苑路はるばる

ゲームや音楽などの好きなことのほか、日々の気づきなどあれこれ綴ってちょっとずつ形にしていこうと思っています。

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最近の記事

「ファミレスを享受せよ」は停滞を良しとしてくれる物語

物事があまり進んでいないからか、昨晩は「ファミレスを享受せよ」のBGMに浸る気分だった。 この作品特有の、気だるさにそっと寄り添ってくれるようなメロディが好きだ。 深夜のファミレスに、一度だけ行ったことがある。二十歳になったばかりの頃、高校の同窓会に深夜まで参加した帰りだ。 当然、電車はもうない。家が同じ方向の友人と二人、深夜の街を彷徨ってそのお店に入った。 お店にいたのは、フロアに一人だけの店員さんと、同じように終電を逃した人たちだけ。 朝を待つ間、私は眠気覚ましにコ

    • 「忍たま」を小学生以来に履修し始めた人間が映画「全員出動の段」を見た感想。

      年末に映画がやる忍たま。CMなどでじわじわと興味が募ってきて、この一ヶ月で小学生以来に作品に触れました。 その流れで映画「全員出動の段」も見たので、思うままに感想を綴ろうと思います。 この映画は遥か昔にテレビ放送でうっすら見た記憶があったけど、改めて見るとすごく面白かったです。その備忘録として記してみたら結構な字数になりました。 〜書き手の前知識〜 ・昔小学生新聞を読んでいた ・一年は組、土井先生、山田先生、伝子さん、利吉さん、小松田さん、八方斎らへんは何となく覚えてる。

      • 「持っている物リスト」を作ってみた

        最近やっている事として、前々よりやってみたかった「持っているものをリストにする」ということをしてみている。 と言っても、完全に網羅するための真面目なものではない。 移動時間の暇な時とか、テレビを見ている時とか、そういう時になんとなくつらつらと書き出している、自分用のメモみたいなものだ。 ミニマリストの人の著書を読んだところ、人が持っている物の数は1000を優に超えているらしい。 私はオタクでもあるのでそういったコレクションの類も多く、嵩張る持ち物が多い。 しかし自分のお気

        • 風のうたコンサート・昼公演のとても長いレポ

          ありがたくもご縁がありまして、昼公演に現地参加することができました。 本当に素敵な一日で。この日のことを、感じたことを忘れないようにと、自分の備忘録も兼ねてちまちま書いていたら、最終的に1万字を越えていました。 自分でも引くぐらいの文量です。おかしいだろ…これ、昼公演だけの分なんだぜ…。 お時間のある時に、お付き合いいただける方はどうぞお読みくださいませ。 1.会場内のこと 会場は玩具屋さんとして有名な、銀座の博品館劇場。 劇場があるのは知っていましたが、実際に入るのは初

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        記事

          平日映画チャレンジをしてみた

          先日、学生の頃以来にすごく久しぶりに、平日に映画を見てみた。 遅い時間の上映やレイトショーの存在はもちろん知っていたが、そもそも仕事帰りの状態で映画を見る、という発想がなかったのだ。 私は自他ともに認める出不精なので、用事がなければ常にまっすぐ家に帰るのが基本である。 しかしどうしても先日、「この日まで見ないといけない映画」というのが出てきた。タイトルを記すのは一応控えておくが、週ごとに来場特典が変わるあの作品である。 土日は体調を崩して行けずにいたため、特典を手に入れるなら

          平日映画チャレンジをしてみた

          私はたぶん、カルピスの本当の美味しさをまだ知らない。

          気温が一気に上がり、暑い日が続いている。こんな暑い日はコーヒーよりジュースだと、仕事から帰宅後、冷蔵庫へ直行し、家族の作った梅シロップをコップに入れて水を注いで氷を浮かべる。自家製梅ジュースだ。 数口ぐびぐびと飲んでみて、美味しいけど少し濃いなと思って、また水を足す。 もう一口。まだ濃い。何度か繰り返すうちに喉の渇きはおさまったが、まだ納得のいく濃度にならない。慎重だった手つきを思い切って、少し水を多めに入れてみて、……薄くしすぎたか?と首を傾げる。最初よりは美味しい、かもし

          私はたぶん、カルピスの本当の美味しさをまだ知らない。

          人生一周目日記を始めてみます

          気づけば昨年の10月を最後にnoteがまた停滞していた。 高尚なものを書こうとして、筆が遠のいて、期間が空いた分、それに見合うものをと勝手に自分の中のハードルを上げて、記事を作れずに足掻いていた。 年始から、そんな自分に辟易している。 一時、noteを「後ろ向き日記」と名付けてみたのだが、これがあまり良くなかった。 「後ろ向きでもいいじゃないか」と自分自身のスタイルを肯定しようと思ったのだが、気分は沈んでいる時もあれば、浮いている時もある。 しかし、その浮上している瞬間をう

          人生一周目日記を始めてみます

          そらジローの観察日記

          2年くらい前から、家にいる時間の都合の関係で、テレビの天気予報のコーナーに出ている着ぐるみそらジローの姿を見ることが多くなった。 私が見始めた2年前くらいから数ヶ月前までは、上半身をゆっくりと傾けて、ゆっくりと手を挙げる。そんなのんびりとした動きが主だった。 これが私の中でのそらジローのファーストインパクトだったので、そらジローはのんびりとしたキャラなのかなぁと思っていた。 夏休みの時期や改編期とか、時々中にちがう人が入るのか(中に人などいない!という人は聞かなかったことに

