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【読書】本と人と旅と、それらのバランスについて『人生を面白くする本物の教養/出口治明著』

前々からずっと気になっていた著者の本を図書館ではじめて手に取った。と思っていたけれど、読み終えて、自分自身の教養をさらに身に付けていこうとモチベが上がって、家にある積読本たちを久しぶりに眺めていたら、埃の積もった本棚の奥から、この本が出てきたので驚いた。

本当に、無意識的に昔から、私は著者の本がずっと気になって仕方がなかったのだと思わず微笑んでしまった。

私が大学に進学した頃、ちょうど世の中は、空前の「グローバル人材」ブームだったように思う。例にも漏れず私もその波にのっかって、国際関係の学部に進んで、たしかに「グローバル人材」という存在がこれからの日本に重要な存在であることは、わかったような、わからなかったような、、、。そんな私も世間もあいまいな「グローバル人材」を著者の人生を通して定義する、お手本、教科書みたいな本だった。

そんな混沌とした世界の中を生きていく上で著者は、本を通して、教養の大切さを論じていて、その教養を、他でもない自分自身の血肉とするために、重要なことを書いているのだけれど、その一部分がとてもぶっ刺さったのでここに綴っておこうと思う。

著者は、本書の中で、教養を身に付ける上で重要なことは下記の3つであると述べている。

「本を読む」
「人に会う」
「旅に出る」

それぞれの大切さを述べた上で最後をこう締めくくる。

本を読み人の話を聞くだけでは、わからないことがある。
旅の最大の効用は「百聞は一見に如かず」にあります。ピラミッドの大きさは本を読んでも知ることができますが、ギザのピラミッドの前に立ち、その場の匂いを嗅ぎ、熱気を感じ、石に触ってみて初めて得られるものがたくさんあります。あの場所の熱気や砂の熱さ、マスとしての量感といったものは本を読んでいるだけでは決してわかりません。何よりも生きた情報は人間の五感を通して伝わってくるものだからです。・・・・ただし、旅は行けるところが限られており、しかも、まだタイム・マシンは実現されていないので現在の場所にしか行けません。二千年前の街には行けないのです。旅のリアリティはほかに比するものがありませんが、範囲が狭いという問題があります。それに対して本ならどこへでも行けます。・・・・旅と本は互いに補完関係にあるのです。うまく「本・人・旅」を組み合わせて、人生をよき思い出で満たしてください。人生の楽しみは喜怒哀楽の総量(絶対値)にあるのですから。

本書より引用

なんだか、めちゃくちゃ腑に落ちた文章だった。

それなりに自分自身の人生を思い返せば
「本を読む」ことは幼少期の頃から大好きだったし、「人に会う」ことを人生最大の楽しみにして、寂しさと孤独を紛らわせてきた、人に囲まれた人生だった。

「旅に出る」ことの面白さを大学生時代に知った私は、数こそ少ないものの国内外できる限り自分の目で、自分の足で、未知の世界に飛び込んできた。

どれも本当に大切で、自分の人生を楽しく、面白くしてくれる要素であることは間違いない、、、のだけれど、著者が最後に書いているように、単体だけだとつまらない。

私もそう思う。

「本を読む」ということは、それだけで、私の知らない世界へと連れて行ってくれて、私が生きていない時代の人たちの感情とか、私が行ったことのない世界の現状とか、そういったことを「見る」ことはできるけれど、ほとんど多くの場合、実体を伴わない。

つまり「見る」ことはできても「感じる」ことはできないから、悲しいけれど「感じる」ことができないあまりに読んだ本の内容をすぐに忘れてしまったり、ただ知識として知っているだけで、頭でっかちになってしまったりしてしまう。

「人と会う」ということももちろん、自分とは異なる人生を生きてきた人の背景や価値観を通して、度々新しい発見があるのだけれど、気を付けなければならないのは、その「人」が感じていることは、あくまでその「人」の主観であって、個人の見解であって、多くの場合、客観性が極めて乏しいということ。

割と自分自身で意識的に、客観的に「人」と距離をとっていないとすぐに飲み込まれて、いとも簡単に自己を見失ってしまったりするので、エンパス気質のある私にとっては、本当に気を付けなければならない点だったりもする。

「旅に出る」ということは、著者もここに書いているように、「本を読む」「人と会う」よりもはるかに大きくて深い、自分自身の五感を通した新しい発見があるけれど、「感じて」ばかりいて、「学ぶ」要素が少なくなってしまっていると、せっかく訪れた未知の領域の魅力を、1割しか感じることができずに終わってしまったりすることもある。

私によくあるあるなのは、割と有名な世界遺産とか文化を見て「あぁ、こんなもんか」と大した感想も抱かずに終わってしまったりすることがこれに該当すると思う。

だからこそ
「本、人、旅」をうまく組み合わせてバランスをとる。そのバランスこそ、人生の面白さであり、楽しさであるのだろうと、割と本気で腑に落ちた。

けれど、まだまだ、そのバランス感覚を自分にいいかんじに体得することは難しい。

なので、とりあえず、どこかが「過大」になりすぎたときのセンサーに反応することからはじめようと思っている。

本の世界に入り浸り、その世界が楽しすぎてもはや本の世界だけで、本に囲まれるだけでこの先の人生十分だと思ってしまうほどに本を読み過ぎてしまったときには、人に会う約束をして、旅に出ようとそう思う。

毎日のように人に会い、対話をして、新しい考え方や価値観を次々と手に入れて、けれどそんな中でいつのまにか、その新しい考え方や価値観にいい意味で振り回されて、自分がわからなくなったときは、1人で旅に出て、本を開いて、自己に向き合う時間を作ろうと、そう思う。

私のお財布事情的に考えて可能性は甚だ低いけれど、ありとあらゆる場所に旅に出て、もはや、旅が非日常ではなく日常と化してしまうくらいに、新しい場所に行きすぎて、何も感じなくなったときには、立ち止まって気心知れた家族や友人と会い、対話をし、本を読んで、己を振り返り、自分自身が「感じた」ことに焦点を当てて、文字に書き起こして残そうと、そう思う。

そうやって、「本、人、旅」のバランスをうまく取りながら面白く、楽しく生きていきたいと思った、素敵な一冊だった。

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