれて行った。


黄禍ならぬ黄砂に襲われ花粉と相まってベランダの手すりも車も黄緑色になっている。世界中で異常気象が伝えられ地震も相次いでいる、地球の変調は明らか。人間はもっともっと謙虚に生きるべきではなかろうか。

都合により25日ではなく20日に送信しました。どうぞお元気でお過ごし下さい。

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