          そらジローの観察日記

          孤独を、感情を自覚する

          7月の後半は、家族ともどもコロナに罹り伏せっていた。 幸い家族も自分も重症化はせず、後遺症じみた倦怠感は残っているもの、無事療養期間は終了した。 療養中、徐々にしっかりした物が食べられるようになり、起きていられる時間が長くなるにつれ、心に猛烈に、ぽっかり穴の空いたような感覚が出てきたことに気づいた。 何かしたい、でも、動く元気はない。 誰かと話したい、でも、部屋の外には出られない。 うっすら自覚はありつつも、これが「寂しい」「孤独」という感覚であることに気づくまで、だいぶ

          孤独を、感情を自覚する

          後ろ向きを肯定したい

          数週間前から、プロフィール画像を自分で作成したタコのイラストにしました。 突拍子もない感じですが、なぜこうしてみたのか、その理由を記したいと思います。 noteの活動を本格的にしようと思い立ち、これまでの記事の反応を見返してみたところ、自分の好きなものに対しての語りよりも、どちらかというと内省的なことについての方が、一定数の反応があるということに気づいた。 考えてみれば、それは当然のことだ。ある趣味のコミュニティに属していれば、それが好き!という人が集まるから反応も得やす

          後ろ向きを肯定したい

          自己肯定感に根拠はいらない

          自己肯定感に根拠を求めると、しんどい。 自己肯定感を満たす方法に、今日一日でできたことを書き出すとか、とても簡単なことを目標にして、それを次々にクリアしていくスモールステップという方法で自信を持つ、というのがよく上げられている。 私もよくやっているけれど、これは密かな落とし穴を孕んでいる気もする。 成功した時なら、その小さなステップをクリアできている時ならいいけれど。 たったこれっぽっちの小さなこと。それすらできなかったときに、自己否定の連続でしんどいからだ。 できない

          自己肯定感に根拠はいらない

          好きの力はすごい

          「好き」という感情が持つエネルギーはすごいなと思う。 オタクはよく最初の「好き」から派生して、どんどん別の沼にも手を広げていくという現象があるが、昔から思う。 つくづく「好き」の力はすごいと。 私はとあるアニメがきっかけである声優さんのファンになり、中学生の頃からもう20年近く追いかけている。 その声優さんがきっかけで新たな作品を見て、そのうちの一つがきっかけで二次創作に興味を持つようになり、自分でも絵や文章を書くようになった。 そしてネットの片隅で細々個人サイトを続けて

          好きの力はすごい

          生産性という名の呪いについて

          少し前まで、「何もしないで過ごす」ということに、私はものすごく罪悪感を抱いていた。 体力に余力があるならば、何かしなければならないと、何か身になるような、為になるような、生産的なことをしなければならないと、そう思っていた。 大好きなゲームでもそうだ。どうせやるならば同じゲームではなく、なるべく新しいものを。 あつ森でもなるべく新しい家具をゲットできるように。それが難しいなら、持っている家具をリメイクして、少しでもカタログの中身が充実するように。 昨日より一歩も進んでいない

          生産性という名の呪いについて

          「終わりの気配」というもの

          「終わりの気配」に、私は敏感な方だ。 と言うのも、今現在進行形ではまっているアイナナ(アイドリッシュセブン)というコンテンツが、今年で終わりそうな気配があるのだ。 正確には、終わりというか、一つの区切りを迎えるのではないかと考えている。 アイナナの根拠は、いくつかある。 *以下、アイドリッシュセブンのアプリ本編のネタバレが含まれます。 現行ストーリーのネタバレも含むので、まだ読んでいない方、アニメ派の方などはご注意ください。 ・シャッフルトークのペア・コンビ このイ

          「終わりの気配」というもの

          この先もきっとずっと、最遊記が好きだろうなと思った昨日と今日

          1月にnoteを再開してから密かに続けてきた週一更新が、ついに先週達成できなかったので悔しい。(体調が最悪だったのと仕事が多忙すぎた) それはそれとして、ついに最遊記RELOAD ZEROINの放送が終わった。 このご時世によくオアシス編のようなセンシティブな話を放送できたと思うし、ヘイゼル編という原作の中でも大きな比重を占める大事なエピソードを映像化してくれたなぁと思う。 色んな人の努力の結果だろう。それら全てにまずは感謝したい。 昨日は無事チケットが取れたので、最遊記

          この先もきっとずっと、最遊記が好きだろうなと思った昨日と今日

          「手の中の永遠」を信じたい

          世の中の流れに憤りながらも、何か為すには小さな我が身。 無力さばかりが募るけれど、せめて、手に届く範囲の世界を守れたらと思う。 家族とか、友人とか。 心がささくれ立ってしまうこんな時だからこそ、人とのつながりを大事にしたい。 自分にできることは少ないけれど、今している仕事も世の中に必要なことであるはず。 だからそれを丁寧にすることも、何かのためになると信じて、今は過ごすようにしている。 ……偽善や、ごまかしとも言えてしまうけれど。 ここ数日は、引田香織さんの「手の中の永遠

          「手の中の永遠」を信じたい